この世の端

この世の端

恐い話を書いています。短編と長編を細々と。怖いと良いんですけど。

時々音楽時々ホラー、時々映画時々小説時々現実逃避、
という脳みその掃き溜め場所

だからこの世の端でよいのです。ただの日記だし

Amebaでブログを始めよう!
 自分の日常をブログに書くのは最近なんとなく違うかなと思って書いてなかったんですが、この日だけは特別なので書いてしまいます。
 解散から8年経ってはっきり云って復活すると思っていなかったバンドが復活して、半信半疑で夢かと思って日々を過ごして今日を迎えました。
 1日目のライブが終わった今でも夢の中にいるような不思議な感覚で、だけど今まで過ごしてきた一日が確かにあったのだな、と同時に思いました。
 8年間、長いです。日々の出来事に忙殺されてあっと言う間に過ぎた気がしますが、あの日からと考えると、その長さを思い知らされました。
 だからこそもう一度出来たのかな、とも思うし、メンバーがずっと続けてきた活動全てが結果としてここに行き着いたのかな、と思うと感無量です。結果論としてその全てがこの日のためだったのかと思えるような錯覚、その空間、さま当たり前のような過去の景色。
 久し振りに過去というものを意識した瞬間でもありました。
 失ったものなんて本当は何一つなくて全てが積重ねられた結果日々は続いていく。今自分があることも死なずに生きてこられたことも、全部は終わりに向かっていく一つの通過点に過ぎなくて、きっと最期に見る景色を見て初めて生きてきたことの意味を理解するのかな、と。
 そんなことを考えさせてくれるバンドだからこそ、未だに忘れられずにこうして今活きている、と思います。

 生きてこられて良かった。このバンドを知っていて良かった。支えが彼らで良かった。そしてもっとも責任を感じ続けて走ってきた彼らに、数えられないほどの感謝を。

「セピア」はようやく過去に区切りがつけられたことを確認しているようで、それが何かを予感させているような気がします。
 また明日へ、確約のない世界の先を、楽しみに出来ると信じて。

さて、寝ます。
 田中恋音は、朝の池袋の街をさ迷っていた。何故池袋なのかは、よく覚えていない。ああ、偶々誰かが遊びに行くというのを聞いていたのか。そう、玲菜、小学校のとき一緒だった・・・。秋月玲菜が遊びに?違う。その彼氏が、新しい彼女と遊びに行くらしいって、そんな話をしたんだっけ。玲菜、玲菜もなんか知らないけど死んだみたい。はは、俺の周りの奴らは皆死んでいくのかも。
 寒い、寒い?そうかもしれない。
身体はだるく、重い。どこに行きたいわけでも何をしたいわけでもなかった。何の目的もなくサンシャインの建物に入り込み、洋服屋を見るともなしに見ていたら子供服が目に飛び込んできた。生まれなかった子供は女の子だった。彼女はふらふらとベビー服のコーナーに入り洋服を見ていた。これぐらいの大きさになるんだ。小さい。でも、俺の子は?
 小さすぎて流れた。
 涙があふれ出そうになる。彼女の様子を怪訝そうな顔をしつつも無視しながら一人の女性が服を見ていた。その傍に、ベビーカーがあって、赤ちゃんが寝ていた。彼女はそれをじっと眺めて、
「何をするの!?」
 悲鳴じみた声に我に返った。赤ちゃんの身体に手が廻っていた。
「ち・・・違!」
 言葉にどもりながら慌てて店を飛び出した。走って、走って、階段を駆け上がって地上についた。外の空気がなんだか変だった。周りの人たちが人殺しがどうとか言っていた。
 ああ、だったら殺してくんないかな。
 そう思った。
 ただ、それも、稲光のあとに急速に収束したらしい。なんだ。つまらない。
 死体とか見たいやつの気が知れない。
 人の行く方角とは反対を歩いた。そこに、何か、とても小さいしみのようなものが空中に浮いているのを見つけた。
 何だろう。その黒いものは弱弱しかった。黒いもやから声が聞こえるが、よく聞こえない。何故だろう。それを、受け入れていた。
「唯、お帰り」
 子供につけようと思っていた名前をそれにつけた。
 それは赤ん坊の形を見る見る形作っていった。
 夢でもいい。その子を抱きしめていた。











Channel11 第一幕「死願者」完結



・・・「Channel11 第二幕「ソウシソウアイ」に続く
 河原に、土手に、鮮やかな赤が咲く。真っ直ぐに伸びた茎が枝分かれし、花をいくつも咲かせる。冠のようだ。
 黄金色の黄昏時、河の波がきらきらと輝くなかで、友人はその花を手折った。
「小学校ぐらいでしたかね。あまりにも綺麗な花だったために、つい摘んでしまったのですよ」
それはどこかにある公園で、レンガ造りの水道橋から水が時々流れ出る、文化財として貴重な建造物があるところだったそうだ。
煉瓦の橋からきらきらとした水が噴出すのを物珍しげに見つめていた友人は、そこにある不可思議な花に吸い寄せられた。普通の花は中央から放射状に花びらが縁取られるが、それが異なっていたから、らしい。桜、薔薇、向日葵、朝顔、秋桜、菊、小学生が良く見る花とは確かに異なる。真っ直ぐな茎には葉はなく、中央で幾つも枝分かれする細い花びらがくるりと反り返り、おしべ、めしべがすっと、上を向いている。私は花冠のようだと常々思っていたが、友人は少し違った。
簪のよう。
「咲いた花を摘もうとしたら、母に叱られましたよ」
「不吉だから?」
「いいえ。咲いた花はすぐに枯れてしまうから、代わりに蕾のついたものを持って帰りなさい、と」
 根がなくても花は咲くのだから。
 友人は花が開くのを楽しみに待っていたという。
