ブログを引越しました。
長い間 ご覧頂きありがとうございました。
ONPU
ブログ変更のお知らせ
当ブログは 一部利用不可能となりましたのでこのブログを離脱致します。
今まで起こしになりました皆様 本当に申し訳ございません。
なお 当ブログはアメーバーブログ内 ONPU-ART (http://ameblo.jp/onpipi/ )
こちらに更新いたしますので リンクからお入りくださいませ。
ONPU
GANBARE! JAPAN
100通を超えるメッセージありがとうございます。
今は建物の倒壊寸前の被災地から 地元に戻りまして復興作業しています。
また 古いブログの方々から多くの支援物資が家に届いてまして 本当にありがとう・・・・・
一陣目に届いた支援物資は お約束通り責任を持ちまして
困っているお年寄りに配りました。
皆様 ありがたく受け取って頂きました。
「おばちゃん 大阪の友達からお水が届いたよ」
両手で手を握りしめ感謝されました 「僕じゃないから・・・・」と事情を説明して
皆 本当に喜んで頂きました。 ありがとうございます。
メッセージの返答が出来ずにいて心苦しいと思っています。
私に出来る事は 何でも言ってください!! 何か協力する事はありますか?
などなど・・・ みんな 気持ちがやさしいよ・・・ その言葉だけで心温まります。
今回 皆各々 一つになって復興にまた 生きる為の協力を感じています。
僕は 被災地の復興作業で建物の修復を自ら選んだのですが
目を疑った現状に心打たれて場面が多い・・・・
高く危険な作業を主にして作業しているのですが それは人々の目に入りやすい場所でもあり
多くの方に声をかけられる 次できますか? 家も雨漏りがしてとか・・・・・
多くの方に答えたいけど 順番なので心苦しいのが現状です。
でも 自転車に乗ったお母さんが すぐ近くなので家を助けてくださいと・・・
「ここが終わったら見るだけになってしまいますが 待ってください」
そして 作業終わりに寄って見たが 目を疑った 壁が倒壊して無い家に
子供がこたつに入って勉強してるじゃねーかよ
ブルーシート一枚で 3週間以上も生活してたのか・・・・・
「僕 寒くなーか? 怖くねーか?」と声をかけると
「きっと誰かが 直しに来てくれるって お母さんが言ってたから 平気だった」
おおおっ・・・待たせてゴメンヨと 思わず言ってしまったけど 酷い現状だった
更に驚いたのは この建物には間柱が一本も使われてね!! まじか!!
建物自体に無理がある設計しやがる 同等の余震が来たらこの家は倒壊するだろう・・・
家の方に見て判断した限りを説明して 納得してもらい 応急作業に入った。
半分以上大破した瓦を全て落とし 残りの瓦も落として上部を軽くした。
上に突き上がった柱を修正しなければ とは言え 地震のエネルギーで
持ち上げられた柱が人間の力で戻るはずね・・・・・ そーた(愛車)しかねか?
車のフロントにスリング(ロープ)をかけ思い切り引っ張っり 柱が戻った
こいつは年に2回作り直した経験があるからバンパーが曲がるくらい何とも思わない
暇になっらゆっくり直してやるから 暫くは信奉してろ相棒
間柱を入れ コンパネで壁を塞ぎ ルーフィングを貼り応急処置をしといた。
取り敢えず 雨風は大丈夫だろう・・・
休日になると 以前 水難救助隊の仲間が復興活動に来てくれる
水の中では誰より強い奴等だが 苦手な高い所で協力してくれている
喜んでくれる笑顔が見たいから・・・・との一言でもくもくと頑張ってくれる
まっ このブログを見てるとは思うけど また一緒に活動出来て嬉しいよ
どんな小さな行動でも 一歩前進だと思う
瓦礫をちょっと移動するだけでも 大きな一歩じゃねーか?
