シリア攻撃と保守とリベラルと | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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民族自決 戦後体制打破
基地問題を考える愛国者連絡会 / 自由アジア連帯東京会議

シリアのアサド政権軍基地に対する米軍のミサイル攻撃に対し、フランスのオランド大統領とドイツのメルケル首相は「すべての責任はアサド政権にある。化学兵器による大量殺戮は放置できない」と共同声明を発表。また、大統領選における政敵であったヒラリー・クリントンも「アサド大統領の長年の残虐行為に対して、もっと早くこの種の軍事行動をとるべきだった」と述べている。

 

今回のトランプの決断は報道を見る限り、欧米のリベラルからは好評なようだ。一方、ミサイル攻撃に反対した極右のスティーブ・バノンは首席戦略官をクビになり、トランプ支持者の一部からは「何故、シリアにかまう?」「アメリカ・ファーストではなかったのか?」と声が上がった。トランプの選挙公約の一つは「他国への軍事介入反対」であった。

わが国では「リベラル=反戦」と誤解されているが、「リベラル」と「反戦」は別のものである。リベラルと保守との違いは、わかりやすく言えば「自由、人権、平等、正義、公正…」に重きを置くのが前者で、伝統や国益を重視するのが後者。

 

保守とは?と問われればその思想の源流であるエドマンド・バークに尽きる。彼はフランス革命を批判する立場から、自由と平等の行き過ぎに警鐘を鳴らし、急激な民主主義革命で生ずる混乱よりも伝統的な価値観に基づく安定した社会を目指した。

わが国におけるリベラルの元祖は大正デモクラシーの人達だろう。所謂「オールドリベラリスト」。以降しばらくの間「リベラル」という言葉は使われなくなった。再び見聞きするようになったのは革新や進歩派の社会民主主義の人達が用い始めた1990年代になってからだ。
 

その頃のリベラルとは、わが国では主に米国の民主党政権を指す表現として使われていた。米国での「リベラル」と「保守」は、伝統的な欧州における対立と異なる。何故なら米国はそうした伝統に叛旗を翻し、自由と人権と云う理念の上に成立しているからだ。共和党と民主党の対立とは例えば「小さな政府vs大きな政府」といった自由主義の内ゲバに過ぎない。


米墨戦争(1846)、メキシコ・タンピコ侵攻(1914)、ハイチ派兵(1915)、ドミニカ共和国派兵(1916)、第一次世界大戦(1917)、シベリア出兵(1918)、第二次世界大戦(1941)、朝鮮戦争(1950)、キューバ侵攻(1961)、ベトナム戦争(1961)、イラク空爆(1993)、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆(1995)、スーダン空爆(1998)、アフガニスタン空爆(1998)、コソボ空爆(1999)…これが民主党政権が始めた戦争。

で、米西戦争(1898)、アメリカ-フィリピン戦争(1898)、コロンビア・パナマ介入(1902)、ニカラグア派兵(1912)、キューバ派兵(1906)、カンボジア侵攻(1970)、ラオス侵攻(1970)、グレナダ侵攻(1983)、リビア空爆(1986)、パナマ侵攻(1989)、湾岸戦争(1991)、イラク空爆(1991、2001)、アフガニスタン侵攻(2001)、イラク戦争(2003)…これは共和党政権が始めた戦争。

リベラルの民主党であろうが、保守の共和党であろうが、戦争をすることには変わりが無い。強いて言えば前者は「正義」、後者は「国益」が戦争の大義なのだろう。

何故、わが国の革新勢力が「リベラル」を称し始めたのかはよくわからないが、多分ソ連の崩壊やドイツ統合がキッカケになったのだろう。社会主義や共産主義の実現を目指す勢力が、それまでの「革新」や「進歩派」ではイメージが悪いからと代替として「リベラル」を用いたのだと思っている。

 

マルクスやレーニンの時代は「共産主義vs資本主義」であったが、スターリンは後に戦勝国となる欧州諸国と協調するために「民主主義vsファシズム」という人民戦線路線を掲げ、ナチスドイツに対峙した。彼はヒトラーに劣らない程の虐殺を繰り広げたにも関らず、西欧諸国はその戦略に嵌った。戦勝国は平和を愛し民主主義を護る者で、枢軸国は好戦的なファシストであると。「日本は悪、米国は正義」の戦後史観もそれの延長である。
 

スターリン史観に取り込まれたわが国の革新・進歩派勢力は米国流リベラルを自称し、対立する者に極右のレッテルを貼った。
 

ところが。今回のトランプによるミサイル攻撃。欧米でこれを非難するのは例えば「米国はもう世界の警察の役割を果たさないのではなかったか。驚きだ」と語った極右のルペンであったりする。

 

「自由主義vs共産主義」の対立軸が消滅した今、少なくても戦争に関しては「リベラルvs極右」というのも既に意味の無いものになっている。私の周辺でも、トランプの決断に抗議の声を挙げているのは右翼・民族派の諸氏が多い。決して反戦はリベラルの代名詞では無い。

もう一つ。安倍政権の政策。「アベノミクス」等、経済面は米国流に云うならば明確にリベラルである。大きな政府を目指している。一方で伝統回帰路線等保守ともいえる。安倍は保守とも極右ともリベラルとも言い切れない鵺(ぬえ)みたいなものである。