ラジオでは、飄々としていて、いかにも悩みの無さそうな感じに思える人もいるだろうか?

…まぁ、俺のイメージなんて、俺には分からないけどね。


そんな俺だが、実は物凄いマイナス思考の持ち主で、とても適応力の低い人間だ。

今回は、自分で書いて自分で振り返る目的もあるのだが、少しでも共感してもらえれば嬉しい。


さて、あんまり大きな声で言いたくないが、今の俺は『無職』だ。バイトすらしていない。

…理由は簡単、今の状態では満足に働けないからだ。


事の発端は、今から2年前の夏頃だ。

初めての正社員として、中小企業のダンボール製造工場の管理課の1人として働いていた。

仕事内容は、製造管理。

ようするに『この種類を300個作ってください』と、現場に指示を出す仕事だ。


はっきり言うが、入社半年のペーペーが1人でやるような仕事じゃない。

…前任の人でも、慣れるのに3年はかかったと言われる役目だ。

(その人は、3月で定年退職)


俺は全力で頑張っていた。失敗もあったが、根性で乗り越えていた。

社長も、それなりに俺を買ってくれていた。周りの評判も悪くは無かったと自負している。


…だが、その頃の俺は『ある違和感』を覚えていた。


徒歩で歩いている時に、まるで坂道を登ったり降ったりしてるような感覚かな。

とにかく、「アレ?」って思う事が何度かあった。


その時の俺は、動画のうp主として『小早川ゆたかの降臨』を全力で作っていた。

ペースは結構速かったと思う。他に打ち込む趣味も、殆ど無かったしね。


しかし、そんな俺の働きを快く思ってない人物が1人だけいた。

…管理部長(社長の長兄の長男。長兄は先々代社長)である。

中小企業ってのは、基本的に一門経営が多い。要職は全て一門衆という事だ。


前々から分かっていたのだが、彼は後の社長就任が決まっていた。

そこで、全てが狂った。


人間的には仲は悪くなかったが、仕事に対する考え方が全然違った。

先代社長は、マニュアルなどは重視せずに、社員が1番働きやすいと思っているやり方を推奨してくれた。

…だが、若き新社長は、それを撤廃した。


ここで、俺の嫌いな言葉を教えよう。


『迅速かつ丁寧に』という言葉だ。


矛盾していると思わないか?

速くやろうと思えば、ある程度の粗が出てくるのは当然。

逆に、丁寧にやろうと思えば、効率が落ちるのも当然だろ?


俺の仕事は、基本的にスピード勝負だ。

やる事が多すぎるので、力の入れる所と抜く所の判断力が求められる。

…最初のうちは、全部丁寧にやっていたが、終わったのが20時過ぎなどザラだった。(定時は17時)


仕事ってのは慣れてくると、次第に『ここの項目はあまり重要では無いから流し読み程度で良い』

とか、そういう事が見えてくるはずだ。

それで、作業効率を一気に上げて、いくら遅くなっても残業1時間程度で帰れていたのだ。


…しかし、自業自得かもしれないが、それが新社長の目に止まってしまった。

結果は出ている。トラブルも無い。だが、とことん気に入られなかった。

しかも、彼は『直接的』では無い人間だ。言い回しが非常に狡猾。


こうなってしまうと、立場は非常に苦しい。

次第に追い詰められ、何か仕事をこなしても、確実に疑いの目で見られるという屈辱も味わった。

…そう、元々無きに等しかった信頼が、完全に不信に陥ってしまったのだ。


その頃から、過労を疑い始めた。

疲労回復の為に、整体に通ったりもした。

ちょっと、慣れない事が続いて疲れているんだと。

動画の更新ペースも、少し落とした。


そんな俺は、気分転換をしようと、有給をかなり強引に取得しての東京旅行を計画し、実行した。

だが、この事実上の逃避行が、俺の精神を相当なまでに蝕むという、皮肉な結果に終わった。


分かってしまったのだ、今の自分が非常に不安定であると。

精神的にガタガタで、どうにもならないと。


愛知という地元から離れすぎた事で、不安が募っていたのも引き金だ。

(本来ならば、東京は第2の故郷であり、慣れている場所だ)

ネカフェに宿を取る。…が、全く眠る事が出来ない。


元々、俺は『枕が変わると寝付きが悪くなる』という、どこかのおっさんみたいな人間だった。

…だけど、悪くなるだけで眠れないなんて事は無かった。

今回ばかりは違った。もう、一睡も出来なかったのだ。


そこで俺は思った。もっと落ち着ける空間ならば、眠れるかもしれない。

東京時代の友人を頼り、そこで泊めてもらう事になった。

敢えて書くが、俺は泊めるのは好きだが、泊まるのは気が乗らなかった。

…つまり、既にそれほどまでに追い詰められていたという事だ。


結果は、お察しの通りだ。

…またしても、一睡も出来ない。もう2徹だった。

はっきり言おう、初めて本気で死ぬかもしれないと思った。


そして、鉛の様な体を引きずり、愛知に戻った。

帰りの新幹線で、ほんの数十分だけ仮眠が取れたような気がしたのが、幸いだった。


さて、有給は確かに社員の権利だ。

…だが、誰もが公平に行使出来ると思ったら大間違い。

俺の仕事は管理課の事務仕事だ。

そして、中小企業故に代役が誰もいないのだ。(いるとしても、屈辱的な事に新社長。←しかもお世辞にも上手いとは言えない)


ボロボロの逃避行から帰ってきた後の俺の扱いは…想像が付くだろう?

