大変ご無沙汰をしております。
諸々の事情が重なり、年末よりまったくブログを更新出来ず早2か月以上過ぎようとしております。
本当に数多くのメッセージもいただいておりながら 返信すらできず、その非礼をお許しください。
本来ならば まずは事情と近況等々の報告から ブログを更新すべきですが、この日本の大地震に際して 取り急ぎ 私自身と家族の無事を発信します。
まずは、とにかく皆様のご無事を信じ、そして願っております。
私達は、一昨日 義母の家で地震にあいました。
1960年代の団地、1階が自転車置き場になっていて 吹き抜けていることに加え、埋め立て地ということもあり その揺れは今まで経験したことのないもので、かつてこんな”恐怖”を感じたことはありません。
頭の中に「倒壊」がよぎり、牛子は火がついたように泣き始め パニックに陥りそうな時に「大丈夫だ!」と私たちの上に覆いかぶさり 抱き留めてくれた旦那様の冷静さに救われました。
一度目の揺れが収まった隙に 屋外に避難。しばらく車中で待機している間に 何度も激しい揺れが続き 近所の学校からも続々と 生徒たちが避難を開始するのを見て やはり尋常じゃない事態が起こっていることを認識。
携帯電話はまったく不通でしたが、幸いメールは可能で 両親の安否もすぐに確認でき また家族と一緒だったことは かなり精神的な余裕ができました。
約2時間車のラジオを聴きながら状況把握に努め、その間 近所のスーパーで かなりの量の食料品と水を確保して とりあえず帰宅を試みましたが、都内は完全に交通マヒ状態。
人々が地上にあふれ 歩道という歩道は、初詣を彷彿とさせるほど。
車はどの道も激しい渋滞で 蟻のような速度でしか進みませんでしたが、都内での被害らしい被害は見当たらず 人々の混乱もないことに 少しずつ冷静さも取り戻すことができました。
結局 自宅まで約7時間かかり帰宅。
車中であったため寒さをしのげたこと、空腹を避けられたことは本当に有難かったと思います。
自宅は 食器棚のガラスが割れ 本棚がひっくり返ってましたが 崩壊には至らず。
なにぶん 築50年を超える我が家は 余震でさえかなりの音と揺れを感じています。その度に 緊張が走るのですが、牛子が敏感にその気配を察知して 私から離れようとしません。
今回、子供と老人を抱えての行動は かなりの機動力が落ちることを実感。
とにかく 家族を守るのが 私の使命であり 今できる唯一のこと。
”もしも”の備えだけはしておかねばと 必要最低限の品をまとめ、 ガムテープでガラスの補強やら片づけに追われました。
そんな中 TVより流れる各地の惨状。まさしく 壊滅 という言葉通りの破壊に心が痛んでなりません。
もしかして このブログを通じて縁がつなっがった方々が 被害にあわれていないだろうか?
最大の被災地には 私の友人 夫の親戚がおり、全くその安否の確認の手だてがありません。
色々な事が頭に浮かび、自分の無力を感じながらも それでも自分に何かできることはないかと考えます。
こんな時だからこそ、人々の優しさと 強さを信じたい。
美しい我が国の再生を信じます。結束が必要です。立ち上がる勇気が必要です。
どうか どうか 被害がこれ以上広がりませんように。
どうか どうか 被災地に 一刻も早く救済の手が伸びますように。
どうか どうか 被災者の皆さんに安堵と希望が戻りますように。
祈りを込めて