見て見ぬふりして後から後悔するなら ちょいと立ち止まり寄せるだけでも
自分に後悔はないだろう
被災地で カートにカップラーメンを沢山乗せ分けて歩いてる高校生に出会った。
前を通り過ぎて行こうとしてたので 声をかけてみた
君達何してるの?と 自分達に出来る事を考えてお小遣いでカップラーメンを
購入して分けて歩いてると・・・・ なかなか出来ねーよ がんばれよ!!
でも ちょいと待て 動かなくなったタイヤ直してやるよ
深々と頭を下げられた オマイら・・・頭が上がらないのはこっちの方だよ
まだまだ 余震は続いて 一度ダメージをくらった建物はもろく壊れていく
大地よ 何に怯えて震えてる?
お前の震えが止まるまで とことん付き合ってやる 何度でも直し続ける
今 お前に負ける訳にはいかねーんだよね
ONPU
復興作業 放射能の雨
本当に多くのメッセージありがとうございます。
お返事が遅くなりますが 皆様のお気持ち優しさ勇気をありがとうございます。
また 以前オーダーなされて頂いた方々から 支援の物資も届きました。
ここは 昨日まで配送地域が出来ない所でしたので 本日まとめて配送されました。
本当に ありがとうございます。
昨日は やっと水が一部復旧しましたので徐々に全復旧されると思います。
電力を水にする作戦も 多くの方々に喜ばれてます。
毎日 画像の様な復興作業で 1日に多い時で3件の屋根の修理をしています。
震災後 屋根を乗らなかった日はありませんね
そして 今日は雨なので久々に体が休めると思ったのですが
自宅が雨漏り・・・・自分の家の屋根も駄目なのは分かっていたのですが
頼まれてる件数が多すぎて 自宅を直してる暇がありませんでした。
外は 放射能の雨なので外出は 控えるようにとの事・・・・・
でも 雨の日しか自宅は直せないので 濡れながら作業しました。
心の中で 「どこまで 苦しめれば気が済むんだよ!!」
地震 津波 放射能の雨・・・・・・・
誰のせいでも無いのですが 流石にやりきれない思いをしながら自宅屋根の修理
勿論 僕だけが不幸だとは思ってません
東北の方々はもっと これ以上の苦難に耐えて居られると思います。
ただ自分で消化出来る範囲が狭すぎて・・・
寝ないで仕事したい位 今は時間が欲しい困ってる人のお役に立ちたい
なのに 次から次えと災害に直面しなくちゃならないんだよ!!
放射能の雨の中 屋根の上でやるせない気持ちになってしまいましたね
そして 茨城の生産物は出荷・販売の自粛
県産ホウレンソウから食品衛生法の暫定基準値を超える放射能濃度が
検出された為である 今後 野菜を含め魚関係もダメージを受けるだろう・・・
災害にあって家無くし 津波で車や多くの物を無くし
今度は 生活の糧まで奪ってしまうのか
そして 放射性物質が大気中に拡散していると、雨と一緒に地上に落下する
野菜ばかりか人も含め 放射性物質をシャワーの様に浴びる
どこまで犠牲にすれば気が済むんだよ
放射性物質を含んだ雨が地面に染みこんでも
「放射性ヨウ素の半減期(放射線の量が半分になる期間)は約8日なので
長時間かけて水脈に染みこむ地下水は、すぐに影響が出るかどうか分からない」
とみている。 みんなから頂いてる電力を水に変えたのに 地下水までか・・・・
地震・津波が宿命なら僕は 受け止めよう
でも
放射能の被害は運命だと思う 宿命は変える事が出来ないけど
運命は 変えることが出来るんだよ
どうした 日本の技術!! 誰のせいとか思わない
将来 明るい未来が来るのなら 僕の出来る事復興位 辛いと思わない
体が放射能に汚染されても仕方無いと思う
でも 同じ過ちは2度と繰り返すな
これ以上 人々を苦しめない復興をしようぜ
微力ながら僕に出来る事は ボロボロになるまで復興に頑張ってるつもりだ
日本の原子力関係の方々を信じてるから・・・・・・・負けんなよ!!
ONPU
ヤシマ計画ありがとう 電力を水に変えろ!!
