• コロナになったら、こうして!これ買って!

体温計 thermometer

血中酸素濃度測定計 pulse oximeter は必要!重要!

  ー2つづつ揃えちゃった体温計と血中酸素濃度測定計

 ー朝、昼、晩、血中酸素濃度(左中指)のチェックして!これで命拾い。測定値で状況判断しER・UrgentCareに3回行ったのが回復へ向かわせる鍵だった。
薬&サプリメント:

ビタミン vitamin  C(1000ml以上) 

ビタミン vitamin D (5000 IU以上)

プレネイタル Prenatal (Women Supplement, Zinc入り)

ビタミン vitamin  B12 complex

ベイビー用アスピリン Baby Aspirin (血液凝固防止)

タイラノール Tylenol,-解熱剤  交互に飲む

アセトミネフィンAcetaminophen-解熱剤 交互に飲む

イブプロフェン(Ibuprofen は悪化させる恐れありなので避ける。)-解熱剤

電解水 Electrolyte Solution

 

お医者様にこれお願いして!
(コロナ対応)
Monoclonal Antibodies Infusion(日本でも厚生省認可がやっと認可した”抗体カクテル”に相当するもの)(コロナ発症から10日以内が効果あり)
Albuterol HFA (吸入器)(エイスレセプターブロッカー)(細胞の受容体ACE2ーAngiotenisn-converting enzyme2ーに結合し、感染するのを防ぐ)これ効いた!

Benzonatate 咳止め

(肺炎対応)(私が肺炎対応で処方されて効いた薬。これが皆さんに効くとは限らない事、ご了承下さい)

Azithromycin 抗生物質(細菌に対応)
Dexamethasone ステロイド  (炎症止め)これ効いた!
Famotidine ステロイドが強く胃を壊さない為、ステロイドと一緒にとる薬。
Doxycycline 抗生物質(細菌に対応)これ効いた!
  ーこれが最終的に一番効果あり。熱が収まり、血中酸素濃度を上げてくれた。

 

私の間違い。

ーmonoclonal antibodies infusion(抗体カクテル)を発熱してから直ぐお医者様にお願いして投与してもらわなかった事。知識不足。

ー本来なら、タイラノール TylenolとアセトミネフィンAcetaminophenを解熱剤として交互に飲むべきだった。でも、家にあったイブプロフェン(Ibuprofen は悪化させる恐れありなので避けるべき。)とアセトミネフィンを交互に飲んでいた事。知識不足。

 

  • コロナになったら、こうなった。 ー備忘録ー

8月11日ー8月30日ーコロナ悪化&肺炎発症フェーズ
D1:コロナ感染者との濃厚接触@会社
D6ーDay1:夜、発熱(38度ー39.7度) 

ーここから寝たきり、隔離生活、自宅療養始まるー
D 15ーDay10: ER ーコロナに加え肺炎発祥
D 17ーDay12: ER
D 19ーDay14: Urgent Care
D 20ーDay15: 熱下がり(37度台)家族で食事16日ぶり! ー初めての椅子での食事ー
8月31日ーコロナ回復&後遺症フェーズ
D25-Day 20:家事ちょっぴり始める
D28-Day23:お散歩始める
D34-Day29:初めて自分で運転  ー自己隔離終了ー
D35-Day30:早歩き出来る
D36-Day31:小走り出来る
D38-Day33:肉体的には、90%回復感。精神的には後遺症感じる。

 

家庭内感染、どうやって防いだ?
ー発熱時点から完全徹底隔離。
ー隔離された部屋の換気。
ー感染者の部屋へ出入りする時の手洗いと徹底除菌。


後遺症ってどんな感じ?

ー倦怠感:疲れ。簡単に疲れて、眠くなる。
ー夜眠れない。まとまった睡眠がとれない。
ー恐怖感。会社に行けない。

ー思考回路に雲がかかった状態。

例:薬を取りにきたのはずなのに、部屋に入ったら洗濯物があって、畳み始めちゃう。あれ、私なんでこの部屋に来たんだろう?あー、そうだそうだ、薬を取りにきたんだ。まだ薬を飲んでなかったたんだ私。。。


 

家族への影響は?

