第3回・辺野古新基地反対街宣 | 徹通塾・芝田晴彦のブログ

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民族自決 戦後体制打破
基地問題を考える愛国者連絡会 / 自由アジア連帯東京会議

首相官邸前、並びに米国大使館前にて憂国我道会・山口祐二郎会長同志並びに一同と、月例の辺野古新基地反対街宣を行った。






告知にて御参集頂いた方々と合わせ、登壇者は8名。

尚、本日は基地反対に加え、東京大空襲に対する謝罪要求抗議を引き続き米国大使館前にて挙行。それぞれの立場から、わが国並びに米国政府の対応を糾弾した。





以下、私の官邸前に於ける抗議文抜粋。



安倍晋三内閣総理大臣に告ぐ


戦後間も無く、米統治下の沖縄では日の丸の掲揚が禁止された。

然し、米国支配からの脱却を目指し、祖国復帰思想を打ち上げた一団があった。彼等こそ、左派・革新である当時の沖縄教職員会であった。

彼等は『米国支配の中でも日本人の矜持を忘れない』という強固な意思の下、本土の日本人でさえ及ばないような愛国教育を、教職員会を中心に行なった。


当時の沖縄では米軍によって日の丸掲揚、君が代斉唱が禁じられ、破った者には禁固や罰金が科された。その中で沖縄教職員会は激烈な『国旗掲揚運動』を展開した。


1953年4月29日の天皇誕生日。一般家庭だけでなく、ようやく学校での掲揚も認められ、この時の様子を『琉球新報』は次のように報じている。

「那覇市久茂地小学校(くもじしょうがっこう)では急ごしらえの掲揚台にワツと押しかけた生徒たちに囲まれ、校長先生が双眼を輝かせつつ紺碧の空高く日の丸を掲げていた。傍らで若い女教師がそつと目にハンカチを当てる…。永年育まれた『民族的感激』の一瞬なのだ」


やがて、沖縄教職員会等が母体となり「沖縄県祖国復帰協議会」(復帰協)が結成され、運動は引き継がれた。

しかし、この復帰協の民族運動に再三の要請を受けながら一切参加しない政党があった。それが当時の沖縄自民党である。

沖縄自民党は「一切の抵抗や闘争を排し、経済的な日本との同化こそが復帰を促進する。日本並みに豊かになれば沖縄の経済力も強まり、日本への復帰が近付く」とばかり米軍の傀儡ぶりを発揮した。


そして戦後70年、沖縄復帰43年。未だ昔の沖縄自民党と変わらぬ売国奴こそが今の自民党そのものだ。お前らは今、辺野古で何をやっている?かつて沖縄の人々が熱望した日の丸が彼等の意思を蹂躙しているの事に気付かぬか?



我々が何故、日の丸を突きつけ抗議するのか、その意味をよく考えよ!