 ある晩、友人は夢の中で彼岸花の咲く公園を歩いていた。
「それが、周りには誰もいなくて、私一人公園の中を歩いているのですよ」
 友人は少し不気味に思いながら、同時に両親の姿が見えないことに不安を覚えながら只管中を歩いていた。歩いていった先が、見覚えのあるような、ないような。
 諦めて歩くのを止めると、そこは彼岸花が咲き乱れた一角だった。
「いや、あの公園、そこまで花は咲いていなかったはずなのですが」
埋め尽くさんばかりの燃えるような紅い花に圧倒されていると、誰かの視線を感じた。
「それが足元から、なんですよ」
 見ると、そこに、草や土ではない、明らかに異質な白い、青白い手が見えた。その視線の先に、目を見開いた女の顔があった。長い髪が花に絡みついていた。女は、白い着物を着ていた。
 明らかに死んでいる。
 友人はそう思ったそうだ。
 口から、目から血があふれ出ていたからだけではない。生気が感じられない。だが、死んでいるはずなのに
「私を睨んでいたのですよ」
 怖くなって、その女が動き出しそうで、
「逃げ出しました」
 走っているうちに、やがて世界が真っ白になって
「目を覚ましたのです」
 夢の中でしたが、心臓が音を立てて動いて、本当に走っていた気にさえなりました。
起き上がって水を飲もうとしたところで、水差しの彼岸花が咲いているのに気がついた。
「それはなんとも、不思議な話だね。それで、また君はこうやって花を手折って試してみようかと思っているのかい?」
「ふふ、それはとっくに検証済みなのですよ」
 にぃっと笑うその顔に不吉な印象を覚えながらも私は友人の手元にある花に吸い寄せられた。風に揺られて花びらがさざめく。
「小学校の頃の出来事です。ただの悪夢に魘されただけ。その前に怖い本でも読んだのかもしれない。成長するにつれてそう思うようになって」
 好奇心が擡げたのです。
 友人は、今度は一人で公園に行ってみた。ちょうど、涼しい風が吹くこんな時期に。
 中学生の時だそうだ。
 彼はまた蕾の花を手折ると家に持ち帰った。
「いけませんねえ。刷り込みでしょうか、思い込んでしまったのでしょうか、やっぱり、出てきたんですよ。それが」
 友人は、ああ、またこの夢か、と今度は思った。女は映画に出てくる幽霊のように自分を追いかけてくるだろうか、物陰から。そう思うと一刻も早くこの公園から抜け出さなければ、あるいは、この夢から醒めなければ、と焦った。
「夢と分かっていても、追いかけられるのは嫌ですからね」
 それにほら、夢で捉ったら現実世界でも死んでしまうとかそんな怪談もあるじゃないですか。
 だが、夢から醒めることも、公園から出ることも出来なかった。あてどなくふらふら歩いていると、また、紅い花園に出た。しばらく歩いて、やはり、視線を感じる。
 足元に、横たわる女がこちらをじっと見上げている。死んでいるのに。血の気が失せているのに。だけど、
「都合のいい解釈があるものです。その人の顔が、今度は、ひどく悲しそうに笑っているように見えたのです」
 私は何故か悲しくなって、泣いていました。
 そして、目を覚ましてもやはり、泣いていたのです。あんなに現実的な夢を見たのは初めてでした。そして、やはり摘んできた彼岸花は咲いていたのです。
 友人の話に、考えた。一回だけならただの怪談、二回目で同じように夢の続きで追いかけられればそれもまた然り。だけど悲しい、とは。まるで、この話は前世の記憶だとか、そんな類の話のようだ。彼岸花の咲く公園で、女を殺めたのか。あるいは、かの花にある毒を持って女を殺害したのか。
 そう思っていると、友人が私の考えを察したかのように口を開いた。
「私も不思議に思いました。家系の中に因縁めいた話があるのかとそれとなく探ってみたのですが、事件に関わるような話は出てきませんでした」
平々凡々な百姓の家系ですよ。最も、さらに歴史を辿れば違ってきたかもしれませんが。
 友人の頭にそれがこびりついて離れず、気にかけて数年が経った、らしい。
「成人してしばらく経ち、夢のことも忘れかけていたのですが、テレビで彼岸花の特集をやっていて」
 好奇心に負けました。
「私はやはり花を摘みに行って」
「夢を見たのか?」
 その女は、今度は友人に何を訴えるのだろう。恨み言だろうか、それとも事件の話だろうか、彼の前世の名前でも呼ぶのだろうか。
 私の問いに、友人は首を横に振った。
「花を摘もうと歩いていたら、夢の中の開けた場所に出てきたのです」
 夢と違って人は歩いていましたけどね。
 友人はここで花を摘めば真相が知れるだろう、と思い蕾を探した。
「ほとんど咲いていたので、なかなか難しかったですよ」
 日のあまりあたらない場所で、ようやく蕾の花を見つけた。
「摘もうとしたところで」
 その、幽霊が出てきたのだろうか。現実に。彼を彼岸へと誘おうとしたのだろうか。
「視線を感じました」
 やはり、とうとう、その女は友人を捕らえたのだろうか。罠を張って。だが、そうなるとここにいるのは、まさか。
「幽霊ではなかったのです。生きている女性が、私と同じように花を摘もうしていて、お互い気付かずに」
 手が触れ合って驚いて相手を見た。同じように、向こうも驚いた顔をしてこちらを見た。
「察しがいいですね。そうですよ、私は二度驚きました。その顔が、あまりにも、夢の女とそっくりで。生きている以外は」
「向こうもそんな感じだったのかい?」
「いいえ、彼女は気付きもしないで私にそれを譲ろうとしました。だから、手折りました。その女性ともども」
 私は呆然とした。そうか、彼は随分早く結婚し、私とその友人たちは唖然としていたのだ。
