以下、読んでください。

今回のガリガリのシーズーたちは、日本動物福祉協会さんとの協力体制で引き受けました。


以下を書いたのはシーズーのことで私に連絡をくださった方からです。亡くなった山崎さんの最後の言葉を聞いた方です。


今、私も彼女と話してました。

最後の電話、、内容、、、
以下彼女がどんな思いで書かれたか、、




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

栃木県動物保護ネットワークさんよりシェア



<動物のことをやりたいなら他へ行け~栃木県動物愛護指導センター・栃木県生活衛生課~>


山崎さんがパワハラで亡くなって以降、その記事のアメブロなどの内容が削除されています。


以前も県の生活衛生課の職員の横暴をUPしたら、その団体様の記事が消されるなどのことがありました。もし、お気持ちがある方がいたら、シェアはもちろんですが、画像ごと元記事をコピペしていただければと思います。消されたくない記事なのです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

長年、栃木県の動物行政の中で、動物たちのために孤軍奮闘されていた山崎 重寿さんが職場のパワハラで自殺されました。





享年 50歳・・・以前から、栃木県動物愛護指導センターの上部組織でもある栃木県生活衛生課の現課長には他の人もいる席でだったり、また、センターの上層部から事あるごとに呼び出されてはパワハラを受けていました。




でも、センター犬で唯一の家族でもある「花子」が生きている間は頑張るというのが山崎さんの口グセだったのですが・・・


4月14日 山崎さんは職場のお休みの日でした。午前中にいつも通り、犬のお散歩ボランティアを終え、お帰りになったそうです。


4月14日の 午後、突然、各方面の携帯に着信やメールなど、山崎さんから連絡が入りました。長年、レスキューで頑張ってきたある方へのメールには、「急遽ここを離れることになりました○○さんには、ワンコのことで大変お世話になり、いつも感謝していました。どうかこれからもワンコの達のために頑張って下さいありがとうございました」家族同然のお付き合いをしていた方へは感情が高ぶった様子で、電話があり・・・


職場に急に呼び出されて行ったら(栃木県動物愛護指導センター)センター長と総括から携帯を見せろ、(塩谷町の現場の)団体に情報を流したのはお前だろうと言われたこと。もう動愛は辞める。お散歩にはもう行けない。花子(センター犬で山崎さんの愛犬)のことをよろしく頼む。と電話が切れたそう・・・


こちらにも何回か着信が入ってただ事ではないのが分かったのですが、電話でお話しできたのは夜でした。山崎さんは携帯を見せるように言われたこと。塩谷町の現場について、公務員しか知りえない数字を団体に横流ししたのはお前だろうと濡れ衣を着せられたこと。反論はしたけれど信じてもらえなかったこと。そして・・・動物たちの置かれた環境改善のために頑張っていた山崎さんを普段から煙たがっていたセンター長と総括たちに・・・



「ここは動物のためじゃなく、人間のための職場だ。そんなに動物のことがやりたいなら他へ行ってやれ」と言われたそうです。この日、山崎さんは職場を辞める決断をし、とりあえず、明日から休むと言ってセンターを出ました。死ぬ覚悟をして・・・その塩谷町の数字は、町役場の職員2名と栃木県動物愛護指導センターの係長が団体に話した数字でした。そして、隠すような秘密の数字でもありません。栃木県生活衛生課と、栃木県動物愛護指導センターは、自分たちにとって「ヤバい現場」を外部に知られたくなかった一心でいつも情報隠しをしていました。そして、団体側や報道が動くたびに、情報を漏らした人間を探す犯人捜し・・・


