きほどヤフーニュースを見ていたら、気になる記事を見つけた。




メジャーリーグで303勝をあげたランディ・ジョンソン元投手が来日した際、その目的がなんとロックのCDを買うためだったのだという。




ええ?ロックのCD?だったら本場のアメリカになんぼでもあるだろうに――と思いそうなところだが、実は浜松に世界的に有名なCDショップがあるのだという。Kentという名前のそのショップに、このジョンソンさん、何と過去に2度足を運んでおり、今回が3度目の訪問だったのだそうだ。



びっくりするのは、その店のある場所。浜松の市街地から北へ5キロほど離れたところにあるにもかかわらず、世界中のマニアの間で知られているそうで、ジョンソンさんに限らず、特殊なロックのCDが好きな人が世界中から訪れているに違いない。



この記事、というか、この話には地方で活性化に取り組んでいる人、あるいは取り組もうとしている人にとって非常に大きな示唆が含まれている。




その示唆とは、「キラー・コンテンツ」をつくることの重要性だ。「キラー・コンテンツ」とは、つまり、「他に真似のできない、他の追随を許さないモノ」ということであり、それがある限り、人はそれを求めて世界中からどこへでもやってくるということだ。



以前にも本ブログで書いたとおり、地方ではアクセスの悪さをハンデとして指摘する人が多い。たとえば、わが地元の場合、空港からのアクセスが悪いことを嘆く人が多い。「空港から2時間もかかりますからねぇ…」――そのセリフを聞かされるたびに自分はやんわりと反論することにしている。



その反論とは「いえ、お客さんによっては、それがハンデどころか魅力になることだってあるんですよ」。そう言うと、たいてい、地元の人は「ええ?そんなのあり?」といった反応を見せる。



でも、実際そうなのだから仕方がない。



以前、オランダ人の知人がやってきたとき、空港からわが町までの2時間がなんと楽しかったことか。まずは空港付近の新緑(5月に訪問)に驚き、空港から南下して見え始める桜島の雄姿に感動し、さらに垂水の道の駅で体験した足湯やそこで食べたアイスクリームのうまさにも大満足。とにかく、2時間の行程にさまざまなドラマを演出できるわけであり、わが地にやってきた旅人は、その一つひとつに感動してくれる可能性があるということなのだ。


大事なのは、彼らにとって感動を呼ぶような物語をわれわれの側がつくれるかどうか、ということなのだ。



その意味で、アクセスの悪さなど、ほとんど意味をなさない。




もっと簡単に言えば、たとえば、ここにうまいと評判のラーメン屋があるとしよう。しかし、そのラーメン屋があるのは山奥の集落。アクセスだけ見たら、とんでもなく悪い。




しかし、だ。そのラーメンが本当にうまいものであり、さらにマスコミ等で宣伝されたとするなら、遠方からのお客も含めて、たくさんの人がそこのラーメンを食べに来ることだろう。



要するに、キラー・コンテンツさえつくれれば、アクセスなど関係ないということをここでは指摘したいのだ。



残念ながら、地元での動きも含めて、金とエネルギーをそうしたキラー・コンテンツづくりに費やすより、手っ取り早く他でやっていることを真似してやっている事例が多いような気がしてならない。



もちろん、キラー・コンテンツとは一朝一夕にできるものではない。まずは、相当な勉強が必要になるし、また、頭の柔軟性も必要となり、何より新しい視点で地元をとらえるという力が必要になってくる。



でも、あえてその難しい課題に挑まない限り、本当の意味での「人を呼べるネタ」はつくれないのだ。




自分が3年ほど前に地元に戻る決心をした際に考えていたのが、まさにこのキラー・コンテンツをつくりたいということ。残念ながら、いまだに構想の域を出るものではないが、いつか、ときがくれば、現実社会において実現すると信じて疑わない。




どんなキラー・コンテンツをどうやってつくっていくのか――これはすべての地方に課された難しくてエキサイティングな宿題なのだと思う。