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ライフエコロジーコーチ
吉田 修

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でんでんむしのかなしみ
       
平成も終焉を迎えようとしている今、天皇皇后両陛下に対して、ずっと疑問に思っていたことが少し解けたような気がする。
両陛下が被災地においでになると、どういうわけか被災者が留飲を下げる。
特に東北の大震災においでになった際、政治家に対しては罵声を上げ、とげとげしい雰囲気の残る避難所に両陛下がおいでになると、どういうわけか、すーっと怒りや不安や怯えが引いていくような、そういうものがあった。
普段、きっと人の悪口を言ったり、世情批判を口にするような人たちでも、両陛下がすっと歩み寄られ、顔を突合せて手を取り、「お辛かったでしょう」と静かに語りかけられると、留飲を下げ、深く感激する。
このことがずっと疑問だった。
たしかに、皇族に会える、しかも自分を慰めてくれるということは特別なことである。また、たしかに、カウンセリングといえばそうなのだろう。カウンセリングの中には「危機対応」というものがあり、習えばこういうことも出来るだろうが、どうも違う。
そういうものではないように見えた。
そもそも歌を歌う人には歌う理由というものがあり、絵を描く人、演劇をする人、サラリーマンであっても、人が何かの業や技を発揮するというのにはやはりそれなりの理由というものがあるのだが、両陛下の場合、それが何なのか…、とずっと疑問だった。
      
どうも皇后陛下なのだ。
「でんでんむしのかなしみ」という児童文学作品がある。
『でんでんむしは「自分の殻の中には『悲しみ』しか詰まっていない」ことにうっかり気付き、「もう生きていけない」と嘆く。そこで別のでんでんむしにその話をするが「私の殻も悲しみしか詰まっていない」と言い、また別のでんでんむしも同じ事を言った。そしてでんでんむしは「悲しみは誰でも持っている。自分の悲しみは自分で堪えていくしかない」と嘆くのをやめた』という物語。
皇后陛下は、最初、四歳から七歳のころに聞いたという。
この年齢は、一人遊びをする時期から友達を作り一緒に遊びながら様々なルールを身に付けていく時期でもある。
以後、この物語を好んでお話になられ、被災地の子供たちにこの本を送ったりもしている。
皇后陛下が、民間から嫁いだ皇族としていわれない中傷やストレスを受けた際に、安易に精神科医やカウンセラーに頼ることも出来ない境遇だったからだろうか、この話で乗り切ろうとしていたという証言もある。
      
「生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした」と第26回IBBYニューデリー大会基調講演でお話になられている。
この想いはやがて「人生の全てが,決して単純でないことを教えてくれました。私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」という想いへとなっていったという。
http://www.kunaicho.go.jp/…/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html
       
ああ、そうなんだと思った。
皇后陛下はたくさんの孤独と悲しみを背負われ、この悲しみを生きてこられた。
皇后陛下というご身分に悲しみもないだろうと思われるかもしれないが、女官でさえ代々皇室に使える家柄であるだろうに、庶民から嫁いだ皇后陛下のご心中は異なる世界に飛び込んだ孤立無援の異邦人であったのではないだろうか。
しかし、結果として憲法における象徴天皇に即した開かれた皇室、国民に寄り添う天皇像を作り上げ、現代的な新しい天皇像を作り上げる大きな立役者となられた。
そして、このことは悲しみは自分一人のものではなく、また乗り超えることが出来るものだという何か確信の様なものをお持ちになるに至ったようなのだ。
    
でんでんむしは自らの悲しみに気付いたとき、他者と出会い、他者を知ることになった。
     
皇后陛下は他者の内心を想像し、思いやり、協力し合うことを知り、ご生涯をかけて皇室という庶民とは大きく異なるものを受け入れ、つなぎ、ずっとおしのべていかれたのだろう。
      
