「一年の計は元旦にあり」といいます。
しかし、学校、異動、会計、統計などなど、「年度」を基準にして動いているものがやたらと多い気がします。
もしかしたら「一年の計は元旦にあり」という言葉が出来た当時は、暦は全て「年」基準で動いていたのかもしれません。
ならば誰がいつから様々なことを「年度」基準で動かし始めたのでしょう?
というかそもそも「地球があの位置にある日を1月1日、つまり年の初めとする」としたのはなぜなのでしょう?
一番日が短い冬至でもよかったし、逆に「一番日が長い日を1月1日とする」でもよかったし、「誰々の誕生日を1月1日とする」でもよかったはずです。
これは長年の疑問だったので、これを機会に調べてみることにしました。 

まず、やはり旧暦が関係しているようで、昔は1月1日から暦上は春でした。
年度などは存在せず、新春であり迎春であり初春であり「そして一年の計は元旦にあり」でした。
そうするとより一層、年と年度を併用する現在の状態に違和感を感じますが、これはまた後述します。 

次に、なぜその日を1月1日としたのか(別の言い方をすると、その日以降を春と定義したのか)ということです。
普通に考えれば「これから徐々に昼が長くなるんだから冬至を境に春でいいじゃん」てなものですが、昔の人も私たちも「日の長さと寒さには2ヶ月のズレがある」ということを知っています。 
そこで登場するのが、冬至よりやや後、1週間ほど「ズレ」て、1月1日午前0時に南中するシリウスです。
シリウスは太陽・月を除けば夜空で最も明るい星です。青白く輝くシリウスは、その若々しいイメージから古代和名を「春乃曙星(はるのあけぼのぼし)」というそうです。
曙とは知ってのとおり「夜の明け始め」のことで、春乃曙とはまさに「春の始まり」を意味していたようです。
「春は曙」と記した清少納言が春乃曙星を知っていたかどうかはわからりませんが、シリウスの南中時刻が早くなればなるほど、昔の人は春の足音を実感したようです。 

最後に、いつ誰が「年度」基準で社会を動かし始めたのでしょう。
これはどうやら明治初期から中期のお話で、何度か年度始まりの月をいじったようですが、結局地租(今で言う固定資産税か?)徴収に最も良い区切りが4月始めだったらしく、明治中期に固定してから今に至るということのようです。
ちなみに首相だったころの田中角栄氏が「年度制をやめて、区切りを1~12月(暦年制)にしようぜ」と言ったそうですが、官僚に潰されたげな。

とまあ「年度の計たる4月1日」に、嘘を交えて長文をつづってみました。どこが嘘かわかりますか?