ヘレン・ケラー女史の秋田県来県による秋田県立盲唖学校の唖生の発音明瞭度について | 聾史を探る(旧)

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盲唖校5年生山◆こう子(15)さんから棒ぐる花束を「タイヘン・アリガトー」の奇跡の声もて感謝と共に受け、押しかけた記者団に「秋田犬が一匹ほしい」と愛嬌をふりまき、やがて用意の自動車で秋田の第一夜を宿舎なる小林旅館に入った。

【秋田魁新報 昭和12年6月13日(日)夕刊3面】より引用


やがて盲唖校生から花輪をおくられ「いのちの花」と奇跡の声で女史は大喜びである唖生代表富山サダさんがもつれる舌で心魂から歓迎の言葉を贈って満場をホロリとさせる

【秋田魁新報 昭和12年6月14日(月)朝刊3面】より引用


続いて5年の唖盲生湯田文男君が花束を奉げて
「あなたは私共の心です。」
とたどたどしく呼びかける
とケラー女史は少年を抱いて頬ずりし、列席の婦人達はこの◆◆な場面に涙ぐむのだった。

【秋田魁新報 昭和12年6月17日(木)夕刊2面】から引用


秋田県立盲唖学校が手話科を全廃し、口話法を導入したのは昭和9年であり、ヘレン・ケラー女史が秋田県を訪れたのは昭和12年になるので、秋田県立盲唖学校が口話法を導入してから4年目の出来事でもあったのです。秋田県立盲唖学校の唖生の発声を聞いた新聞記者の耳には
「タイヘン・アリガトー」・「いのちの花」・もつれる舌で心魂から歓迎の言葉を贈った。「あなたは私共の心です。」とたどたどしく呼びかける

漢字かな交じりの発声と聞こえた場合もあれば、全文カタカナの発声と聞こえており、新聞記者の耳には通常の発声とは異なるとそう感じていたのですね。

このやり方で秋田県のみならず、ヘレン・ケラー女史が訪れた地域の新聞を探して、その地の盲唖学校・聾唖学校の唖生達がヘレン・ケラー女史に対して言った事が新聞記者の耳にはどの様に聞こえていたのかを調べる事によって、昔の口話教育の実態を究明する為の手かがりとなり得る可能性を秘めています。

参考文献
【秋田魁新報 昭和12年6月13日(日)夕刊3面】
【秋田魁新報 昭和12年6月14日(月)朝刊3面】
【秋田魁新報 昭和12年6月17日(木)夕刊2面】
【秋田県立聾学校同窓会創立80周年記念誌】