平成は災害の多かった時代だという。
しかし、災害が多かったことは事実だとしても、両陛下が象徴として国難に際し、被災者に寄り添われ、悲しみを分かち合い、深くお心を寄せていらっしゃったことが、さらに印象深いものにしたのではないだろうか。
      
まさに、日本という風土が皇后美智子陛下を生み育てたといえないだろうか。
      
世界最高峰の皇室の権威とは、このようなものなのだと私は信じる。
    
http://www.kamezaki-e.ed.jp/tiiki/gon/denden.htm


     
私は今日本語で書いているが、これは私が選択したのではなく、私の環境から与えられ受け入れたものである。
       
私は私の親から生まれ育てられたのだが、これは私が選択したものではなく、与えられ受け入れたものである。
     
これらは、私が選択したものでないにもかかわらず、私は決定的にこれらから影響を受け、私の血肉となっている。
      
たしかに、私は物事の長所短所を考慮したうえで様々なものを選択でき、このような合理的判断によって自分自身の生活や在り方を決定する理性を持っている。     
       
しかし、だとしても私とは私とわたしの環境のことである。
        
合理的判断さえも私に与えられた言葉と、私を育み、血肉とから生じる実感に基づいているということを忘れてはいけない。
       
私とは、私を育み、血肉となったものの総体でもある。
       
これを私は既に背負っており、このことに対する責任がある。
       
したがって、私の環境を救うことが出来なければ、私をも救えないのである。

      
間違っているわけではなく、ある種のセラピーとかカウンセリングと見たほうがいいです。


断捨離が流行った時、少し調べたことがあるのですが、たしかに「今を生きる」という観点から見て、過去を断ち切るという前向きな生活スタイルになるのだと思います。


彼女の場合、これに「ときめき」という感情が強調されていますので、これはこれでうつ病などの気分障害には有効ですし、自己肯定感は上がると思います。


しかし、本を読むことを中心とした生活を営んでいたり、知的生産に関わる仕事をしているような人にとっては、むしろ有害ではないかと思います。


というのは、好きな本だけを手元において置くと、ただテレビを見た音楽を聴いたという程度の読書体験になってしまうのですが、一次文献だけでなく二次文献三次文献と読み進めることで読書体験はさらに多角的なものになりますし、やはりこれらは手元に置いておかないと気になった時に読むことが出来ないわけです。


この考え方にいつ読むかわからない本を狭い家に置いておくより、図書館で読めばいいではないかという反論もあると思いますが、図書館に行って本を読むということの労力と時間は相当なものです。しかも気になった時に手元に本があるか否かは知的な読書体験の側面で決定的です。


たしかに、ネットで様々な情報を得ることはできますが、やはり底が浅い。本当に優良な情報は有料だということです。


このような知恵は、ヨーロッパでは書斎を持つ楽しみとして定着していますし、ライフスタイルとして伝統を持っていますが、こんまりちゃんのおかたずけはこういうものとは違うということを認識しておいたほうがいいと思います。