更に多くの応援メッセージありがとうございます。
皆様のメッセージ一字一字読みながら 涙ぐんでしまいました・・・・・
多くの方が 節電にご協力との嬉しいお言葉・・・・本当に ありがとう
ここは 被災地なので計画停電から外れ 随時電力が供給される事になりました。
日本中から節電された電力が 集まって来ているのを感じています。
本当にありがたい・・・・・今回の節電は 別名 ヤシマ計画※1と呼ばれてますね
節電により 被災地に日本中の電力を送れ!!との計画
本当に ありがたいです。 みんなの大切な電気 ありがとうね
※1) 節電運動 ヤシマ計画
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で、福島県の原発など東京電力および東北電力の発電設備にも大きな打撃を受けたため、政府と電力会社が停電を避けるために広範囲な節電を呼びかけたことが、上記の「エヴァ」作品上の作戦と類似していたことから、twitterなどを中心に「ヤシマ作戦」と呼ぶようになり、アニメ公式ブログでも追認した。
未だ水は断水状態です。 復興に難航状態で水がありません。
僕に出来る事 ヤシマ計画にて 日本中から集めてくれた電力を水にする事
皆様の節電を 水に変換してここ被災地の方々にお役に立てればありがたい
みんなの協力と一体になり 微力ながら力になりたい・・・・・・
もうあの水を飲まなくても 少しでも綺麗な水を飲んで貰いたい。
家に随分前に使っていた井戸があり 中古の古い井戸モーターポンプを購入
電力が供給されれば ポンプで地下水を汲み上げる事が出来る。
昨晩からこの作業に取り組みました。
古くてもポンプのモーターは 電力を入れたら動いた
中のダイヤフラムさえやられてなければ間違いなく水は 汲みあがるはず!!
悠長な配管とかしてる時間より 早く水を出すことに切り替え
配管じゃなく ホースを使うことに・・・・・
どうせ断水なんだから 家の水道の供給元を塞いでしまえば良い
そして 以前作った外の道路に面した立水栓 からポンプの汲み上げた水が出れば
多くの方々に供給できる
日本中から集まった電力でポンプを作動してここに出せれば
あえて立水栓を作らなくても済む 外の配管に繋げばここから水が出るはず
そして 先ほど地下水を汲み上げ 水を出すことが出来ました。
日本中の貴重な電力を 水にしました。
後は 多くの方に使って頂ければ ありがたい
僕に出来る事・・・・本当に微力だと思う でも 少しでも綺麗な水で凌いで欲しい
大げさかもしれないが みんなの暗闇の時間を無駄にしたくない
一人でも多く助かる方が居るのなら僕も本当に 嬉しい
本当に貴重な電力をありがとう ヤシマ計画に協力してくれてる皆様
心から感謝と有難さで胸がいっぱいです・・・・
本当に ありがとう
ONPU
生きてます
I believe
連絡が取れず多くのメッセージありがとうございます。
お返事したいのですが 多くのご連絡によりお返事が遅くなると思いますので
取りあえず 夕方電気がやっと復旧したので無事に生きてるご連絡をここで致します。
まさに ここは被災地で 未だ厳しい現状の中の生活です。
僕の所は 震度6 茨城沖震源から一番近い所に住んでまして
建物の損壊はもちろんの事 津波 停電 断水 橋・電車・バスの運休ストップにより
住んでいる所が隔離された状態です。
3月11日 沖合いの海底の太平洋プレートにより震度6の地震発生
お袋は勿論の事 近所のお年寄りを広い場所に避難させましたが
正直 立ってられない状態の直下型地震 周りの建物が崩落して
隣近所の人々を建物内部から外に非難させるのが精一杯でした。
石塀が倒れや瓦が降って来て頭部を守るようにしながら家々を走った・・・・・
今までに体験した事が無い揺れだったので建物の崩落が頭によぎったからです。
