文系と理系と・・・宗教と【改訂】 | オレンジが咲く闇

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大学生が日常、恋愛、酒、書道、音楽、テレビなどについて気まぐれに書いたブログです。

オウム真理教の麻原がほぼ死刑が確定したようだ。


今回は事件などを踏まえて死刑について


あーだこうだ言うのではなくそこに潜む


現代社会の闇について考えようと思う。




オウムの犯罪を犯した信者は基本的に理系が多い。


だから理系が悪いのか!!


そうではない。まぁ記事を読みすすめてください。



地下鉄サリン事件の実行犯や関係した人は


元病院の医者とか化学者とか多かったはず。


実行犯の一人のは脳関係の名医で


留置所に入ってからもその先生に診てもらってた元患者は


毎週のように差し入れを届けていたと言う話があるくらい名医であった。


なぜ、そんな人がオウムに入らなければならなかったのであるか…


地位も名誉もあったはずだ。




現代社会では、信仰の自由が保障されている。


つまりどんな宗教を信仰してもいい。


「なんであんな危ない宗教を信じるんやろう?」


なんて声を聞くことがある。


でもそれは逆に日本では仏教が一般的なだけであり


他を信仰している人にとっては全く逆に同じ事を思われていると思う。


昔からの考えをもとに考える日本人独特の反応であろう。


しかしながら年々俗に言う新しい宗教に走る人は多い。


大体がお布施と称して莫大なお金を納めさせ


悪い道へと導かれるという印象がある



信仰。それは誰も文句をいえないこと。



ある時、有名な瀬戸内寂聴のもとへ一人の子が


親族によって連れてこられたそうだ。


まだ若いオウムの元信者である。


その人は目がおかしかったそうだ。


つまり、マインドコントロールされているのが分かるくらいだったみたい!


その元信者とともに生活をしたんだって。


素直に笑うことも、感情をあらわにしない人と。


しかし数ヶ月後、元信者は明るい笑顔を見せ社会復帰した。




宗教に頼る。




神社でお願いをする。


死者に祈りをささげる。


それらはどこか気持ちを落ち着かせる(安心)であったり


気持ちを整理するみたいな意味合いも非常に強い気がする。


こんなに純粋で目を輝かせている青年が


心のより所を求め入信。




入信当時も純粋な目であったはずの少年を


結果的に受け入れられなかったのが仏教


魅力がなかったのであろう。


魅力を出せてない。そこに責任があると思う。


俺は将来的に宗教者になる。


宗教者って言うと響きが悪く聞こえてしまう。


まぁ簡単に言えば普通の寺の住職。


もちろんそいつらにも問題がある。


宗教を頼りにしようとしている人の受け皿に仏教がなれなかったことを


恥じるべきだと思う。




仏教は変えられないものが多い。


風習とかならわしとか。。。


しかし、新しい風は吹かせなくてはならない。





理系と文系。


そのくくりで言うと文系と名乗るくらいなので


本に触れ合う機会も多い。



読書とは人間を豊かにするものである。



読書は自分が経験していないようなことを


本を読むことによって理解できる素晴らしいものである。



つまり理系であった多くの元信者は人の気持ちが分からなかった。


だからあんな事件を起こしたのではないかと思う。



読書の大切さを裏付けることであると思う!




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この記事彼女に分かりにくい…といわれた(ーー;)


ので少し改訂したけど、、、分かりにかなぁ?


言いたかったことは


仏教は昔からあるけど、

人が心のよりどころを求めているときに

一つの宗教として受け皿に慣れなかった。

結果的に純粋な少年は新しい宗教に頼って

マインドコントロールされたわけだし。

だから仏教は恥じるべきだ!

変われないものもあるけど、

温故知新の精神で現代に順応した宗教にしていくべきだと思う。


読書はよいよい!と言われる。

確かに、読書することにより自分が経験しないようなことを知ることができ

生活や人生を豊かにさせるものであるとも実際思う。

オウムの元信者は理系が多い。

理系は読書をする機会が一般的に少ない。

名前から判断してるだけでもちろん個人差はある!!

一般的にね!文系は文字。理系は数字。みたいなイメージから。

やからやっぱ本を読むって事は大切!ってことが

いえるんちゃうかなぁ?と言う考え。


どうでしょう?笑


なんか書けば書くほどドツボにはまっている気が…笑


よければコメントください。m(__)m