      
朝の連ドラ『まんぷく』。破天荒で、自分のアイディアを実現するためなら周囲がどんなに反対しようが一心不乱に一日中開発に邁進する萬平さんと福子の物語。
      
モデルになったのは、日清食品の安藤百福と仁子。
        
チキンラーメンとカップヌードルの大ヒットで、世界的起業家として評価され、日清食品を日本を代表する大企業に育て上げた。
      
この影には、ドラマで描かれているように、破天荒な夫を信じ続け、常に微笑みを絶やさず影に日向に支える姿は「観音様」と呼ばれた。
       
百福が息子に経営権を与えて会長職に退いた後、社長になった息子は
     
「カップヌードルをぶっ壊せ!」
     
というスローガンを掲げて、多様な商品の開発に邁進する。
       
結果、経営方針をめぐる大変な親子喧嘩が始まる。
      
寝食を忘れて必死に開発し、ニューヨークタイムズでも20世紀最大の発明とまで絶賛されてMr Noodleとまで言われた百福は烈火のごとく怒った。
        
家庭のみならず、会社の経営会議でも、親子なものだから遠慮もなく激烈な言い争いが行われたという。
        
この惨状をみて仁子が仲裁に入る。
     
「想うところは一緒なんだから」。
          
現社長である安藤宏基氏は
     
「若いから異論もあるが、頭から反対意見を言ってはいけない。まず"わかりました"と百福の話を聴いてから思うことを述べるほうがいいと母から言われた」と述べている。
        
仁子はさらに「何事があっても鯨のようにすべて飲み込みなさい」、「言いたいことがあったら、一晩寝てから明日言いなさい」とも言ったという。
        
やがて百福は息子の経営方針に理解を示すようになったと言われており、チキンラーメン・カップヌードルをはじめ、35以上のブランドを網羅するようになった。
      
カウンセリングの技法としては、これを「yes and話法」という。
        
yes and話法とは、相手の存在や想いを「鯨のようにすべて飲み込み」、"わかりました"と認めたうえで「言いたいことがあったら、一晩寝てから」でもいいので「思うことを述べるほうがいい」という仁子の教えそのもの。
       
百福の妻、仁子は、きっとこうやってずっとあたりまえのように破天荒な百福を支えてきたのだと言われている。
      
仁子がどうしてこんなことが出来たのだろうと考えてみたが、唯一納得できる理由としては、日清の各工場にあるといわれる観音像を仁子は拝んで回っていたということに尽きると思う。
       
百福は「やれそうもないことを成し遂げるのが仕事というものだ」と言っているが、これは仁子のことでもある。
       
この話法を仇やカウンセリングの単なる技法だと捉えるなかれ。
     
yes and話法とは百福の話を鯨のように飲み込み受け止める仁子の観音業のような生き方かもしれない。


      
多分日本人は国家として世界一になんかなりたくないんだ。
      
世界一になったら、この時点から何を目指したらいいのかわからなくなるし、世界中からたたかれると思って物凄く不安だと思うし。
       
だって、株式が日経平均4万円に迫るとき、日本人は不安で不安で仕方がなかった。
       
バブルがはじけた理由にはいくつもあるだろうけど、本当は豊かになることが不安で仕方がなくなり、今までの様な暮らしに戻りたかったのだし、はじけて内心本当はホッとしたのだと思う。
       
それに物凄く未来的なことを言ったり、想像力を発揮して今までになかったものを作り出したりする人のこと、本当はあんまり好きじゃないだろうし、どう付き合っていいかわかんない。
      
だから、国内で売れず、外国で高く評価された後、逆輸入とか言って後から評価したりするのだし、良いと思って作ったものを国家戦略として売ろうとしない。
         
Tronがそうだし、日本画の良さもそうだし、そもそも奈良や京都の国宝級の仏教美術品も薪にして風呂の焚きつけにしていた。
       
奈良の惨状を見て日本美術を再評価した岡倉天心を美大から追い出したりもした。
       
ところが、外国でゴーギャンやゴッホが心の底からあこがれたようにジャポニズムが流行すると、驚いてお土産の包装紙に使っていた広重や北斎の浮世絵をありがたがって額に入れて飾ったりする。
         
だって、広重や北斎がそうであったように、ゲイツやジョブズみたいな人がいたら、みんなヤな奴だと言って毛嫌いするだろうし、現に田中角栄を金の亡者と言って毛嫌いしたのだし。
       