揺れが収まっても 僕の家から1~2分で太平洋 海なので 次に津波の心配でした。
多くの船乗りが津波が来るのを予想し船を沖合いに出すのに必死だった。
津波が来ると港に着岸しておくと船がバラバラに損傷してしまうので 沖合いに出るのです。
第一波が到来する前に沖に出せなければならない
知り合いの船乗りさん達と海に向かった・・・
途中の道路は廃滅状態なのが家の近くで確認出来たので
走るしかない 船乗りとしては時間との勝負であり 生活の糧を失うかの瀬戸際
僕の住んでるところは 崖の高台にあり 宮崎映画の崖の上のポニョ見たいな感じです。
多分 津波警報より行動は 早かったと思う・・・・
船が出るのを見送っていると 海面が引いて湾内の海底の砂が見え始めた
来る・・・・ やばい 大きい津波が来る取りあえず今度は 海から離れなきゃヤバイ
出遅れた船乗りさん達をすれ違い 行くのを止めた もう無理だ 逃げろと・・・・・
振り向いた瞬間 水面が上がって行く まず沖あいの堤防が水面に隠れた
テトラの間から海水が噴出し 第一波が迫って来たのである
少しでも高い所に避難しないと やばい 高い方角に走った。
下を見ると海の水が溢れ出し 停車してる車が流され始めて
船と車が一緒に流されてる様でした。
町の方角に逃げたのですが 海水は迫って人々は少しでも高い所に逃げて行く
途中 逃げ遅れて 子供を背負ってる女性が目に入り 引き返した。
取りあえず高い所に行く様に 指示してなんとかちょっと高い所に行き
ながら 犬が吠えてるのが聞こえる・・・・・どこだ?
吠えてる方角を探したが分からない その時 海水は民家まで浸水して来てまして
取り残された 犬でした。
呼んでも 来ない・・・・・ あっ リードに繋がれてるままじゃねーか
急いで犬の所まで行き リードを外して 首輪を持ち高台の方角に向かった
海面が引いて行く 今度は海に引きこまれ始めてましたね
僕はぎりぎりの所でしたので そのまま高台に非難出来ましたが
後から聞いた話では 5m位の津波だった見たいですね
町の中心部まで水は 押し寄せられ推測ですが100台以上の車は水没したのでは?
と思います。 車はあちこちの塀や玄関・・あらゆる所に流され移動してましたね
余震はまだまだ 収まらず まさに地獄絵じゃねーかよと思いながら取りあえず家に・・・・
電気・水道はストップ 高台は液状化 まさかここが被災地になるとは・・・・
水の確保しないとならないし暖を採らねば・・・・ 昔の石油ストーブを持ち出しました。
幸い家は プロパンガスなので 火だけは使える こんなときは昔の物に限る
水の確保にコンビニに行きましたが 電池・食料・飲料水等はありませんでしたね。
電卓で計算しながらの販売で長蛇の列 我も我もと生きるのに凄い光景だ
そして数時間で コンビニから品物が無くなったみたいだった。
水の配給などの話もまだ無い 仕方が無いので家の崖の下から流れる
水でその場をしのいでました。
一応 地下水なのですが 今まで犬が散歩の時飲む位で これを飲むとは・・・
でも 水が無いので何人かこの水を汲みに来てました。
次の日は 水の配給はあったみたいだったのですが
少しで配給にて終了 その水をめぐっての喧嘩で凄かったみたいで
ここの水に長蛇の列が夜中まで続き 深夜も汲みに来てたのですが
人が途切れる事は ありませんでした。 今でもですね
ここは 今でも断水なので水を巡ってこの水を飲まなければいけない
朝は薄暗い時間からペットボトルで水を汲み 沸騰させて近所のお年寄りに配った
毎日 毎日・・・その度に涙ぐまれれて こんな水で僕の方が辛い
でも 飲まなければいけない そして食器を荒い その水も貯めて置きトイレに使う
普段 水道から出るのは 当たり前すぎて 今まで有難さが分からなかった・・・・
僕は4日間 この水で凌いでましたが 昨夜電気が復旧したと同時に