そして、ついに現場を解決する努力もせずに自分たちの保身のために・・・


濡れ衣を着せて、人を一人殺したのです。私も現センター長が栃木県生活衛生課にいたころその情報をどこで知ったのかと聞かれたことがあります。どこで知ったかなんてそんなに大事ですか?山崎さんのことは全く存じ上げない頃でしたが・・・前センター長も問題解決に尽力してくださっている先生方との人間関係を詮索したり。そんなことが何かに役立ちますか?山崎さんに身寄りがないのは知っていたから自殺に追い込んでも公務労災にもならないことは生活衛生課課長もセンター長も計算していたでしょう。居場所とやりがいを奪い、自分を否定され、唯一の家族である花子との時間も奪われて山崎さんは生きていけるわけなんてなかったのも栃木県動物愛護指導センターのみんなが知っていたはずです・・・





だからこそ、14日、山崎さんがいなくなった後、センターの職員が朝と夕と山崎さんの自宅を見に行っていたのでしょう。センターは山崎さんを追いこんだら「何かが起きる」ということを知っていたのです。山崎さんは身寄りがいないばかりに、火葬は宇都宮市生活福祉課が担当しました。そして、その火葬の立ち合いには追い込んだ側の栃木県生活衛生課、栃木県動物愛護指導センターの職員ばかり・・・


もちろん職員の中には心ある人はいたでしょう・・・


しかし、追い込んだ側の栃木県生活衛生課課長と動物愛護指導センターのセンター長の「こいつ面倒くさいことしやがって」という逆に被害者面をはっきり見ることができました。葬祭場に団体側の人間がいるのを見つけて固まっていた上層部。騒ぎになる前にと会葬時間よりも早く、さっさと火葬を開始しようと、上層部の判断で山崎さんを窯に入れるような対応をしました。駆け付けた団体側が会葬開始時間よりかなり早く火葬がはじまっていることを抗議すると栃木県動物愛護指導センター長が「会葬案内を出していないお前らが何で来るんだ!帰れ!」と怒鳴ったこと。殺した人間が、山崎さんがお別れの挨拶を言っていた側の人間に言うことですか?団体側に会葬案内は来ませんでした。山崎さんの死を闇から闇へ葬るために。山崎さんももしかしたら覚悟していたかもしれません。私たちに迷惑をかけないように、負担をかけないようにそういうことを気にしていた人だったので。今回のことで、各団体は情報や話を集めました。山崎さんは不遇な育ちで、身寄りがありませんでした。自分のことをかたくなまでに語らない人でしたが、幼いころに親戚に預けられ、悪いことをすると犬小屋に閉じ込められていたこと。きっと、ここで犬たちと仲良くなったのだと思います。そして、自分も不遇な育ちで身寄りがなかったからでしょう・・・


心から・・・本当に心から・・・


センターに収容された動物たちに心から寄り添える人でした。動物たちの適性判断は職員の誰よりも正確。そして、いい子だから助けてやってほしいというお気持ちの中で、団体側やレスキューされている個人の方との交流がありました。譲渡されてセンターを出る犬や猫には、抱っこして、頭を撫でてやって


「おまえ、良かったな~幸せになれよ」と。そして、私達には深々と頭を下げて「助けてくださって、本当にありがとうございました。この子のこと、どうかよろしくお願い致します。」とても丁寧で、優しく、お人柄がにじみ出る対応でした。それだけのお付き合いでしたが・・・


でもそれが上層部に疑われる結果となり・・・事件が起きました。私たちはかけがえのない人材を失ってしまったのです。だからこそ、県内の団体全部、そして個人的にでも助けてもらったいのちとご縁があった方たちがここまで山崎さんの死を悼んで、動いているのです。


おそらく皆様も目にされたことがある栃木県動物愛護指導センターの収容動物情報。そこにも小さないのちのための山崎さんの細やかな配慮がありました。センターに行った時に、私たちがわんこを出すときの判断材料で、抱っこされていたり、素手で触っている収容動物情報の画像を見て、この子は大丈夫そうだと思って選んだと話したら、山崎さんはにっこり笑って、「ワンコは汚くない、それに素手で触っている写真だと噛まないとか分かるでしょう?俺が抱っこしていれば、噛まないとか可愛いとかいい子だってみんなに分かるじゃないですか!」と・・・


