★昭和語録ブログ@おpapi★

 

 このブログは …
「昭和」 という時代を こよなく愛する わたくし “ おpapi ” が
「独断」 と 「偏見」 と 「えり好み」 で 選び抜いた 「昭和語録」 なブログ。
これは… 20世紀の回顧録でもなければ、昭和史を熱く語るものでもない。
ただ… 自分自身の中に埋もれている 「昭和の記憶」 を、形にして残しておきたい!
そんな思いをこめ、書いて、描いて、撮って、ブログっているものです。


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ハナ肇とクレイジー・キャッツ (クレージー・キャッツ)



『 がちょ~ん! 』 で、皆をコケさせる側だった、谷さんが ・・・ 
残念です。 谷啓さんの ご冥福を、心よりお祈りし、
2007年3月に書いた記事に加筆して、再掲載いたします。




【 2006年で結成50周年! クレージー・キャッツ 】  (以下 「クレイジー」 に統一します)

  クレイジー・キャッツ









いかりや長介さんが、晩年に、ウッドベースを爪弾いていた

あの、CM映像は、まだ、記憶に新しい。

死ぬ前に見せた、彼のベーシストとしての横顔は、

とても 楽しそうに見えたし、誇らしげにも見えたし、いかにも

『 俺の原点は、ミュージシャンなんだ! 』

って、言っているようで、私は、なんだか嬉しかった。



加藤茶さんにしても 『もう、腕は落ちたよ』 と言うが、往年の

ファンならば、彼のリズム感の良いドラマーぶりを、ご存知のはず。

教育テレビで見せた、高木ブーさんのウクレレ講座も味があるし、

1966年、ザ・ビートルズの日本公演で、前座演奏を任せられた際の

 曲 「Long Tall Sally」 のボーカルを務めたのは、仲本工事さんだ。







そう! ザ・ドリフターズは、元々は、まぎれも無く純粋な楽隊だったのだ。

その彼らが、コミック・バンド活動をも飛び越えて、小学生向けのコント屋

になって行ったのは “時代の流れ” だったのかもしれない。








私は… 彼らの 「お笑いコント」 を、否定する気はない。

志村けんさんは、確かに天才コメディアンだと思っている。









しかし…  その昔、あの、ザ・ドリフターズの先輩格として、

爆発的な人気を誇り、昭和日本のテレビ放送の一時代を築いてきた

素晴らしき、バンドマンたちが、いたことを、叫ばずにはいられない!


『笑いの質』 『楽器の腕前』 『品の良さ』 『カッコ良さ』

どれをとっても、数段格上! それが

「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」 なのだ!

私は、ドリフの何倍もキャッツが好きなのである。











クレイジー・キャッツが最も活躍したのは、テレビの黄金時代。

「おとなの漫画」 「シャボン玉ホリデー」 の伝説ぶりは

未だに語り継がれ、お笑いの研究材料にもなるほど。



特に 「シャボン玉ホリデー」 の名は、誰しもが耳にしていることだろう。

昭和36年~昭和47年まで続いた、歌ありコントありの、いわば

バラエティーの先駆け番組。 ここで、植木等さんのキャラが爆発し

映画 「無責任男シリーズ」 につながっていった。








 * * *












植木等 (うえき ひとし)

本名も同じ。 三重県の浄土真宗の寺の息子として生まれる。東洋大学卒。

経歴上、誕生日は(1927年)昭和2年2月25日となっているが、

本当は、その前年の、大正15年12月に生まれていたそうだ。

父親が風邪をひいていて届けが遅れてしまい、年末の7日間しかない昭和元年

を通り越し 「昭和2年生まれ」 という記録になってしまったらしい (笑) 

『こりゃまた、誕生日からして、いい加減』 と言われそうなエピソードだが、

実は、「日本一の無責任男」 とは反対に、まじめな性格で、酒も飲まない。

寺の住職である厳父の教育により、芸能人特有のダラシ無さも無い!

当初は、「無責任男」のレッテルに悩みもしたが、持ち前の明るさと

クラシックの発声から勉強していたと言う伸びのある歌唱力が、『スーダラ節』

などのヒットを生んでいく。

「無責任男」 の正体は、いたって 「責任感ある男」 だった訳だ。

『 お呼びでない? こりゃまた失礼しました! 』 は、ギャグの古典的名フレーズ!



2007年3月27日、呼吸不全の為、東京都内の病院にて死去。

あなたが、悩みながらも演じてくれた、無責任男やホラ吹き男は

今観ても、ほんとうに、夢と希望と元気を与えてくれますょ!