岡潔は未だに前人未到の現代数学を作り上げたが、そのほとんどは在野の数学研究者の時だった。
       
イノベーションなんて、本当はわからない。
       
そんなことより、本当は、学ぶことが大好きだってはっきり言えばいい。
      
イノベーションを起こした人のことを学ぶのが好きなのであって、自らイノベーターにはなろうとはしない。
      
危険だし、とても不安なことだからだ。
       
『解体新書』を翻訳した杉田玄白は、まったくわからなかったオランダ語を学びながら少しずつでも翻訳していくことが楽しくでたまらなかったという。
       
日本人は翻訳が大好きだ。
      
翻訳という作業を経ずには何事も評価されないし、このプロセスが安心安全であることをとてもよく知っている。
        
中国から漢字を学び、翻訳をし、ひらがなカタカナまで発明し、多様な言語文化を創造した。
      
この翻訳力が西洋から本格的に近代医学が入ってきたとき、どれだけ貢献したことか。
        
しかし、翻訳というプロセスを経ずに直接学問をしてしまった北里柴三郎や野口英雄を東大は迎えようとしなかったし、山極勝三郎もノーベル賞を取れなかった。
        
翻訳するというのは、お手本について学ぶということ。
        
お手本がないと不安で不安で仕方がないが、お手本さえあれば、お手本を超えるほどの精度を発揮する。
       
こういう力を発揮してここまで豊かになってきたのだから、これでいいじゃないか。
       
いわゆる舶来のイノベーションや独創性なんてもので日本人を図るから本当の独創性がないと思うのだし、本来の独創性も発揮されない。
       
日本人は不幸だというが、それは日本人の幸福感とは違う尺度で測るから不幸なのだ。
       
いやいや、健全な不幸があるから幸せなのかもしれないけど。

【板の間に正座する天皇】

 

平成最後の今上天皇陛下の一般参賀。
思えば、今上陛下は、歴史上の天皇らしい天皇陛下であられた。

神話の時代、戦争が起きた後、神代の天皇は各地の荒れた田畑を踏み固めて回り、復興を促したという。
昭和天皇が御巡幸と称して、戦争で荒廃した人心と国土を踏み固め、新たな国土作りに最晩年まで執念を燃やされていたのは、このことに由来する。

敗戦後、人間宣言によって見掛け上は近代的な立憲君主となった様に見えるが、この様な点においては極めて伝統的な姿を復活させたとも言えるし、改めて天皇と国民との関係を再構築したと言えまいか。

そして今上陛下は、先帝の例にならい、災害がある際には可能な限り荒廃した地と人々の心を踏み固め癒して回ることに心血を注がれている。

この御活動の効果は絶大であると思う。

例えば、東北の大災害に御心を痛められた陛下は、ご訪問に先立ち、平成の玉音放送で広く国民に団結と助け合いを呼び掛け、後に被災地をご訪問された。

これ以前、各党の国会議員が訪問したが、残念ながら批判と非難の言葉が上がっていた様に思う。
しかし、両陛下は被災地をご訪問なさると、もっとも犠牲者の出た港にすうっと向かわれ、そろって黙祷なさり、その後、避難所に向かわれた。
美智子皇后陛下は、移動のバスを降りるなり、「怖かったでしょー、みんな声出してね」と言われて飛び出す様に出迎えた被災者に手を差し伸べられていた。
避難所での天皇陛下は、畳の上におもいおもいに座る避難民に対して、板の間に直に正座られ、にこにこと話を聴いておられる。
この後、続々と皇族の方々が現地の避難所にお出向きになられ、同じ様に黙祷し、正座してじっと話をお聴きになっていた。
以後、国会議員が現地に入る際、両陛下がなさった様に行動する事で、ささくれた言葉も少なくなった様に見えた。
この事によって、過酷な生活を強いられていたにも関わらず溜飲を下げた方も多かったのではないだろうか。

畏れ多い事だが、危機対応として、これ以上のものはないと思う。
災害があった際には、早期に然るべき立場のものがステートメントを発する事が重要である事は、以後の心のあり方を決定する。
また、危機対応として現地に赴き、どの様に接したら良いかの道すじを示す事は、早期に心の中のオリを洗い流す道すじをつける事になる。
両陛下はまさに国内最高のカウンセラーではないだろうか。