聞けば、職場の申し合わせなどではなく、山崎さんの想いで自分がやっているだけとのこと。その時に初めて、収容動物情報ひとつとっても動物たちのために少しでもチャンスを広げようと私達でも気が付かないようなことまで気を配って努力していることを知りました。ちなみに彼が抱っこしていた犬は私たち団体側が手を出す前に一般市民から希望が出て、一般譲渡で決まっていました。彼は本当にたくさんのいのちをつないできていたのです。


上三川の犬達は共食いばかりがクローズアップされ、なかなか譲渡先が見つからず、山崎さんがいつか処分されてしまうのではないかと恐れていた上三川の虐待犬。新聞社からの取材で犬を抱っこして見せていたのもそんな想いがあったからでしょう。いい子ですよ、抱っこできるし、可愛いよって・・・


上三川の虐待犬達は、劣悪な環境下で糞尿のヨロイが体表面にガッチリ付いていて、シャンプーどころかバリカンも入らない状態の犬達でした。シャンプーも何もしていないのにここまできれいにしたのは山崎さんだったそうです。本当に汚い状態の犬達でしたが抱っこして、触って、そして自然にヨロイが取れてキレイになって・・・犬達の心のヨロイも取れて改善していったのは山崎さんだからこそできたことです。収容施設に勤めていた時は、せめて殺処分場に送られる前まで、自分のところにいる間はと、自分のポケットマネーで動物たちのベッドを購入し、特別においしいおやつやフードをあげていたそうです。私も県南ドッグセンターは環境がいいと話は聞いたことがありました。もしこういった配慮がなければ、度々皆様がご覧になる栃木県ドッグセンターのように濡れた冷たくて固いコンクリート床に死ぬまで置かれるだけの犬達だったに違いありません。体を休めたくてもぬれた固い床の上だけ。寒くても寒さをしのぐことさえできない環境・・・彼はどうしてもその環境を見過ごすことができず、個人的にできる限りのことをしていました。「俺のところにいる間はせめて不自由させない」と。でもこの件でさえ、上層部からは特別なことをするな!とことあるごとに注意されていたそうで、そのころから俺は職場の厄介者だからと言っていたそうです。彼は、私たちでさえなかなかできないくらいのぜいたくおやつなどをたくさん準備し、動物たちのために自分のポケットマネーをはたく割には自分は質素な生活で・・・


朝早くにセンターに行って、身寄りのない彼の唯一の家族でもあるセンター犬の花子との時間を取ってお世話をしてから通常業務。お仕事が終わったら、自分がお願いして助けてもらったわんこさんたちのお散歩のボランティア。帰りにスーパーやコンビニでおつまみを買ってビールを飲む。唯一の家族でもある花子との時間を何よりも楽しみに大切にしていました。二人でいるのを見ただけでも、誰が見ても分かるくらいの特別な絆だったそうで・・・

小さないのちに寄り添い動物たちのためにと頑張り続け、組織がいい方向になるようにと働きかけを続けていた職員に対しての仕打ちが彼から、やりがいや居場所を奪い、否定し、身寄りのない彼の唯一の家族を奪うことだったのです・・・山崎さんは最後の電話の中で、「中から変えようと思って頑張ってきた。中から変える必要があると思っていた。中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。でもダメだった・・・もうダメだ・・・


俺は負けたんだ・・・もう二度とセンターの門はくぐりたくもない。あんなところ二度と行きたくない。」と・・・


濡れ衣を着せられたことを怒りもしなかった山崎さん。それよりも何よりも職場に対して常々持っていた疑問、捨てられて収容された動物や、悲惨な現場に向き合わず、情報が漏れたのではないかと犯人捜しをしたり、動物たちのためにと何かやれば、余計なことはするなと潰されていく職員たち・・・俺は負けたんだと繰り返す中には、職場のあり方にただただ絶望していることしか伝わらなかったです・・・


