3月2日

 人はみな歴史街道の旅人である。

 私たちは遠く何千年も前から、人類の歴史という道を旅してきている。はるかな遠い昔から、親から子へ、子から孫へそしてその又子供へとリレーのようにバトンを渡しながら、一つの道を歩いてきたといえよう。

 面白いことに、一人ひとりの旅には必ず終着駅がある。それ以上に前には進むことができない、終わりの日がいつかは知らないが、確実にくる事だけは真実である。

 このようにして「生きるという旅」の終わりには、自分が父親や母親から受け取ったバトンをいやおう無く後に続く者に渡さなければならないのである。それは理屈ではなく、全ての生物が営んでいる生命活動でもある。

 人間以外の他の動植物はこの行為を本能として発揮しているだけである。彼らにはその環境を自ら変える力は無い。まさにあるがままである。

 これに反し、科学と言う名のもとに、人間はその拠って立つ自然環境までも変える力を持った。

しかし、その環境への対応が今まさに問題となっている。どうかするとマンモスの牙ではないが、人類を破滅に導きかねない要素を内包しているようにも思える。

 もし間違って、そのような破壊的な方向に文明がいくなら、後に続く子孫の繁栄と幸福を願ってバトンを渡し続けてきた、私たちの先祖はなんというだろう。又、私たちがその幸せを祈って、ガンバレよといってバトンをこれから渡す子供達に

「先輩はなんてヒドイことを地球にしてくれたんだ」

と言われないようにする義務があると思う。

 それが、永遠に続くべき「人類の歴史の道」を旅する者のつとめである。そして、その道を旅する者の守らなければならない最低の義務であろう。

 すなわち、ゴアの言う温暖化の阻止のため

「一人ひとりが、自分には何ができるだろう?」

ということを考え、そして行動に移す時であるということだろう。

 たとえばエアコンの温度を一度でも調節するとか車に乗る回数を減らすとか使わない証明は消しておくなどなど、身近なところにできる対策はあるようだ。

 今日で、何度かにわったて書いてきたこのシリーズはおしまいにするが、ほんとうに子供達にきれいな永遠に続く素晴らしい地球を、何とかして残してあげたいものだと思う。