慰安旅行もへったくれも無い。裏切り者に母国の風は冷たい…って所だろうか。


そして、遂にやってしまった。

…仕事中に、急激な体調不良を覚えて、強引に会社を抜け出し病院へ。

新社長には『1時間で戻る』と言い放ったが、どう考えてもそれが無理なのは明白だった。

結果は、病院でダウン。救急車を呼ばれて、市民病院へ搬送された。


…しかし、病名など無いのだ。

強いてあげるならば、自律神経失調症にして、うつ状態と言った所か。

入院する必要も無いのだから、そのまま簡単な診察だけ受けて家に帰された。


その後、会社側に多大な損害(事実上の職場放棄だから何も言い返せないが…)を与えてしまった俺。

…加えて、俺は『入社半年のペーペーに、入社30年越えのベテランと全く同じ事は出来ない』と言い放った。

そう、最後の望みは『前社長のやりかたでやらせてくれ』と懇願する事だった。


結果は目に見えてるだろ?『会社都合による失業』さ。

ここはね、俺は事前に親父と相談していた。

「恐らく、お前はこの会社に居座る事は出来ないだろう。ただし、自分の口から『辞めます』とは絶対に言うな。何としてでも『会社都合』で『辞めさせられた』という事実を作れ」…と。


理由は、失業保険だ。

『自分の都合で退職』と『会社の都合で退職』では、扱いが全然違うのだ。

後者ならば、入社半年で支給対象に含まれる。そして、即座に支給が始まる。

しかし、前者の場合は入社最低でも1年は必要だったはずだ。そして、支給も3ヵ月後からとなる。


…そう、自分から辞めると言った場合は、俺は失業保険を全く受け取れなくなるのだ。

自分の希望が受け入れられないと分かった俺は、作戦を切り替えた。

そして、何とか『会社都合』という既成事実を手に入れたのだ。


自分でも驚くくらいに、適当な事を言ったと記憶している。

だけど、この切り札だけは覚えている。

それは『労災』である。

…これを臭わせたら、途端に対応が変わったのだから不思議なものだ。

(労災認定なんてされたら、その会社は酷い会社というレッテルを押されたようなものだ。…特に中小企業にとってイメージダウンは致命的である)


解放されたと思った俺。

…だが、ここからが本番だった。


軽いウォーキングの途中で、いきなりダウン。(貧血と思ったが、違ったようだ)

家の付近の道を一周しただけなのに…。


寝ている時に、突然発作のような動悸にも襲われた。

…しかも、1度や2度じゃない。


そして、家に戻ったというのに、相変わらずの不眠症。

体はボロボロなのに、精神的にも疲れている。そして、眠いはずなのに。

殆ど眠れないのは、どういう事なのだろうか。


こうなると、疲労も蓄積されるので、趣味のパソコンもまともに出来ない。

食べる事と寝る事以外は、テレビをぼーっと見たり、音楽をだらーっと聴いたり…。

…何とも無気力になってしまった。だが、そのくらいに気を抜かないと、どうにかなってしまいそうだった。


そして、精神科に行く。

カウンセリングなんてものを初めて経験したような気がする。

…言い方悪いが、精神科の仕事はカウンセリングで色々と悩みを聞いて、それに効きそうな薬を出す事だ。

聴診器付けて云々なんて、まずしない。持ってすらいないかもしれない。


その結果、俺には睡眠薬3種類と筋肉の緊張を解す薬、そして気を楽にする薬を受け取った。

そして、薬に頼りながらも、俺は少しずつ日常生活に戻っていった。


バイトの面接には、現在進行形で連敗を続けているが、社会復帰も見えてきた。


…しかし、それから2年後の今も、まだ完治したとは言い難い。

未だに、外出をすると調子が悪くなる事がある。

すぐに家に戻れないという不安だ。このままでは、引きこもりになってしまう。

原因は、家から歩いて10分くらいのコンビニの帰り道でフラフラになったから。

外出をすると、またこうなる!っていう潜在意識が未だに根付いているのだろう。


そして、リハビリを自ら計画した。

錆び付いていた自転車を現役復帰させて、1日1度は軽いサイクリングをしようと。

肉体的にも程よい疲労感を与えてくれるだろうし、安眠にも繋がると思った。


今年の目標は、社会復帰である。

その為には、外に出ても調子が悪くならないようにしないといけない。

…精神面を鍛えるというのは、身体を鍛えるよりもずっと難しい。

特に、俺はマイナス思考が強くて、結構トラウマに脅える方だ。

上記のコンビニの件なんて、まさにそれだろう。


とりあえず、波はあるが今は比較的落ち着いている。

毎朝ラジオをやるようになったり、架空戦記の更新を再開したりと、結構精力的だ。


まぁ、やってる事は完全にインドアなんだが、何も出来ないよりはマシだ。

…いつまでも、このままじゃいけないのは分かってる。

だけど、無理をしたら…また最初からだ。


何とも気難しい身体を付き合う事になってしまったが、代わりは効かないので仕方ない。

とりあえず、焦らず一歩一歩。

次は、あれから控えていた名古屋遊びでも再開しようかな?


良く分からない文章だったかもしれないけど、俺の2年前からの現状は理解してくれたと思う。

…俺だけじゃないさ、みんな色々あるんだ。

世の中には、完全に『うつ病』なのに、仕事を続けている人も沢山いるだろう。

所詮、俺には甘えが多々残っていて、弱いにも程があるという事だ。


まぁ、こんな暗い話はここまでだ。

次回からは、しっかりと明るい話を送り出すから、楽しみにしていてくれよ!!