 女の気配すらなかった。付き合っているという話も無かった。しばらく音信不通にしていて、ある日ひょっこり招待状が届いた。
 彼の奥さんは実に可憐な人だったので全員で冷やかしたものだ。
 私はごくりと生唾を飲み込んだ。
「それで、こうやって花を摘んで、同じように夢は見るのかい」
「いいえ、それ以来ぱったり」
 微笑む彼の横で、私は不吉な影を感じずにはいられなかった。もし、それが未来の話であったら?彼が彼女を殺めてしまったら?そのために花を・・・。
 それは、私の考えすぎのようで、彼らは円満な家庭を築いている。
 今のところは。
(終)
 夏休みが終わったからといって、夏が過ぎ去ったわけではない。学校はまだ冬服ではなく夏服での登校となっている。だが、冷える。素肌を晒した二の腕から鳥肌が立ってくる。ぶるりと体を震わせた。
 学校に着いてしまえば暑い。ジャケットなど持っているだけで暑い、邪魔になる。帰りは太陽が高いうちに戻るから同じく暑い。冷えるのは、この早朝の、ホームで電車を待つ時間の時だけだ。
 駅には私一人しかいない。いないというのは、駅員も含まれる。ここは山中にぽつんとある無人駅だ。切符を買う場所すらない。ホームも、一、二両編成の電車しか停まらないために短い。
 見渡す限り、私一人だ。
 それを意識すると怖くなる。いや、まだこの状態であればそこまで怖くはない。静寂のなかで木々の葉ずれや、水の流れ、動物たちが木立を揺らす音は心地よいぐらいだ。自然の中に身を沈めていることに安心感すら覚えるときがある。
 だが、これはいけない。
 線路の反対側、駅のホームの壁と屋根の間から見える山、まだ深い緑のなかにある、そこから、さあああ、と霧が落ちてくる。
 緑が白い靄に隠れ、私のところまで降りてきた。駅はすっぽりと霧に包まれる。
 霧に包まれたからといって、視界がそこまで悪くなるわけではない。先ほどと同じように緑も見えれば、線路の先も見える。息が苦しくなるわけでも、水滴がへばりつくわけでもない。
 ただ、線路の先の先、それが見えない。
 私はつい思い出してしまう。
 線路にぼんやりと立つ、黒い影の噂を。
 ここは駅員もいないから、駅を横切る人もいる。カーブもない真っ直ぐな道だから、平時であれば電車があれば気付くけど、霧の深い日には気付かないで・・・。
 あるいは、列車の到着を知らせる警報音がカーン、カーン、と赤いライトを点滅させる。その時点で渡りきってしまえばいいのだが、時折、ごく稀に、ここを通過する列車が走る。当然、スピードはある。気付けば、ものすごい勢いで・・・。
 もしくは、生きるのに疲れた人が、この無人駅で、警報音が鳴り響く中、それに急かされるように、白い霧が黄泉に誘うのを誘発するかのように・・・。
 そんな人々の残像が黒い影となって現れる、らしい。
 子供が線路を渡らないようにという怪談話かもしれないが、それが、怖い。
 そろそろ電車が来る時間だ。警報音と赤いランプの点滅。電車の影が見える。
 ふと、線路に目がいった。視界の隅に何か入ったのかもしれない。
 何か、黒いものが蠢いているような気がする。私は目を凝らした。
 その瞬間、視界が真っ赤に染まった。
 霧のように、それは私の前を過ぎて、見えなくなった。
 電車はいつものようにホームに着いた。私は定期を車掌に見せて乗り込んだ。列車が発車する。私は後ろを何気なく見た。
 見なければ良かった。
 血しぶきが、窓を覆っていた。その先に、一つ、二つ、いいえ、数え切れないぐらいの赤い影が転がり、あるいは佇んでいたのです。
 都会から電車とバスを乗り継ぎ、山深い道を分け入った先に、祖父母の家があった。
 古い木造家屋の家は、鉛筆を削ったあとのような堅い板塀の匂いと、熱と埃によって温かみを与えられたような甘いにおいが混在していました。裏玄関は入ってすぐが土間になっており、上り框がやたらと高いところでした。子供の私はそこに上がるために腕に一生懸命力をこめて、這うように上がっていってたものです。靴は当然脱ぎ捨てられました。真っ直ぐの板の廊下は縁側も兼ねており、ガラス戸と板戸が渡っていました。反対側は広間のようなものになっていて、普段は障子によって二部屋に仕切られていますが、宴会があると仕切りを取り払って座卓を並べられるようにしていました。その二部屋目が仏間を兼ねていました。客用の部屋があるわけではないので、私たち家族が田舎に来たときはその二部屋が寝床として用意されていました。
 吊るされた蚊帳と、寝巻きに着る浴衣が、田舎に来たのだな、と実感を湧かせてくれました。
 仏間で寝ることに気味が悪い、と感じたことはありませんでした。お線香の匂いと厳かな雰囲気が、むしろ私を安心させたものです。
 私を怖がらせたものは、それはむしろ、お面でした。
 祖父母宅には、装飾の一種としてでしょうが、お面が飾られていました。それも、ひょっとこ、おかめ、などのユーモラスなものではけしてない、翁と般若のお面です。祖父が古物商から薦められて断りきれずに買った代物だと聞いています。
 最も、親戚の一部のものに言わせると、分かりもしないのに古物収集にはまり込んで騙されたもの、の一つのようなのですが。
 それは縁側に通じる襖の上の壁に取り付けられていました。掛け方が悪いのか、元からなのかは分かりませんが、それは私たちを見おろしているようで薄気味が悪いものでした。誰かの視線を感じる、と思い振り返るとそのお面がある。黒い目の部分が、きらりと光ったような気がする。
 私は想像力が豊かな子供だったので、そんな妄想を膨らませてはそれを恐る恐る見つめていました。