職場を辞めるということは唯一の家族でもある花子と別れるということ。今までは、花子が生きている間はここで頑張ると言っていた山崎さん。ついに心が折れた時でした・・・居場所ややりがいを奪われて、自分を否定されて、身寄りのない山崎さんにとって唯一の家族でもある花子と離れて生きていけるわけがなかったのにその時点で気が付くべきでした。栃木県の動物行政の上層部はそのことを知った上で、そして・・・

身寄りがないことをいいことに追い込んだのです。身寄りがなければ、労災にもならず、おとがめなしです。そして私たちに知らさなければ彼を闇から闇へ葬ることができました。山崎さんは自殺する直前の最後の電話で遺言ともいうべきお願いをしました。

●山崎さんが家族同然だったお付き合いをしていた人その動物たちを守るような配慮をすること

●上三川の虐待事件現場からレスキューされた犬たちで自分がトレーニングしていた犬達が殺処分されたりしないようにすること、譲渡先の確保

●これからもできる限り動物たちを助けてほしいこと。

●栃木県の動物行政は変わって行ってほしいこと。いのちや現場に向き合ってほしいこと。そして最後に一つだけ・・・。彼のわがままなお願い。唯一の家族でもある花子のことをお願いしますと・・・本当に最後の最後まで、自分のことより小さないのちに寄り添う人でした。センター犬でもある花子ちゃんは今14歳くらい。花子が子犬のころから山崎さんがハンドラーとしてついた犬だそうです。身寄りのない彼にとって唯一の家族で、花子のことをよく娘だと言っていました。びびりな子で山崎さんをはじめとするごくわずかな人にしか心を許さないわんこさん。私は花子のことお願いしますって言われても無理だよ、会ったことがないし、びびりな子なのだから山崎さんがいないとダメだよ、大体、山崎さんだって花子がいないとダメでしょうって言ったら・・・


山崎さんは、穏やかにやさしく一言。「大丈夫だよ。どこにいてもいつか虹の橋で会えるから・・・」絶望の淵でも忘れることがなかった花子のこと。でももう会えないとなったときの「いつか会える」は彼のわずかな希望でした・・・彼の引っ越しはいつも一時間で済む荷物だったそう。ご自宅にはテレビとお布団だけが残っていたそうで着替えやタオル歯ブラシなどの日用品もなかったようで・・・


ごみに捨てたのでしょうか。あちこちにご連絡をしてお別れのあいさつをしながら大きなものだけを残し、部屋の後片付けをして、車に乗って最後の場所へ向かった山崎さん。きっと、家族同然だった人のおうちを通って、いつも犬達とお散歩していたルートをたどってから最後の場所へ向かったはずです。最後の場所も私たちの知っている場所でした・・・

皆様にお願いがあります。山崎さんのような小さないのちに寄り添う職員がいのちを絶たなくてはならない職場や、この現状を変えたいと思います。こういう職員がやりがいを持って笑顔で仕事ができる職場へ・・・私たちは改善していきたいと思います。今の栃木県の現状を変えるためにも皆様の声を届けていただけないでしょうか?下記の手法のいずれかで要望していきたいと思います。~*~*~*~☆知事にアクセス☆~*~*~*~http://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/pref/kouhou/iken/chijiakusesu.html提案の方法1.ホームページ上での提案方法提案フォームへのリンクを開くと入力画面が表示されます。2.電子メールで提案するメールアドレス:teian@pref.tochigi.lg.jp3.郵送又はファクシミリでの提案方法①郵送送付先〒320-8501 郵便番号のみで住所の記載は必要ありません。)栃木県広報課「知事にアクセス」受付係②ファクシミリ送付先FAX番号:028-623-2160☆お問い合わせ:広報課☆〒320-8501 宇都宮市塙田1-1-20 県庁舎本館3階電話番号:028-623-2158ファックス番号:028-623-2160Email:kouhou@pref.tochigi.lg.jp