ープリkに通っていた5才の子供も私の発熱の翌日から検査結果で陰性と出るまで学校を休ませた。

ー子供にとって相当ストレスでトラウマ的経験だった。今まで普通に暮らしていた母親が急に部屋から出てこず、会えず、父親は母親の部屋に入る時、自分は入れず、1人でリビングに残され、不安感120%。家の中でも父親の後を1歩も離れず、キッチンに行くにも、バスルームに行くにも、夜寝る時も四六時中背中の後ろにくっついていたらしい。良くなってからしばらくは、母親とどう接していいか分からない様子で、父親にくっついていた。

ー旦那が家事、子供の世話、私の介護をすることになった。

 

自宅療養経緯詳細:

ー旦那は、自宅療養中、私の隔離された部屋へ食事を運ぶトレーを決めて、トレーに触ったらすぐ手洗い、私の部屋から出入りする際、入る前も、出た後も、必ず手洗い。ドアノブをアルコールワイプスで拭く完全除菌を徹底していた。

ー私の場合、コロナによく見られる症状、例えば、咳、息切れ、喉の痛み、下痢などの胃腸症状、味覚症状はほぼなかった。強いと言えば、喉のイガイガ、たまにちょっと風邪の引き始めに感じる普通のイガイガ感が少しあった程度。気にしてその日の予定を止めたり変更して休養する程ではなかった。高熱(38度、39度台)になってからは、悪寒、体の節々の痛み程度。これは、肺炎になった後も同じだった。

ー私が自己隔離していた部屋の中は、良く換気していた。

ー発熱から最初の15日間は、家で解熱剤とビタミン剤を飲んで、安静に。本当に、ベットの上、トイレ、お風呂のみの寝たきりhorizontal生活。食事は旦那がドアの直ぐ外まで運んんでくれて部屋の中で流し込む形式。
ー高熱だった時は、解熱剤を飲んだ後、すごく汗をかいて、Tシャツを1日4−5回替えた。ベットの上が汗で濡れ、キングサイズベットを右、真ん中、左、下と4箇所替えて寝た。4時間後しっかりまた熱が上がりは解熱剤を飲むというサイクル。

ー高熱状態4日目頃から食欲が無くなり、食べるのに苦労するようになった。でも、ビタミン剤しか取ってなく、薬を処方してもらっていなかったので、食べ物で栄養つけて、自己免疫で直すしか無い!と言い聞かせ、流し込み形式で食べ物を胃へ流し込んだ。
ー発症後5日目たっても熱が一向に下がらないので、会社のコロナ対策で、電話で会社付の先生と話せるホットラインで話した。一応、症状を伝えたけれど、家でやってる事は間違ってないから、咳も出なく、息苦しくなければ、それを続けてと言われただけで、薬の処方もなければ、なんの助言もなかった。

ー今思えば、ここで、monoclonal antibodies infusion(抗体カクテル)を勧めて欲しかった。この時、調べる元気も知識もなかったので、このmonoclonal antibodies infusionを依頼するのが10日後の最初のER訪問まで遅れた。依頼したけど、結果、発熱から10日経ってるから効果が薄いと言う理由で投与してもらえなかった。

ー会社が万が一、私も旦那もコロナになった時に家事や娘の面倒をお願いできるお手伝いさんリストをくれた。結局のところ、最後はそのリストの中から自分でお手伝いさんを選んで、電話して来てもらうアレンジをしなくてはならず、高熱時、そんなことは到底無理だった。家族のサポートあっての回復だったと心から感じる。

ー9日目頃、無理言って、お味噌汁を作ってもらった。旦那、味噌汁作るの初体験。今までは、ちゃんとあった味覚だったのに、味噌の味が変だった。え、本当にコロナか!?とこの時初めて実感。
ー10日目、高熱が10日続き一向に下がらないので、1度目のER 訪問。胸部レントゲン撮影の結果、コロナに加え肺炎も発症していると告知される。病院のコロナ対策で、患者のみ病院内に残れ、家族は外の駐車場か家で待機。
ー肺炎対策の抗生物質を飲んでも熱が一向に下がらない。