 もうお気づきかもしれませんが、そのお面が置かれていたのが仏間だったのです。
 寝るときは、枕側にそのお面があります。なので、首を無理やり傾けないとお面を見上げることはありません。大人であれば、見えなければ怖いことはあるまい、と思うのかも知れませんが、子供の私は見えないことでより恐怖を感じていたものでした。
 寝ている間に、お面がさらに傾いてこちらを見ていたら、いいえ、私の目の前に不気味な二つのお面が迫っていたら。そのお面の奥に、本物の人間の目があったら。
 私は蚊帳ごしに、そのお面を恐る恐る眺めていました。親は、先に電気を消すとさっさと居間に引き返していきます。
 私は、たった一人で広い二間の部屋で寝なければなりませんでした。タオルケットを身体全体に巻きつけて、眠ろうと必死になりました。
 しかし、頭の中で怖いことを考えれば考えるほど眠気は吹き飛んでいます。電気をつけたい欲求にかられます。居間にいる両親の元に駆け込みたい気持ちになります。でも、ここで立ち上がって無防備に身体を外に出したら。それで、あのお面を見てしまったら。
 私の頭の葛藤とは別に、だんだんと思考がぐにゃぐにゃして身体から力が抜けていき、すとんと眠りについていました。
 しばらく、どれくらい経ったでしょうか。廊下の柱時計のちくたくという規則正しい音が聞こえます。どうやら、浅い眠りについていたようです。そして、何故自分が目を覚ましたのか、それに気付いて、さらに迷いました。
 トイレに行きたくなったのです。
 我慢して朝まで待とうか。それとも、親がこっちにきたらついでで起きて行こうか。いや、だけどいつまでもつか分からない。
 考えれば考えるほどものすごく行きたくなってきます。これで真夜中に行きたくなったら・・・。
 私は眠くてだるい身体をむりやり起こすとふとんから出ました。頭はぼんやりしています。蚊帳を越えて、襖を開けると暗くて長い廊下が見えます。電気のスイッチを押すと、豆電球の光がぼんやりと板の廊下を照らしました。影が見えるだけ、ますます怖さが増してきます。
 みしみしと足を踏みしめるたびに他に音がしないか、前と後ろを振り返りながら歩きます。心臓がばくばくと高くなりました。心のどこかでは幽霊とか妖怪なんているわけないじゃないか、なんて思ったりもしていましたが。
 トイレには、無事何事もなく着きました。用を足すと焦りがなくなったのか、私はさっきまでの自分がばかばかしくなりました。
 そうだ。幽霊なんているはずがない。まして、お面が何かするなんて、ありえない。
 薄明るい豆電球の光が、むしろほのぼのとした優しい色に見えました。
 そして廊下の突き当りまで来たときです。
 お面が見えました。
 襖が開いて、お面が、覗いていたのです。
 肩がびくんと跳ね上がり、頭の先から全身が総毛立ちました。
 蚊の鳴くような声を出し、真っ白な頭でどうしようか、としていると、そのお面の全身が見えました。
 それは、体がついていました。いつもとは違う、白地の浴衣を着ていましたが、両親であることが分かりました。母親は般若のお面、父親は翁のお面です。私は途端に体の硬直が抜けて、二人のもとに向かいました。
「な、なにすんだよ。脅かさないでよ。ほんとにびっくりしたんだからな」
 一歩近づきながら、私はなんだかおかしいなあ、と感づいていたようです。
 父と母は、私に正体が知れているのにも関わらずお面を外そうとしません。それに、「驚いた」とか「ごめんごめん」という言葉もありません。
 その代わりに、無言で私に近づいてくるのです。
「お父さん、お母さん、だよね」
 声が次第にか細くなります。生唾を飲み込みます。
 母の手が、私の手を掴もうとしました。私がとっさに避けると、着物の裾がべり、と切れました。私は、怖くなりました。すると、般若のお面の口が大きく開いて、甲高い笑い声が聞こえてきます。それは、明らかに母の声とは、私の知ってる母の声ではありませんでした。
 涙がぼろぼろとこぼれてきました。怖くて、怖くてどうしようもなかったのです。
「隠れとき!」
というでかい声が途端に聞こえてきました。そして、襖がびしゃりと閉められる音も。あれは、祖母の声です。
 私は、ありったけの勇気、いや、気力といったほうがいいでしょう、そんな勇猛なものではありませんでしたから、を出して元きた廊下を走ると、トイレに逃げ込みました。
 鍵をかけて、ドアの前に身体を預けて耳を塞いでいました。
 その間中、ずっと、ドアを叩く音と、女の笑い声が響いていました。そして、幽かにお経を読む声が、聞こえたような、そんな気がしているのですが、私は途中で気を失ってしまい、現実と夢が判別つきませんでした。
 朝起きると、私は相変わらずトイレで変な体勢でいました。
 トイレの明り取りの窓から、朝の日差しが注ぎます。その時、私はどんなにほっとしたことでしょう。
 恐る恐るドアを開けると、そこには誰もいませんでした。ただ、ドアにはものすごい引っかき傷がありました。
 私が、ふらふらと廊下を歩いていると、祖母がやってきました。
「もう寝えや」
  私は、仏間に改めて寝かされました。
 それから目を覚ますと、父と母は何も覚えていないようで、なんだか眠いわ、だのなんだの言っていました。昨夜のことは、全く記憶にないようです。
 そして、祖母が後になってこっそり見せてくれたのですが、般若と、翁の面が真っ二つに割れていました。そのお面の裏に、見たことのない御札が張ってあったのです。
 由来は、誰にも分かりません。ただ、そのお面は日を改めてお寺に奉納されました。
