名曲「勝手にしやがれ」の岩波らしからぬ失態とジュリー論に驚愕! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昨日に引き続き、岩波新書から2011年に出版された高護著「歌謡曲―時代を彩った歌たち」の話です。

 同書 は名著であるが、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」を「フェリーニの同名映画のタイトルを冠し」との記述には驚愕しましたね!

 高護さんは歌については詳しいが、映画については門外漢だったのでしょうか、岩波書店のチェックも潜り抜けたのでしょうか!

 映画「勝手にしやがれ」の監督をJLゴダールではなくてFフェリーニとしたのは、柳ジョージと所ジョージを間違えたようなものだ()というギャグを思い出しましたね。

 で、同書の「勝手にしやがれ」の項目でのジュリー論ですが、スーパースター「ジュリー」沢田研二から始まっていて、70年代について、第1期は「君をのせて」から「巴里にひとり」までの13で安井かずみ・加瀬邦彦の作品が多く含まれていて、第2期は75年8月の「時の過ぎゆくままで」から「ロンリー・ウルフ」までの15作で、阿久悠・大野克夫の作品が11曲で、船山基紀の編曲が7曲と分析。

「沢田研二の歌う物語はいつも苦悩に満ちている。どれも哲学的でゲーテのようである。これは沢田研二自身が発するものなのか、演じているのか。または制作者の意図なのか定かではないが、少なくとも70年代の沢田研二の作品はどれも苦悩に満ちあふれ、かつカラフルでポップである。この二律背反した詞曲とスタイリッシュな外観と情緒的な歌唱のギャップがジュリーの最大の魅力である。」と分析している。

なるほどねぇ、、、

 そして「勝手にしやがれ」について、

 阿久悠詞は「別れの1シーンを切り取った、ドラマとモノローグとを織り交ぜた構成が斬新である。」「描かれているのは現在進行形の情景描写なのか心情吐露なのか。時系列の不確かな七五基調のドラマとモノローグとを織り交ぜた構成を旋律で表現することは至難の業である。」

 大野克夫曲は「歌メロでありながら、器楽的で緻密なメロディを微細な符割りでまとめあげた。決め手はサビの後半に登場するアーアアーア―と八小節繰り返す箇所である」

 船山基紀編曲は「煌びやかサウンドも際だっている。BPMは141とかなり速い。」

「勝手にしやがれは大ヒットを記録して77年のレコード大賞を獲得。沢田研二に遅すぎる快挙をもたらした。」と締めくくっている。

 そうか、勝手にしやがれBPMは141だったのか、、、

 で、思いだしたのが、あいみょんが歌った「君はロックを聴かない」という歌で「僕の心臓のBPMは190になったぞ」の一節、これは速いなぁ、、、