炊飯器!
マスターは昭和32年の生まれです。
その当時、御飯は何で炊いていたのでしょう?
母親の田舎では、へっついさんで炊いていました。
カマドの事を、関西ではへっついさんと言うのです。
田舎では今でもへっついさんは現役です。
そのへっついさんに薪を入れて、新聞紙で火を点けていました。
おばあちゃんが、竹の棒でフウフウ吹いていました。
薪は、裏山で集めていて秋にはマツタケが沢山生えるマツタケ山でした。
御飯を炊いていたごつい釜は下駄の歯のような木の蓋が付いており、鍋の王様と言うような堂々とした感じで、UFOみたいな鍋でした。
その当時、御飯を炊くのに・・・初めはちょろちょろ、なかぱっぱ、赤子泣いても蓋とるな・・・と言っていたように記憶しています。
お変わりの時「ちょっとでいい」と言っても、
おばあちゃんは「男の子はう~んと沢山食べやな!」と言って、白い御飯を山盛りついでくれていました。
お代わりしたくない時は、御飯を少しだけ残しておいて、おばあちゃんがよそ見してる時を見計らって、食べると同時に席を立っていました。
背中で「○○さん、もういらんのかね?」と言う声を聞きながら・・・。
おばあちゃんは、御飯をよそう時「え~か~!お米は8十8と書く、お米を作るのに88人の人手がかかっているんやで、そやから残したらいかんのやで、罰があたるで!」と言うのが口癖でした。
おばあちゃんは、皆が白い御飯を食べた後の釜の底に残ったおこげの所を「もったいない!もったいない!なむあみだぶつ!」と言いながらいつも食べていました。
しゃもじで取れないおこげは、お湯を入れて擦り取って綺麗に食べていました。
そういう姿を見て育ちました。
おかげでいまでも御飯は絶対残しません。
茶碗に御飯粒ひとつも残しません。
綺麗に食べます。
小さい時、ガスがまだ無くて七輪で御飯を炊いていたような・・・気がします?
文化住宅の玄関前で、炭かな・・・練炭かな・・・火を熾していました。
その七輪でさんまを焼いたら凄い煙でした。
隣近所に晩御飯が丸判りでした。
隣近所のおかみさん達も、団扇で七輪を扇ぎながらみんな凄い煙を出していました。
その後、プロパンガスになりそして都市ガスになりましたが、何で御飯を炊いていたのかどうか記憶がはっきりしません。
気が付いたときは、電気炊飯器で炊いていました。
いつUFOのような釜が無くなったのか。
上が銀色で下の部分が黒のその釜だけは、何故か強烈に覚えています。
お店では毎日、ガスで9合炊いています。
売れ残れば、翌日のまかないです。
残る量が多ければ、家に持って帰って食べます。
けっして無駄にはしません。
おばあちゃん、言いつけ守っているよ!