 それ以来、お面のポスターを見ると、つい、口元に目がいってしまうようになりました。その口が、大きく開いてしまうのではないか、と。
(終)
 私の小学校には、夏季合宿として遠泳教室というものがありました。ちょうど、陸と島を結ぶ距離が5キロある場所があり、その島にたどり着くのが私たちの目標でした。合宿に参加したのは全部で10人ぐらいだったでしょうか。私が一番年長だったこともあり、リーダーを任されていました。
 といっても、特別泳ぎが得意なわけではありませんでした。単に、共働きの両親がどこへも連れて行ってくれそうにないので、せめて夏休みの思い出にどこかに行った、というのが欲しかったのです。だから目標達成しよう、などという熱心さは初めはなかったのです。
 練習は朝と昼に分けて二回行なわれました。冷たい海水に徐々に慣れて、塩辛い水が口に入ってしまうのにも慣れてしまうと、泳ぐのが楽しくなってきました。
 身体が波に揺られてふらふらと浮いているような感覚は、夜寝るときもずっと続いていました。それぐらい熱心に泳いでいたのです。
 そのせいか下級生の練習にも付き合えるようになり、5キロ遠泳の参加を許可されました。
 その日は、入道雲が遙か遠くにあり、太陽がぎらぎらと照りつける、夏らしい日和でした。風はそんなになく、波も穏やかでした。
 私は上陸する島を見つめました。肉眼ではそう遠くないようにも見えますが、これで案外距離があります。不安になりましたが、とにかくこれまでの特訓を生かして、皆でゴールしたいと思いました。それに、海の上には、支援用にボートが幾つも浮かんでいます。
 大丈夫、大丈夫と思いながら海の中に入って、身体が半分ほど海に浸かったところでスタートしました。
 おしては反す波のせいか、初めは前に進んで下がって、という感じでしたが段々と波の強さも気にならなくなり、身体を海に預けている?ような不思議な感じになりました。私はさりげなくみんなが着いてきているのを確認しつつ、ゴールを見定めつつ泳いでいました。
 そして、半分ほど行ったところででしょうか。私は、目の先にある一艘の船を見つけました。どうみても、進路を中断するようにしてその舟があります。それも、小型ボートなどではなく、明らかに木造の手漕ぎボートです。誰かが放置したのか、地元の子の嫌がらせかも、とも思いました。どちらにしろ、邪魔です。少しだけ立ち泳ぎになって近くにいる船の人にどけてもらおうかと辺りを見ましたが、声が届きそうにもありません。それに、海水のせいか喉がからからで大きい声も出せそうにありませんでした。まあいいか、少し遠回りになるかもしれないけど、後ろから着いてきている子にも何かあっても嫌だし。
 そう思って、避けようと右に迂回しようとしました。
 すると、舟もすーっと右に行きます。仕方なく左側に行こうとすると、同じく左側にすーっと行きます。
 段々と腹が立ってきました。人がいないように見せかけて、誰かが操っているに決まってます。私はその舟に乗り込んで犯人を海に引きずり降ろそうと思い、真っ直ぐその舟に向っていきました。
 すると、今度は、舟が私より前に進んでいきました。
 私は、このときになって何か変だな、と思いました。
 だって、その舟は舵を前に向けたのではないのです。私に横腹を見せたまま先にひいていくのです。それに気付くと、さらに変なことに気がつきました。その舟、移動するときに、全然揺れていないのです。波は凪いでいるとはいえ、全くない、ということはないのにです。
 途端に急に怖くなりました。私は、急いで辺りを見渡しました。
 誰もいません。誰も、いえ、それどころか、目標にしていた島さえ見つからないのです。
 私の四方には海と、一艘の舟しかないのです。
 どうしよう、と思っている間に、今度は、舟が近寄ってくるのです。私は舟に背を向けて全速力で泳ぎだしました。
 後ろなど怖くて見れません。とにかく、舟に追いつかれたらどうなるか。そうしていても、島影一つ見えません。
 もしかしたら、舟のあった方角に島があったんじゃ。見落としていて、違う方向に泳いでいるんじゃ。
 沖に流されれば、見つけられなくなるのぐらい小学生の私でも知っています。後ろを向くのは怖かったですが、前には何もありません。二つの恐怖の中で、私は、舟のいるであろう方角を向きました。
 そこには、果たして、舟はありませんでした。
 どういうことだろう、と考えていた私の横で、はっきりとした、女の人の声が聞こえました。
「あなたも乗る?」
 何か、三角コーナーに溜まった生ゴミのような、なんともいえない悪臭が漂ってきました。私は、振り向いて、見てしまったのです。
 舟は、私の真後ろにありました。そして、そこから、髪のぼさぼさした女が、白目を向いたまま、青白いというよりも緑に近い色をした、明らかに生きていない人の腕をこちらに伸ばしていたのです。
 私は声も出せずにそのままそれから逃げるように泳ぎ、途中で意識を失ってしまいました。
 気がつくと、私は浜に寝転んでいました。コーチをしていた先生が心配そうに私を眺めています。海水を吐き出したような気がしたので、それは夢ではなかったのでしょう。
 先生は、不思議な顔をして私に問いただしました。
「お前、どうやって島の裏側まで行ったんだ」
 先生の話によると、私の後ろをついていた生徒が、私を見失って船を呼んだそうです。確かに、前を泳いでいたはずの私がいないことに気付くと、溺れたのではないかと慌てて周りを探したそうです。が、私は見つからない。
