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昨年6月7日のブログの中に…

 

とくしま、右へんろ道と記された古い標石があります。

徳島の何処から来るのか不明ですが、こんな所に遍路道?

 

標石の示しているとくしま方面は古い旧道のようです。

 

何故こんな所に遍路道なのか?ずっと不思議でしたが、その謎が解明されました。

 
前回のブログのお地蔵さまとこの遍路道の標石の位置を地図上で見ると、一本の道沿いにある事が分かります。
そしてその道の先は1番札所霊山寺へと繋がっています。
今迄鳴門市の岡崎港が遍路道の始まりだと思っていましたが、こちらのお地蔵さまは寛延二年とありますから、西暦1749年に作られたものだという事が分かります。
お地蔵さまは時代が古くて今から268年前に設置されたものでした。
そこで江戸時代初期の遍路道の文献を調べてみると…
 
(柴谷宗叔著  江戸初期の四国遍路  法藏館より引用)
ありました。
徳島から一番霊山寺への遍路道はこの標石と藍住町のお地蔵様の前を通っていました。
1巡目のお遍路で歩いたのは江戸後期~近年の交通網が発達するまでの間の徳島に上陸してからのお遍路出発地の岡崎港からでしたが、268年も前のお遍路は現在の徳島市の『船場』という地に上陸して、そこから1番霊山寺へ歩いたのでしょう。
 
正面に彫られてある文字を良く見ると…
 
お地蔵様には『左遍んろ』とありますから…元々は現在の位置に作られたものではなく、近年の道路整備の時に現在の位置に移動されたものと思われます。
勿論近年はこんな道を歩くお遍路さんは居ないと思いますので、当時沢山あった道標などは殆ど無くなってしまったのでしょう。
これで謎が解明!
このお地蔵様は後々まで大切に保存すべきですね。
 
※参考文献
柴谷宗叔著  江戸初期の四国遍路  法藏館
 
 

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