益川敏英(ますかわとしひで)ノーベル賞 ノーベル物理学賞の出身校 | 新明解だいがく生かつ辞典 -反省堂- 風の谷の13番目の大学生

益川敏英(ますかわとしひで)ノーベル賞 ノーベル物理学賞の出身校

益川 敏英(ますかわ としひで、1940年2月7日 - )は、日本の理論物理学者(場の量子論)。学位は理学博士(名古屋大学・1967年)。京都大学名誉教授、京都産業大学理学部教授。


愛知県名古屋市出身。名古屋大学で坂田昌一教授の研究室に所属し博士号を取得。
京都大学理学部の助手であった1973年に、名古屋大学・坂田研究室の後輩である小林誠と共にウィーク・ボゾンとクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列を導入しました。この論文は、日本人物理学者の手による論文としては歴代で被引用回数が最も多い論文です。


京都大学より名誉教授の称号を授与され、現在は京都産業大学理学部教授。
2008年、「小林・益川理論」による物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞しました。


ノーベル賞受賞したが、本人としては、受賞は世俗的なもので、受賞よりも、36年前に発見した時が科学者としてうれしくて、研究仲間が理論を実験しあれで正しかったよと言われるのが一番うれしいのだと語っている。また、「南部陽一郎先生に、とっていただいたことが一番うれしい。アイデアマンで我々に注意喚起してくれる。大変尊敬している」「我々は科学をやっているのであってノーベル賞を目標にやってきたのではない」とコメントしている。



外国語は大の苦手で大学院入試でドイツ語は完全白紙、英語も散々な成績だったため、教授会で合格を認めるかどうかもめたらしいです。外国の学会への招待は多いが、英語を使うのが嫌なためにすべて断ってきており、もっぱら共同研究者の小林が海外での学会出席や講演を担当していたそうです。なお、英語で論文を発表する際は、ローマ字綴りの「Masukawa」ではなく、英語風の「Maskawa」という署名を好んで使い、国際的にも「Toshihide Maskawa」の名で知られています。
パスポートも取ったことがなく、2008年12月にストックホルムで行われるノーベル賞の授賞式への出席が、初の国外渡航になると言っていました。


1958年 名古屋市立向陽高等学校卒業し、名古屋大学に入学、
1962年 名古屋大学理学部卒業
1967年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士
1967年 名古屋大学理学部助手

1970年からは、京都大学理学部助手となる。

1976年 東京大学原子核研究所助教授
1980年4月 京都大学基礎物理学研究所教授
1990年11月 京都大学理学部教授
1995年4月 京都大学大学院理学研究科教授
1997年4月 京都大学基礎物理学研究所所長(1999年3月まで)
2003年4月 京都大学名誉教授、京都産業大学理学部教授
2004年10月 京都産業大学研究機構長
2007年10月 名古屋大学特別招へい教授


1997年からは日本学術会議の会員に選任されるなど、公的団体や学術団体など多方面で活動しています。
湯川秀樹、朝永振一郎らの影響から平和運動にも意欲的に取り組んでおり、2005年には「科学者九条の会」を結成し、呼掛人として参加しています。


>>日本の歴代ノーベル賞受賞者と受賞内容についてはこちら

「科学にロマンを持つことが非常に重要」


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