 とりあえず泳いでいた子達を船に引き上げて、大人たちは私を懸命にさがしていたそうです。
 見つからない、警察にも連絡を、としていたところで、たまたま釣りをしていた男性が岩場で気を失っている私を見つけて知らせてくれたそうです。
 そこは、とても小学生が泳いでたどり着ける場所ではありませんでした。
 そしてその岩場の近くには、鳥居と祠がありました。
 その年の遠泳は中止となり、翌年からは別の場所で遠泳をすることに決まったそうです。
 私は、祠の何かに招かれたのでしょうか。あの舟に乗せられていたら、と思うと今でも寒気がします。
(終)
 和室では、一列の長方形の座卓に並べられた弁当を抓みながら、親戚一同がおのおの近況を語り合っている。私はそっとその宴会場から抜け出すと、見慣れた故郷をぶらぶらと歩いた。しばらく歩いていると、後ろから駆け足で近寄るものがある。振り返ると、妻だった。
「駄目じゃないですか、施主が抜け出したりしちゃ」
 言いながら伸びをする妻はようやく親戚一同から解放されてほっとしているようだ。
「いいんだよ。うちは。俺の親父もよく抜け出していたからね」
「ああ、確かに。皆さん特に気にしていなかったみたいね。お義父さん、どこに行ってたのかしら」
「一度だけ、ついていったことがあるんだけどね」
 父親は、ここからすぐのところにある広い公園の、さらに奥まったところにある一本の桜の木に魅入っていた。私も父の見ている方角を見たが、ただ青々とした桜の木が見えるだけである。
 その父も亡くなった。お盆は家に亡くなったものが帰ってくるというが、父は、あの桜の前にいるのではないだろうか。
 公園は、日中というのに人も少なく、売店も閉まっていた。木々の間を抜ける風は熱風に近く、蝉の鳴き声は空気を圧迫させた。
 芝の緑さえ熱く見える。家に戻ればクーラーの利いた部屋と麦茶が待っているだろうに、と恨めしく思いながらも公園の奥を目指した。
 果たして、そこに前に見たような桜の木が青々とした葉を見せていた。私は、少し失望した。父が恋しいわけではないが、その後姿があるのではないかと期待してしまっていたのだ。死者が死者であることを知るのは、こんな時だ。
 一体何を期待していたのだろう、と思い背を向けようとすると、妻が「あら」と一言いうと私にそれを指差した。
 私は目を疑った。桜が、先ほどまで青々と葉を茂らせていた桜が、満開の薄紅の花を咲かせていたのだ。花びらがひらひらと風に吹かれて舞う。
 私があっけに取られて見ていると、その桜の花びら一つに白い手が伸びてきた。見ると、着物姿の、年のころ、15、6の女の子が花の下でくるくると回っている。踊っているかのように、それに魅せられているかのように。
 声をかけようとしたが、途中で思いとどまった。きっと、少女にはこちらが見えていないのに違いない。そんな少女をね見つめる背中があったのに驚いた。
 父だ。
 ああ、やっぱり来てたのだ。父はこれを見ていたのか。すると、あの少女は。
「ねえ、あの着物の柄」
 妻に指摘されるまでもない。あれは、母の持っていた着物の柄と同じだ。桜色の生地に、鞠と香車が描かれている。
「何だって、あんなふうに見ているのだろう。声をかければいいのに」
「きっと、お義父様はそれで幸せだったんですよ」
  生前の父の顔を思い出した。そうなのかもしれない。父は、声をかけることなく、眺めているだけで満足だったのだろう。この桜の木の下で、二人に何があったのかは知らない。でも、数十年前にも、きっと同じだったのだろう。
 父は、アルツハイマーになった母の面倒をずっと見ていた。その献身振りは、見ているほうが気の毒なほどだった。けれど、違うのだろう。父は、どんな母の姿でも見つめていたかったのだろう。たとえその視線が交わらなくても。
 
(終)
 寺が先か、小学校が先なのか。
通勤時に見かける小学校を見たとき、そんなことをよく考えた。
都会のオフィス郡のなかで肩身を狭くしたかのような校舎。緑も少なく、グラウンドは100メートル走が出来ればいいぐらいのおざなりなものだ。都会の学校と言うのはかくもそういうものなのかと思ったが、寺が隣にあるせいで、田舎とは違う不気味さが漂っていた。
特にプールは最悪だ。校舎に向う通路になっている一方を除いて三方すべてが墓に囲まれていた。
と、いう話を飲み友だちにすると、彼女は真っ先に
「それって・・・」
 と、その学校の名前を言った。彼女は、その学校の卒業生だった。気分を害したのではないかと思ったが、彼女はむしろ誰かに話したかったとでもいいたげに、
「昔からなんか曰くのある土地らしかったんだけど、収容所があったか、処刑場があったか。だけど、周りを取り囲んでいた墓の気持ち悪さったら」
 曰くじゃなくて現実なんだもの。 
幾つも並んだ墓石と卒塔婆、金網越しに見えるそれらの影から、人の顔が覗いていたとか、青白い腕がおいでおいでをしていたとか。
私の一つ上の先輩が、プールで50メートル走をしていた時に真ん中のコースを泳いでいたら溺れたって。助かったんだけど、足にくっきりと痣があってさ・・・。その年のプールの授業はそれで取りやめになって、嬉しいんだか悲しいんだか。
「ふーん、でもまあ、実際に経験したわけじゃないんだろ?」
  冷えるなあ、と言いながら酒をお代わりした私の横で、彼女はグラス半分ほど残っていたチューハイを一気に飲み干した。
「それがさ、あたし、じゃないんだけど、いや、あたしも、その場にいて、水音しか聞いてないんだけど」
 去年そんなことがあったから、寺の住職にお経を唱えてお祓いをしてもらったの。
