やがて哀しき外国語 (講談社文庫)/講談社

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『遠い太鼓』が南ヨーロッパを流浪していた時の表面的な印象(だから悪いというわけではなく)からエッセイが書かれているのに対して、こちらはアメリカの大学で、なんだかポストをもらっての滞在なので(しかも英語だから言葉はずいぶんと通じる)だいぶ毛色のことなったエッセイだ。

 春樹自身が「あえて、第一印象ではなく、第二、三印象」と書いてあるように、ある程度社会に溶け込んでのアメリカ生活についてのエッセイなわけで、アメリカの息苦しいポリティカル・コレクトネスや、アメリカにやってくる「僕は共通一次は何点でねえ」という驚くべき日本風エリートへの批判など、まあ春樹でなくてもというか、書かれている対象に、書くという行為そのもの以上に重心が置かれているエッセイが多いから、具体的ではあるので、情報量という点からすると面白い。
 
 アメリカのポリティカルに正しく話すべしという圧力は想像以上のものらしい。「奥様はなにをなさっているのですか」と聞かれて「いえ、特になにも、普通の主婦ですよ」と答えようものなら眉をひそめられる。「僕の書いたものの一番最初の読者になって感想をくれます、あと手紙の整理なんかもしてくれています、僕は実際的な方面が弱いので助かってます」みたいな日本風良妻の姿を念頭に返答すると「でも、表紙にはあなたの名前しかないじゃないの、もしかして奥さんを自分のしもべだと思っているんじゃないでしょうね」的にさらに険しくなる。そこで、「いや実は、風景写真を少々、この間写真集も出したんですよ」と返すと、みんな一安心「それはすばらしい、そのまま夫婦それぞれ続けるといいよ」となるわけだ。ああ、なんたる国だ。

 東海岸の大学でなんだか不思議なポストをもらって悠々自適に本を書いていたハルキだが、この大学の教員たちにも暗黙の了解が存在する。新聞は当然全国紙のこれこれを毎日読んでいて、飲むビールはギネスで、あまり高い車には乗らず・・・。ハルキが「いや地元紙の・・・タイムズ読んでるんですよ、アメリカのビールうまいですね」なんて言おうものなら、「うん、いやアメリカのビールを褒められてありがたいことはありがたいんだが、いや、僕や君のような教養ある人間は、ほら、そうじゃないだろ」となんだかため息をつかれる。

 大学で講演会をした時に「今まで村上氏は作家業のかたわら、アメリカの現代作家・・・、・・・、・・・などを翻訳し・・・」などと紹介されるとたちまち、「あなたがこれまで訳してきた作家は男性作家ばかりのようですが、なぜこのような選択をしたのでしょうか?」と詰問調の質問が投げかけられ、まるで自分が生きる価値のない旧時代の遺物の差別主義者であるかのような気分になる。

 そんでもって教養ある人々は人種差別的発言を「絶対に」しないわけだが、その一方で「地理的差別」は平然と口にする。曰く、「15番通りより北にはいっちゃいけないよ、危険な地区だからね」。で調べてみると、その地区の人口の9割以上は黒人で占められていたりする。

 アメリカ社会はいろいろな人がいるから、その社会をまともに動かすためには、それぞれの文脈に応じた、「期待される役割、言葉」が厳密に決められており、そこからちょっとでも逸脱するととんでもない無作法を犯したかのように扱われる。その一方で、その抑えるべきポイントさえ押さえておけば、あんがい普通に話を聞いてもらえるとか。これはよく僕も感じていることだ、なんともいえない不自由な空気が充満している。それを破るためには、おそらく彼らの正しい口調によって自分の考えを話さなければならないのだろう。これは難しい。春樹ですら「自分の思っていることを十全に伝えるなんて(英語で)僕には不可能だ、二、三割はざらだし、全く理解されないこともある」んだから。

 春樹の早稲田受験の話が最後に出てくるがちょっと面白かった。かれが「高校時代、勉強なんてまったくしなかった、ずっと麻雀やってた」ってのは、「早稲田なんてノー勉で入れたけどね」っていいたいんじゃなくて、本当にそうだったようだ。英語、国語、世界史の三科目で行けたらしく、授業中ずっと小説読んでいたから自然と国語はよく、高校時代から自分なりに英語のペーパーバックを読んでいたから英語も文法はわからんなりに読むこと出来て、そんでもって中学時代に買ってもらった「小説よりも面白い世界史全集」を何十回も繰り返し読んでいたから世界史も勝手にできるようになっていた。
 なるほど、与えられた課題は意地でもやらないくせに、自分の興味あることにはとことんやりこむ、そういう人がかつての早稲田にはいたんだな、今ではそんなわけにはいかんだろうが。

 アメリカの郊外に広い庭付きの一戸建ての住宅街の、底知れぬ怖さってのがあるらしくて、だからスティーブン・キングはあんなに読まれているんだといった風な話もあり、人に話したくなるエッセイ集だ。飲み会の前なんかにどうぞ。