家の敷地の使って無い昔の井戸に中古のモーターを譲り受け 家の井戸水を復活させました。
これで明日から 近所の方々や困ってる人に水が分けられる
日本全土から計画節電にて分けてもらった電気が来た みんな ありがとうね
有効に使わせて頂きます。
電気が4日間ストップしてたので テレビなど情報が分からないけど
地震後 ラジオ位は聞かないとと ラジカセを探した。
家の中の引き出し扉等は 全て開き冷蔵庫の物も全て散乱して
家の中を2日間 靴で歩いていた。 物がどこにあるのか分からない常態だ
見つけたけど電池が売ってません 家のCDラジカセは 単2 8本だけど 単3と単1しかない
取り敢えず ガムテープで家にある電池を直結 配線を繋いで聞くことが出来ました。
電話は 圏外 家電も光回線の為 アウト ミッドセンチュリー状態です。
それより酷いか? 蝋燭・汲み水・ラジオ・灯油ストーブで過してました。
昼は 朝から町内の屋根の修理 僕の所の瓦屋さんは200件待ちらしく
取り敢えず雨漏りしない様に応急処置と屋根に残った瓦の撤去です。
朝から修復工事 1日3件ペースの毎日 屋根の上は平気なのですが
流石に 余震が来ると怖いですね 被災地精神的ダメージより
屋根の上の作業での地震は 心臓に悪い まだまだ頼まれてるので
リアルに危険との復興作業が続きそう・・・・ せめて余震さえ無ければ良いのだが
宮城・福島・新潟の被災地に比べたら ここは 全然 被災地であても被災地と云うのまで行かないと思う
僕のブログを見た 被災地の皆さん
間違い無く 僕より もの凄く大変な思いをしてると思います。
お日様が昇らない日は無いから 負けんなよ!! 大丈夫だ頑張ろうぜ!!
そして 多くのメッセージ ありがとうございます。
すぐに返信出来ませんが 皆様のお気持ちは 温かく受け止めました。
心配してくれて 本当にありがとうね もう少し落ち着いたらブログに戻ってきます。
暫く町の復興作業になると思います・・・・僕に出来る事 まだまだあるはず
ONPU
(第3波画像 やっと津波の規模が小さくなった様子ですが 町中はもっと酷かったです。)
1920's ガス台家具製作
1920’sアンティークオーブン型 収納家具製作 扉作ってます。
ええと 何名か質問のメッセージを頂きましたので 直接お返事いたしますが
まず 今回の大きさについてですが 横幅は 1mになります。
横幅1000mm 高さが650mm 奥行き550mmの家具を製作してます。
当時のガス台のサイズを改造してるので寸法は以前のままです。
ガス台としては大きい方かな・・・? 今の住宅は平均大きいですから同じ位すか?
白い部分は 下地ペイントなのでこの取っ手も 本体と同色になります。
何か白のままでも良い気がしてきたけど (;^ω^A
この頃は 家具作ってる時が一番良いな・・・ 作る側の人間なので
造形・造作の時間は ワクワクしますね
販売とか 全然駄目 苦手ですね><; 出来ればやりたくね・・・・
オーダーをこなしてる時間が幸せ^^
でもそろそろ 商品考えないと・・・・たぶん次も かわええ家具だろうな
その前に 今晩 もう一つの扉作らなきゃ(;^ω^A
Antique ガス台製作
夜な夜なキッチンガス台製作も 大詰めに差し掛かってきました^^
僕が今回 参考にしてるのは Kalamazoo Stove カラマズ社のオーブンです。
ペパーミントのオーブンは 1920-1940にかけてのモデルだとは思うのですが
正直 オーバル(楕円)エンボスデザインの年式特定は わかりません><;
この色のモデルデザインは数パターン存在するのです・・・・
楕円は形から測定すると ミントグリーンになっての初期型だとは思うのですが
扉センター部になんちゃって温度計をつけました^^
1920 キッチンオーブン型 ガス台を製作
今までの流れ画像
オーブンの重量感のある感じにしたいので