 それで、その日が、プール開きで。
 気味の悪いプールとはいえ、暑い日中に冷たいきらきらとした水の中に飛び込むのは最高に気持ちいい。
 友達と、水の掛け合いっこしながら、段々水温になれていって、もぐってみたりしてね。
 どのくらい長く潜っていられるかって、友達とやっていて、わたしがちょうど出たときだった。
 後ろで、ばしゃん、と派手な音がした。ものが激しくぶつかったような、そんな音。えっ、と振り返ると、白い手と、長い髪が水に散らばっていた。それが、プールの底の白い光のような何かに吸い込まれていく。驚いて声も出ないでいるところに、先生が急にプールに飛び込んだ。
 全員がわたしのほうを見ているようで、慌てて隣の友達を見たら、彼女は、黙って同級生の子を指差した。
 私は知らなかったが、私が潜水から浮き上がった瞬間、その子が凄い悲鳴をあげて、虚空を見つめて、その後放心状態になっていたらしい。
 何時までも口を開けたまま動かない彼女を、ようやく異変に気付いた先生がプールから連れ出したのだという。
 噂、だとさ、何人か、見ちゃった子がいたらしくて、プールに、髪の長い女の人が落ちてきたのが見えたんだって。その、放心状態になっていた子はね、ちょうどそれの真下にいたらしいの。
 たぶん、だけど、どっかのビルの屋上から飛び降りた女の人がどういうわけか落ちたのが、あそこのプールだったらしくて。
 その子、見たんじゃないかって。飛び降り自殺した女の人の、最期の顔を。
 その子?さあ、それ以来学校に来なくなっちゃったから、引っ越したとか、精神病院に入れられたとか。

 でも、私怖かったの、そこじゃないの。女の幽霊が引き込まれていった光、よく見たら、沢山の人の腕だったの。なんだか、連れられていったみたいで、凄く怖かった。
(終)
 祖父の話だ。私の祖父は陸軍に所属しており、戦時は飛行訓練を受けていた。その頃には戦闘機はおんぼろばかりで、九州に向うまでに何度も故障をし、修理をするために飛行場に着陸することも多かったらしい。
 そんななかで、祖父は不思議な経験を二回したという。
福岡に向けて戦闘機で移動中のことだ。空は晴れており、風もないでいた。絶好の飛行日和であり、機体も珍しく順調に動いていた。風を裂く羽根とプロペラの音、肌に刺さる風が暑い夏の日差しに心地よく、はるか彼方の入道雲を見て、ついその中に入って見たいなどと物騒なことを考えていた。
敵機の襲来もなく、道半ばまで来た時だ。低い雲が目前に出現した。薄い雲のために雨と雷の心配はないが、視界が霞む。仲間との無線連絡も上手くいかない。しばらく飛んでいればいずれ抜けるとは思っていたが、霧のように視界がどんどん悪くなっていく。不安になって周りを見渡すと、一緒に飛んでいたはずの仲間がいない。頭の中は大混乱だ。自分は航路を間違えたのではないか、もしもこの霧を抜けて目前に山があったら・・・。
 すると、前方に同じような機体が見えた。迷ってはいなかったのだ。燃料の残量を確認して少しだけ速度を上げる。そうすれば無線も繋がる。が、その影は彼に合わせるかのように速度をあげた。からかってるのか。そう思うと彼も負けん気から同じく速度を上げて飛翔する。しばらくそんなことを続けていたら、燃料が段々と減っていった。その時になって、おかしい、と思い始めた。通常であればこれぐらいの燃料になったら、着陸態勢に着かなければまずい。時計を見ると、ぐるぐると針が回転している。目の前を走る飛行機はさらに速度を上げる。
 おかしい、まさか、敵機が誘導していたのでは。
 と、思ったところで唐突に雲を抜けた。眼窩には飛行場が見えた。彼は急いで合図を送ると、手旗信号を持った青年が慌てて合図を送り返した。機体は無事着陸した。他の連中はまだ来ていないようだ。あの飛行機は、ところでなんだったのだろう、と考えていると上官らしい人が出てきて所属名を聞かれた。答えを返すと、彼はひどく驚いて顔をして、いきなり数発殴られた。わけがわからず呆然としていると、彼は飛行場の名を口にした。私も仰天した。福岡まで向っていたはずなのに、どういうわけか神戸に着陸していたのだ。
 そして翌々々日、改めて福岡に向けて出発した。今度は完全に一人きりの飛行である。当然空路など知る由もないから、地図を頭に叩き込み、コンパスを確認しながら先に進んだ。川の流れや山の形を目印にしつつ、ようやく岡山にたどり着く頃には夕暮れになっていた。視界が悪くなる前に着陸しようとすると、不意に、目の前に戦闘機が見えた。これはおかしい。視界は悪くなかった。夕暮れ時とはいえ、目の前に現れれば気付くはずだ。それに、こちらに向ってきているわけではない。あの雲の中にいたときの奴だ。そう思うと、怖くなった。彼はなるべく速度も高度も下げると、視界に写らないようにしようとしたが、今度は向こうも速度を落としてくる。前とは違い、どんどんと近づいてくる。さすがに高度も速度もさげられない、という頃には視界で完全に操縦士が見えるところまできていた。
 彼は、それを見てぞっとした。操縦士と目が合ったのだ。彼は、180度首をこちらに向けて、血まみれの顔でこちらを見ていた。
 手は、操縦かんを握っている。それが、首だけが風に乗って目の前にやってくる。
 悲鳴をあげて目を瞑ってしまった。
 と、何も当たる気配がない。視界には、夕空が広がっている。そして、また飛行場が見えてきた。そして、再度ぎょっとした。
 見たことがある飛行場だ。
 同じように着陸すると、あの上官がまた出てきた。彼は怖い顔をしていたが、今度は殴らなかった。
「上には言っとくからもう帰れ」
