かなり
お久しぶりの更新になりますが。。


2015年、奇跡が起きました。
やっと、やっと
赤ちゃんを抱くことができました。


AIH14回、採卵19回、移植8回目でやっと出産までたどり着けました。。。


妊娠に至るまでも大変でしたが、今回の妊娠中もやっぱり大変でした。


子宮頸管無力症、子宮破裂、癒着のリスク、高位破水、不育症などの問題があり、妊娠中は4ヶ月も入院生活を送ることとなりました。


32週と5日で完全破水し、1700gの女の子を帝王切開で出産しました。
赤ちゃんはNICUとGCUに約1ヶ月入院しました。


2013年の死産のことがあったので、13週で頸管縫縮手術を受けましたが
術後1ヶ月から徐々に頸管は短くなり、18週で既に糸のところまで開いてしまい再入院となりました。


まだ18週なのに、いつ産まれてしまってもおかしくないと告げられ
頸管は糸だけで持っている状態でした。
前回の悪夢が蘇り、怖くてたまらない日々でした。
頸管長は1センチもなく、
手術をしていなければ確実に流産死産していました。


赤ちゃんの救命が可能となる22週を乗り越えて、
子宮破裂の可能性など母体にも危険なリスクも伴っていたため
24週でNICUとGCUがある大学病院へ転院となり搬送されました。


転院先の大学病院でははじめの2週間MFICUに入りました。
医師や看護師の対応が転院前の病院と悪い意味で違い、点滴の取り違えなどもあり、心配な事が続きました。
この頃、精神的にもいちばん辛かったです。


転院後も毎日のように、いつ陣痛や破水がおきてもおかしくない状態と言われ続けました。
とにかく1日でも長くお腹の中に居てもらえるように、祈ることしかできませんでした。


27週で高位破水し、赤ちゃんの肺の成長を促す注射をした時には
いよいよ覚悟を決めましたが、幸い量も少なく感染もなく、数日で治まりました。


さらに週数が進み、赤ちゃんが大きくなってくると、
子宮に何箇所もメスを入れている私には子宮破裂の危険が高まり、緊張の毎日でした。
毎日が怖くて怖くて。。30週を過ぎてからやっと赤ちゃんのものをネットで購入しはじめました。
時間はたっぷりあったけれど、妊婦雑誌を読むような精神的余裕もありませんでした。


32週と5日の朝、胎動があるたび破水感があり、緊急帝王切開になりました。
おぎゃあと産声が聞こえて、はじめて我が子と対面した時のこと、一生忘れないと思います。


先生方には、言い方は悪いけれど、あなたが搬送されて来たとき、正直ここまで持つとは思わなかった。
32週は早産だけれど、大成功だったんだよ。心配されていた癒着もなく、今まで良い先生に良い手術をしてもらったんだね。と言われました。


それでも当時は自分を責めてしまいました。
もっとお腹の中で育てたかった。どうしてあともう少し頑張れなかったんだろうって。
ちょうど最終目標の35週が見えてきて、帝王切開の予定日が決まった頃でした。


ずっと寝たきり生活だったので全身の筋力が衰えて体力も落ち、
貧血も酷くて産後は体を起こすことも、歩くこともままならない状態でした。
しゃがんでしまうと立てなくて、そんな自分に愕然としました。
両腕は入院中ずっとしていた張り止めの点滴の跡でアザだらけだったので、
見た目では相当な病人に見えていたようです。


体もかなり辛かったのですが、
赤ちゃんが退院するまで毎日3時間おきに搾乳して母乳を届けに通いました。
赤ちゃんと過ごせる時間は1日数十分から1時間程でしたが、
はじめて抱っこができた日は嬉しくて泣きました。


赤ちゃんは呼吸をサボる癖があり、赤ちゃんが退院する時は嬉しさ以上に不安のほうが大きかったです。
最近やっと心配な症状も落ち着いてきたので、わたしも眠れるようになりました。


とにかく、毎日必死でした。
夫をはじめ家族の支え、病院のスタッフの方々のおかけでここまでこれたので、ほんとうに感謝しています。


特に転院前の大学病院の先生をはじめとする看護師やスタッフの皆さんには、心身ともに手厚いケアをしていただいて、一緒に赤ちゃんを育てていただいたような、産ませていただいたような、そんな気持ちです。


いまでも時々、夢なんじゃないかと思うことがあります。
こんなにかわいい命が
わたしたちのところに生まれてきてくれて幸せです。


◯2015年◯
1月 凍結胚盤胞移植・グレードA
(自然周期・ルティナス膣錠・バイアスピリン)

2月 陽性判定
判定翌日から出血始まり安静生活
N医科大付属病院 TLC外来

3月 10週 N医科大付属病院入院
ズファジランなど張り止めの服用開始
子宮頸管を強くする作用のあるプロゲステロン注射開始

4月 13週 頸管縫縮手術(マクドナルド法)
4月 14週で退院

5月 18週 縫った所まで頸管が開き再入院

6月 21週 張り止めの点滴開始(リトドリン)
6月 22週 不育症の影響よりも早産の可能性が高くバイアスピリンを中止
6月 24週 T大病院へ搬送 MFICUへ

7月 27週 高位破水で抗生剤点滴
リンデロン注射など(ステロイド注射)

8月 32週 完全破水 帝王切開で出産
左半身の麻酔があまり効かず激痛
赤ちゃんは1700gでNICU→GCUへ

9月 2100gで退院

10月 T大病院 1週間検査入院
現在は体の発育も成長曲線内に入り元気いっぱいです。



はじめて不妊治療のクリニックを訪れてから
ここにたどり着くまでに約7年。


2008年の子宮筋腫手術から始まって、AIH14回、採卵19回、移植8回、その間に流産死産を経験し、低AMH、不育症、子宮頸管無力症とわかり筋腫の再手術、中隔子宮の手術。。。


いま振り返ってみても、とても長くて苦しい辛い年月でした。
我ながら、よく頑張ったなと思います。


子育ては、もっと大変なことが待っているのかもしれません。
我が子と一緒に成長していきたいと思います。