ー12日目、2度目のER 訪問。血中酸素濃度が90を切り酸素吸入。この時も、咳も、たんも出ない状態だったので、自分では、重体意識はなかった。8時間経過観測でERのベットに缶詰。入院なしで開放。先生が説明を始めた時、旦那に電話して、旦那と話してもらった。この時、”私が、ちょっと待って、私より医療の知識がある旦那と話してもらえますか?”と言ったら、先生、態度がちょっと変わって、電話対応も丁寧だったと思う。自分も弱ってるし、医療専門用語を英語で理解できる自信もないので、ご家族の方か、アメリカ人のお友達に予めお願いして先生とお話しして頂くといいかもっと思った。

ー14日目、2度目のER訪問から48時間しても症状が改善しないので、Urgent Careへ。ここの先生が、コロナに4月になったという体験の持ち主で、親身になってくれて、今までの経過を話したら、肺炎細菌対応の抗生物質が出ているけど、もう1つ別の抗生物質を出そうと直ぐに処方してくれた。この薬飲んだら、24時間以内に良くなった!良くなったというのは、解熱剤を飲んだら、初めてその後、熱が38度台まで上がらなくなったと言う意味。お医者様が体験を話してくれた。彼も回復し職場復帰までには2週間かかった。仕事復帰後も、自分の今までの生活、具体的には、ジムに1時間通っていた状態、に戻るまでには、3ヶ月かかったっと。倦怠感、疲労感は1、2ヶ月続いたとの事。私の肺炎、全治6週間と見立て会社にドクター・ノートを直ぐ書いてくれた。
ーコロナになったら、誰かお世話(食事&測定値判断し病院に連れて行ってくれる)してくれる人、必要。1人では回復出来ない。

 

感想:

ー家の中での徹底隔離した甲斐があって、旦那と娘にコロナを移さなくって本当に良かった。

ー一番の支えは5歳の娘の手紙や励ましの絵。

(まだ正しいスペルで単語を綴れない。。。)

ーちょっと怖くなった時:旦那が急にベットルームに何度も入ってきて、私の検温、血中酸素濃度をチェックし始た時。え、症状は、今までと変わってないのに何か重病人扱い?!大丈夫か私!?

ーもう一回凄く怖かった時:初期段階。コロナ濃厚接触から5日目は、無症状状態での日曜日。実は昼間6人を会食をし、その後、もう1人面会。その翌日は普通に出勤し夜から高熱が出始めPCR検査を受け、結果が出るまでもの凄く怖かった。もしポジティブで日曜日に会った誰かに移してたらどうしよう!?申し訳なさすぎる。と本当に怖くなった。いざポジティブで皆さんに連絡し、皆さんもすぐ検査を受けて下さって感染者は居なかったと分かるまでの間、すごくすごく怖かった。高熱は辛いし、こんな思いを自分のせいで他人にさせてしまったら、そのご家族までお子さんや旦那様までさせてしまう事になったら、もしどなたかが重症化してしまったら、と考えただけでもぞぞっとしていた。

ー関連してて、もう一回怖かったの事:旦那に移してしまっていたら、どうしよう。。。と。うちの旦那は、既に免疫不全で大きな病気を15年前にして今もその後遺症に悩まされているので、ワクチンはドクターストップがかかっていてそもそも受けられない状況。仕事も100%自宅勤務。そんな彼にもし移して重症化してしまったら、どうしよう。私が高熱でベットで寝てる場合ではなくなってしまう。ってか5歳の娘はどうなる??テキサス、サンアントニオには、私の家族も旦那の家族も居ない。。。

ー一番辛かったのは、部屋の外から、旦那と娘が楽しそうな会話が聞こえてきた時。旦那お世話してくれてありがとうと同時に、私も仲間に入れてーと。

ー一番助かったのは、日本の母親が朝、晩、必ずライン電話をくれて、コロナ情報を色々提供してくれたり、私の症状を日本の母親の知り合いのドクターに話して助言をくれたり、日本から気を送ってくれたり。血中酸素濃度計は、母が絶対今直ぐ用意して測ってみて、と言わなかったら買わなかったかも。ほぼ無症状で熱のみ出ていた私の場合、結果、血中酸素濃度計のお陰で命拾いをしたと言っても過言ではない。

ー次に助かったのは、旦那の会社がこの状況を理解してくれて、家族サポートで会社を休んでも良い1週間休みをくれた事。さらに家事が大変だろうと Grub Hubギフトカード$250(ウーバーイーツみたな登録レストランからの食べ物配達サービス)をくれた事。