 わけが分からなかったが、今度は電車にごとごとと揺られながら家に帰った。そして終戦を迎えたという。
 噂では、そこの上官が機体の不具合に気付きながら見てみぬふりをして、離陸直後に機体はばらばら、その時、首が機体の羽にやられて吹っ飛んだという痛ましい事故があったらしい。
 が、祖父はこう言った。
「それが、8月6日と、9日のことでさ。偶然かもしれないがなあ」
 祖父はとてもしんみりとしていたが、幼少期の私は目の前に吹っ飛んでくる男の生首を想像して怖くて眠れなかったものだ。
(終)
 金曜日のことだった。花金という言葉は死語だが、金曜日に飲み歩く社会人はいつの時代も多い。駅からタクシーを使おうと思い、列を見るとずらりと並ぶ人、人、人。ほとんどが酔っ払いだ。普段はうんざりして歩いて帰ろう、というところだが、昼の暑さにばて、酒にのぼせた身体がノーだ、と全否定したので並ぶことにした。幸いタクシーはひっきりなしにやってきているので、待つ必要もなさそうだ。
 私の読みは的中した。タクシーは次々と人を乗せていき、長かった列も私の前に一人残すのみとなった。私は自分が乗るであろうタクシーの会社名を見て、それから、おや、と思った。それはいわゆる名前の知られた会社ではなく、個人タクシーだった。それはいいのだが、少し不安になった。深夜料金、道をあまり知らない、ぼったくり、という構図が浮かんだ。が、私の後ろにも列は続いているし、なんとなくお先にどうぞ、とも言い辛い。
 多少高く吹っかけられても文句はいうまい。腹をくくって乗り込むと、気の良さそうな50台半ばの運転手が愛想よく笑いかけてきた。
 私はとりあえず自分の家がある辺りまでの道路の名前を伝えると、彼は「はいはい」といいながらナビで場所を確認した。私もちらりとその画像を見て、安心した。道にはある程度慣れているようだ。だとすると、ここに来たのは最近なのだろうか。そんなことを運転手に聞こうとした。
 そしてしばし硬直する。
 こういう時はもう少し派手にリアクションするものなのだろうか。とりあえず、私は見てはいけないものを見てしまった小学生のような気まずさで視線を外した。
 もう一度見ようという気にはなれない。
 助手席に、人がいた。男だ。年齢は、若いようにも、年をとってるようにも見える。目だけが大きく見開いてこちらを見ていた。顔の輪郭などがおぼろげなのに、目だけがぎらぎらとしてこちらを睨んでいた。
 私の挙動がおかしいのに気付いたのか、運転手が声をかけてきた。
「道、こちらであってますか」
「あ、ああ、はい」
 私は頷いた。この運転手は、知っているのだろうか。自分の車に得体の知れない乗客が乗っていることに。
「すみませんねえ。土地の人間じゃないものですから。ナビを使えば大抵間違えないのですが、たまに調子が狂うと遠回りしてしまうもので。前に他のお客さん乗せたときも怒らせてしまいましたよ」
 私は極力前を向かないようにしながら、外を眺めた。いつもの見慣れた道と、町が続いている。
「いやあ、大丈夫ですよ。地元のタクシーのほうが悪質なときもあります。明らかに遠回りな道をわざと走ったりしますからねえ。それに、一度なんかは地図を見せられて、どこらへんですかねえ、て聞かれたときもありましたよ」
「はは、まあ不景気ですからね。この業界はとりあえず運転免許さえあれば入れますからね。とりあえずは手に職を、という人にとっては入りやすいところですから」
「運転手さんもその口ですか?」
「いやあ、私はどちらかと言うと車好きが高じてですよ。いや、道路好きかな。色んな道をね、走ってるときが好きなんですよ。仕事しないときでも車に乗ってることが多いですからね。中毒なのかもしれませんねえ」
 運転手は人好きのする性格で朗らかに話をしてくる。私もつい釣られて彼に目を向けようとして、その前に他の目にぶつかり断念する。
「あ、そろそろですね」
 この運転手と別れるのは名残惜しいが、いかんせん助手席があれなので奇妙な感じがする。
「そうそう、お客さん。観えてますよね。助手席の彼」
 私は心底驚いた。運転手はこの男がいるのを知っていて運転しているのだろうか。にわかに私は運転手が恐ろしくなった。実は、彼も幽霊だった、ということなのだろうか。私は、そのままあの世に連れ去られてしまうのだろうか。
「安心してください。彼ね、どういうわけか途中から乗り込んできちゃったらしくって、最初は気味悪かったんですけど、どういうわけか彼が乗るようになってから、長距離のお客さんが捉るようになってね、四国出てから大阪、名古屋、静岡に横浜、小旅行みたいで楽しくってね。おまけに運賃が取れるからなかなかなんですよ。それに、変なお客さんはどういうわけか乗ってこないし、乗ってもすぐに降りてしまうから全然危険が無いんですよ。座敷童子みたいなもんですかねえ。だから、偶に迎車にしといて、景色の良い所にドライブなんかに行ってね。話はしないし笑いもしないけど、いつか喜んでくれると思うんですよ。あ、着きましたよ。ここでいいですか。では、お気をつけて」
 私はなんともいえない気持ちで料金を払うと、彼を見送った。助手席の彼は前を向いているようだった。
 運転手は座敷童子のようなものだと言っていたが、果たしてそうだろうか。あの目は、明らかに何かを憎んでいる目だった。きっと殺されたか何かした相手を探しているのだろう。運転手は、それに気付かないのか。気付いていて、そっとしているのか。
 何故だろう。恐ろしかったはずなのに、私は彼の憎しみに満ちた目がいつかなくなり、美しい景色に目を細め、消えていくことを願っていた。
 
(終)