では、なぜ、陛下はこの様な対応をなさる事ができるのだろうか。

歴代の天皇だけが行うもっとも過酷とされ秘中の秘とされる祭礼に「四方拝」というものがある。
事前に入念に禊ぎをされた後、新年の深夜、東西南北それぞれの神に向かって最高の礼服をお召しになり、板の間に正座して「災いや疫病や災害が起きるならば私の身体を通って行って欲しい」という意味の祈りを捧げるのだという。

被災地では板の間に正座され被災民の話を聴き、新年には同じく過酷な祈りの祭礼をなさる。

陛下にしてみたら、共に同じなのではないだろうか。

今上陛下は、象徴としての天皇を国民とともにある事と受け止められ、淡々とご公務をすすめられてきた。

これは板の間に自らすすんで正座なさってでも、なさろうという強い決意によるものだ。

これは神話の時代から続く皇室の伝統であり、両陛下がお繋ぎになられたことは時代が変わっても続くだろう。

世界最高峰の権威の内実とは、この様なものだと思う。

スピノザって、面白いわぁ。

        

何が面白いかといえば、真理についてのところ。

 

その前に、スピノザって誰よという話を少し。

17世紀のオランダの哲学者で、ホッブス・デカルト・ライプニッツなんかとほぼ同世代。

 

主著はエチカ。

 

思想としては、かなり独自路線を貫いていて、神は自然と同等の秩序であるという汎神論を唱えてます。

 

これがどういうものかといえば、神は自然≒宇宙であり、人間もこの自然の秩序の一部であるという考え方を取ります。

 

ということは、人間にも一定の秩序というものがあり、精神も身体も一つの秩序の中で統一的に理解されるものという考え方を取ります。

 

これは相当異端な考え方で、カトリックにしてもプロテスタントにしても、神は人格を持つと考えているのだし、自然は神が創世記にあるように自ら作ったというわけで、そういう区別というものがあったわけです。

 

ところが、全て秩序という点で一緒だというわけですから、そもそも創世記もイエスキリストも成立しなくなっちゃうわけです。

 

これは大変なことで、彼は生前本を二冊しか出せなかったし、しかも発禁処分になっているわけで、いまでいえば、オーム真理教より危険な思想だといわれていたわけです。

 

しかし、彼は自説を曲げないし、すっごい頑固で、ひたすらエチカという本を書き進めていって、死後友人たちによって出版されて今日に至るということです。

 

真理が私たちにとってどういう風なものかということを考えている。

 

なぜかといえば、真理とは何かという問いは問題ではなく、真理は自ら真理であることを私たちに語りかけてくるという。

 

「あぁ、わかった ! 」というわけ。

 

この体験がすごく大切なんだというわけです。

 

しかも、この体験というのは、個人の中には明確に確実なものとしてあるのに、うまく説明できないw

 

???

 

よく言われるのは、自転車の乗り方をいくら説明してもらっても乗れるようにはならないけど、一生懸命自分で練習すると、どういうわけか乗れるようになる。

 

しかも、これは確実に乗れるのだけど、人には説明できない…。

 

それと、自分の変化に応じて真理は語り掛けてくるというのです。

 

子供のころには美味しいと思えなかったウニの塩漬けw

 

どういうわけか、大人の味覚にはとても美味しい。

 

変でしょww

 

私たちの普通の考えを明確に語ったのは、ほぼ同時代のデカルトです。

 

デカルトにしてみれば、確実な真理というのは、明確に語り得るものであり、誰でもが理解できると考えているわけです。

 

スピノザにしてみれば、人は成長するし、変化するものだと考えているわけですから、いずれわかるかもねということを言うわけです。

 

デカルトはそうは考えない。

 

ちゃんと考えれば誰でもわかるでしょ! というわけです。

 

デカルトは教育ママさんみたいですねw

 

スピノザはどうも、人をよ~く観察して、人の考えの原理と取扱説明書を作ろうとしたんだと思う。

 

だから、彼の主著はエチカ(倫理学)という。

 

面白いですねぇ。