あえてウマ殺しの汚名をきて2 | 大井なる幻影

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南関競馬、特に大井競馬場ファンの筆者が,所属馬や

騎手について、また大井競馬場の楽しみ方をご紹介

します。

昨日の阪神大賞典については、オイラがコンビニで朝、ザッと見たところでは「サンスポ」と「ニッカン」
が一面で大きく取り上げていた。
オイラは「ニッカンスポーツ」の方を買ったのだが、その中で水島雅之記者の記事には納得する一面もあった。

オルフェーブルは折り合いを欠いた。これも敗戦の遠因かもしれない。池添は両足を突っ張り、背中を丸めるように手綱を押さえた。行きたがるのを無理に抑えれば、それだけ体力を消耗する。
馬の気持ちを優先すれば、逃げの手に出る選択もあった。だが、馬とケンカしてまで池添が抑えたのには理由がある。
気分よく意のままに走らせると、馬に「(掛ったら)行ってもいい」という間違った意識が生まれる。
そうなると折り合いをつけるのは余計に難しい。オルフェーブルの持ち味は上がり3ハロン33秒を切る脅威的な末脚だ。この武器を引き出すには、いかに前半脚を温存するか、目先の勝利、国内G2戦なら、どう乗っても勝てたかも知れない。しかし、秋には世界最高峰の凱旋門賞が控える。強敵相手に最高のパフォーマンスを見せるには、やはり「我慢」が必要だった。
(日刊スポーツ3月19日朝刊より引用)

池添の心理にはオイラも同感だ。しかしである、昨日も書いたように、今の日本の気候は「気候変動」によって、豊かな四季を奪われて、今では「二季」といってもいいくらいだ。
天候曇り、稍重の発表とはいえ、芝の育ちも悪く固いし、最終日の昨日はさらに内側の芝などを見ればわかるが、ほとんどがはげ落ちて荒れ果てている。
こんな状態の馬場で、「我慢」を覚えさせるために馬と喧嘩しながら、挙げ句の果てに急ブレーキを踏むような乗りかたでは、故障をしなかったのが、夢のような出来事だと思う。
車で急ブレーキをかければ、サスペンションにもパッドにも負担がかかる。
しかも、池添は悪路でそれをやったのだ。
まだ春にもならない時期のレースで、遥か先の「秋の凱旋門賞」のために、そんな「我慢」をしつける必要がどこにあるのだろうか?
「来年のことをいうと鬼が笑う」とはいうが、この先どこで関節を痛めたり、病気になったりしないという保証など何もないのだ。
それを、遥か彼方の「凱旋門賞」の為に馬を壊しかねない池添の騎乗には、オイラを「仕方ない」と思わせるにはまったくもって説得出来るものではない。
スポーツ選手は、よく「今、目の前にある試合を一戦一戦大事にします」というのが常套句であるけれど、これが当たり前の姿勢だろう。
馬に「我慢」を覚えさせるのは調教の仕事である。それを客が張った金のレースでやるなんざ狂気の沙汰だ。逆説的にいえば、この厩舎の調教師、厩務員は調教が全く出来ないということになる。
調教再試験という裁定が下ったが、こんな調教もできない厩舎に大事な馬を預けておくなんて、オイラが馬主であれば、とっとと他の厩舎に移すだろうし、調教もできない厩舎の連中が、調教再試験を受けても、不合格になるのは当たり前の話だ。(もっとも、再試験など形式的なものだろうけれど)
昨日も書いたが、一番悪いのは、この時期に馬をレースに出した「調教の出来ない調教師」だ。
次に悪いのは「調教の出来ない調教師」に代わって、本番で「調教」をしようとした、池添である。
どちらも池添。このダメダメな池添コンビが「凱旋門賞」を勝つとはとても思えない。
所謂(いわゆる)「宝の持ち腐れ」というやつだ。
今回は、オルフェーブルが殺されなくて良かったと、つくづく思う次第である。