どうぞ、安らかにおやすみ下さい。













安田伸 (やすだ しん)

本名:安田秀隆。 1932年(昭和7年)東京都中野区の生まれ。

東京芸術大学。 石橋エータローらとバンドで活躍後、1957年9月、

石橋エータローの紹介でクレイジーに参加。

クラリネット、サックス奏者以外にも、映画などで活躍したが、

晩年はガンとの闘病が続いた。

1996年11月5日、急性心筋梗塞にて死去。













石橋エータロー (いしばしエータロー)

本名:石橋英一(暎市とも)。1927年(昭和2年)9月30日(情報不確定)

東京・新橋生まれ。東洋音楽大学(現東京音楽大学)卒。

父親は、作曲家・尺八奏者として高名な福田蘭堂。

安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレイジーに参加。

1960年に結核で一時離脱(代わりに、桜井センリが参加)

その後、クレイジーに復帰するも、1971年に引退。

晩年は、料理研究家としても活躍。 魚料理の本なども執筆していた。

1994年6月22日、胃ガンのため、死去。













桜井センリ (さくらい せんり)

本名:桜井千里。 公の資料では、「1930年3月20日生まれ」

とされているが、別説で1924年生まれ?(植木さんよりも年上らしい)

(他のメンバーとのバランスを考えて、サバを読んだ、とのウワサ 笑)

父親の仕事の関係で、イギリスのロンドンが出生地。

早稲田大学政経2年在学時に、バンド家業に足を踏み入れ

植木等らと、バンドのピアノ奏者として活躍。

石橋エータローの結核療養による活動休止のため、クレイジーに参加。

石橋エータロー復帰後は、ピアニストが2人という変則的な形をとる。

「センリ婆さん」 がウケた。












犬塚弘 (いぬづか ひろし)

本名も同じ。 1929年(昭和4年)東京・大森生まれ。

文化学院社会学部を卒業後、IBMに入社するが、2年で退社。

(アメリカ人にいじめられたらしい) その後、実兄のハワイアン・バンド

に飛び込んだことをきっかけに、ベースを正式に習う。

手足が長く、長身の彼が演じるオーバーアクションは、絶妙。

生家が貿易業で、いつもお客さん相手に、ゼスチャーをしていた経験が

コントや芝居にも生きている と言う。

現在は、役者としても、すっかり重鎮だ!












谷 啓 (たに けい)

本名:渡辺泰雄 (わたべ やすお)。 1932年(昭和7年)2月22日

東京府荏原郡(現・東京都大田区)生まれ。中央大学経済学部中退。

芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイ。

ちょっと、シャイで照れ屋な面は、今でも変わらないが、

小学校の頃は、落語家になりたかったと自称するだけあって

笑いのセンスにかけては、メンバーの中でも抜きん出るアイデアマン。

ヤクザ役なら 「顔に縫い傷」  ド近眼役なら 「メガネに渦巻き」 

などの工夫は、彼が考案したとも言われる。

『ガチョ~ン』  『ビロ~ン』  『ムヒョ~』 は、若い人にも有名だろう。

また、トロンボーン奏者としての腕前も一流だ。 


2010年9月11日(土) 脳挫傷のため都内の病院で亡くなる。
前日18時ころ、三鷹市内の自宅の階段でつまづき、
顔や頭を強打したことが原因。。。 (78歳)

あなたは、ギャグのエポックメーカーとしても、まさに天才 でしたよ。













ハナ肇 (はな はじめ)

本名:野々山定夫。 1930年(昭和5年)2月9日、東京・現豊島区生まれ。

工学院大学土木科卒業。 生家は池袋の水道屋。

戦後、進駐軍のキャンプ地などでドラム奏者として活躍。

その後、犬塚弘、萩原哲晶らと、「キューバンキャッツ」を結成。

1956年 「ハナ肇とクレイジーキャッツ」を結成、バンドマスターとなる。

1970年代には 「ゲバゲバ90分」 で 「あっと驚く為五郎」 が大アタリ!

 晩年は、俳優としても活躍していた。

1993年、肝臓ガンのため死去。








 * * *








この、伝説の、そうそうたるメンバーが、繰り広げるユーモアは

とっても、スマートだった。

彼らを見て、チームワークの大切さを学び、強いリーダー像にあこがれたもんだ。



ドリフのメンバーの名付け親としても知られる、ハナさんは、

笑いに対して厳しい人で、

 生前、「現代のお笑い」 について、こんなことを言っている。



『 笑わせるにしても、ある程度、これは下品である、こんなことは

とてもネタにはならない と言う事は、みんな控えてましたよ。

ところが、今はもう笑えば何をしてもイイみたいな風潮がある。

視聴率さえ稼げれば、人を裏切ろうが、かまわん。

 人をネタにしちゃう、そういう節操の無さがある。 』









 う~む! 確かに

毎日のように、どのチャンネルにも、同じ芸人が、映り…

同じような、バラエティーねたを、一方的にタレ流し…

スタジオでの笑い声が、そのまま視聴者の笑いであると勘違いしてる。

そんなこと、「 そのうち、何とか、なるだろ~ 」 と続けてると

 きっと、視聴者に 「ハイ、それま~でぇよ~」 と突き放されるぞ! 































<関連サイト情報>

★ちょっくら、ちょいと、やってみな!★ → 植木等 福笑い





<参考文献>

テレビの黄金時代 (復刻版)
編集人:小林 信彦
発行:株式会社キネマ旬報社






☆ まだ↓あるょ ☆






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