ー散歩も、散歩中に少し小走りにジョギングもできるようになって、肉体的には90%くらい回復したかなっと感じるけど、会社で感染したので、会社に行くのが怖い。仕事が今まで通りこなせるか不安。倦怠感も感じる。夜もまとまった睡眠がとれず、必ず2回くらい夜中に起きてしまう。思考能力や脳の回転が遅くなっている気がする。

今回、このブログを本当に久しぶりにアップしようと思ったのは、海外に住む日本人がコロナになったら不安だろうなと思い、少しでもどなたかのお役に立てればと思った事。2020年10月外務省出展”海外在留邦人数調査統計”によると、合計:1,357,724人。第1位:アメリカ:426,254人。100万人以上の日本人が海外で生活していて、約3分1がアメリカ在住。今回私がコロナに職場感染してから一応肉体的には約90%くらい回復したかなーと感じつつも後遺症を少し感じ、会社復帰できない状況の現在までの自宅療養体験を具体的な経過と効いた薬をを共有しようと思っのが動機。

 

ご了承頂きたい点:

コロナの症状は個人差があり、まちまちと言う事。私は医者でも医療関係者でもない事。特に肺炎対策で記載した私に効いた薬が皆さんに効くかどうかは全く分からないし、医者が処方する薬は医者によって違うし、医者がその患者の状態で1番良しと考える対応をしてくれるだろうから、自分のかかった医者を信じて下さい。私のケースは1ケースとしてご参考までに。

 

健康体で元気がとりえの私にとっては、人生最大の病気でした。いやいや、後遺症を含めば、まだ終わってなく現在進行形ですが。。。健康が一番大切と痛感しました。皆様から暖かい言葉、想いを送り続けて頂き、ありがとうございました。家族、皆様のお陰で、確実に回復に向かっております!

 


 銅、鉛、鉄、錫、銀が採掘される石の街、Villefranche de Rouergueヴィルフランシュ=ド=ルエルグ 河の街。建物も、道路も石作り。1220年代の建築物が今でもあちこちでリフォームして利用されている。この建物は、1350年頃、黒死病の患者を看護する為に建てられ、今でも、病院として機能している。概観や廊下は14世紀で、扉を開ければ、近代の病院が広がっている、不思議な建物週末訪づれた近くの街。




屋根も石だったり、レンガ作り。


こんな環境にいると、宮崎駿監督の初期の作品、天空の城ラピュタを思い出させられる。


週末を挟んでのフランス出張。南仏の街々を訪れ久々に日常から離れてリフレッシュできました。

そしてふっと心に浮かぶのはディズニーにジブリの作品。人がリラックスしてる時にフッと心の中に浮かぶなんて、いい仕事してるよねー。これからも素敵な作品心待ちにしてます。


これが週末観光で訪づれた街。まずは、

Najacナジャック

1250年代に造られた街。ナジャック城は城塞でこの街を守る為築城されたよう。築城と言っても、岩、石を積み上げた建築。アヴェロン河の上流の崖の上のそびえたち、眼下に広がる美しい街並みを守っていた。


Cordes-sur-Cielコルド・シュル・シエル

人口約1000人の小さな街。VdRのあるアヴェロン県の南西に位置し、こここそ、今週の我が友、ガヤックワインのとれるワナリーに隣接する素晴らしい自然環境の中に潜む街。


 Albin アルビン

コンド・シェル・シエルの少し南に位置する、アルビン街。St. Cecileセント・セシル大聖堂。カソリックがこの地を征服したので作られた聖堂。12821380年。レンガ造りでは、世界一古く、聖堂内の壁は全面色が塗られていたり、装飾が施されているのが特徴。内装も部分的に、1480年、1512年、パイプオルガンは1734年、改築工事と、何百年にわたって人の手が入っている。青を基調にした天井がとても印象的だった。


St Cirq Lapopie ( town on the rock) サン・シル・ラポピー
VdRの西隣の街、サン・シール・ラポピー。地元の人はラポピとの愛称で呼ぶ。アヴェロン河の一本北、南西フランスのミディ・ピレネー地方の丘陵地帯をゆったりと西方へ流れるロット川 の渓谷沿い、川から100mの崖上にそびえたつ街。その姿は、正に天空の城。芸術家が移り住み創作に勤しみたくなる理由がよくわかる。