下記、要望内容です。これに皆様のお気持ちを付け加えていただければ幸いです。~*~*~*~*~要望内容~*~*~*~*~1.動物行政の上層部の更迭この度のパワハラによる自殺の直接の原因となった栃木県生活衛生課 課長と栃木県動物愛護指導センター センター長の更迭を求めます。これは、自殺事件の直接の原因の責任を取らせるという意味合いよりも、人材を生かせなかった管理職のトップとしての責任と上層部に逆らえば、今度は自分が追い込まれると恐怖心を感じている、今の職場環境の改善、似非愛護のNPO法人や鹿沼市の登録取消の動物取扱業者上三川の虐待事件、安楽死用薬品紛失事件、塩谷町のアニマルホーダーの現場など様々な現場の対応の遅れ、また、収容動物のオスメス間違いなど基本的なミスやあってはならない感染症が頻発するなど度々、外部からも注意を受けているにもかかわらず、改善がないことについて責任を取っていただきたいということです。なによりも小さないのちや都合の悪い存在を殺す、排除するという思考は危険であると同時にその管理職の能力不足でしかありません。これを機に真に人材を生かす職場に生まれ変わっていただきたいです。2.収容された動物たちの場所の環境改善と、収容動物の生存の機会拡大をお願い致します。①殺処分場でもある栃木県ドッグセンターには床にすのこなどを敷くこと、四季を通じて、マットなどを敷いて、動物たちが体を横たえることができる環境つくりをすること。現在のように冬期はマットを敷いてもらえるけれど、春からは濡れた冷たいコンクリート床に直接、身を横たえる現状が改善されることを願っています。②殺処分場でもあるドッグセンターの過酷な環境の改善と、生存の機会拡大のために新しく長期の保護管理ができる譲渡用の施設新設をお願い致します。必要であれば、そのための基金を創設してください。ドッグセンターは冬期マイナス10度以下です。養豚マットなど熱源があるということですが、大部屋で使用されているのを見たことがありません。また、現在、法律にある適正保管の基準を満たすとは到底言える代物ではなく、建物の構造的にも室内保温が難しいため作り変えることが必要です。また、隔絶された山の上にあるため、人目につかず、譲渡のチャンスそのものが少ない環境です。職員も栃木県動物愛護指導センターと栃木県ドッグセンターの二手に分かれてしまい結果的に動物たちの保護管理が満足に行えない結果、様々な問題が起きています。ドッグセンターにいる嘱託の獣医師職員も高齢であり、臨床経験自体がなかったりと、実際、人材不適だったりします。人材が集積されている場所での管理の一元化をお願いしたいです。最終的には、全国的な流れに沿って、市街地の中、または近くなど、人が訪れやすい場所で、殺処分される施設ではなく、収容された「動物たちがセカンドチャンスを得る新しい施設」ができることを強く望みます。3.職員の研修を行ってください。動物の管理にあたって、必要な臨床経験を積むこと、収容場所や業務改善のために必要な研修を受けてください。またその研修内容を職場全体で共有し、きちんと業務に反映させてください。オスメス間違いの頻発などあってはならないことです。4.民間と協働してください。自分たちにとって都合のいい団体との協働ではなく、活動実績があり、活動している県内の民間団体との共働を強く望みます。現在、県内で抱えている問題をお互いの信頼関係の中で一緒に解決して行く必要があります。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~最後になりますが、国には、収容された動物たちのための収容場所の基準を作っていただきたいです。行政の収容場所であるにもかかわらず、動物たちの「5つの自由」が守られていない不適正な収容場所がまだあります。山崎さんは美しいものを美しいと感じる心があって自分の信じた道を行った純粋な人だからこそ壊れてしまったのだと思います。自分の信じる道でしか生きられなかった不器用で、本当に純粋で優しい人でした・・・

不遇な少年時代、そして身寄りがいなかったからこそ捨てられた動物たちに心から寄り添えた優しい人。孤独の中で生きてきたからこその優しさ。自分を見失わない強さ。大好きだったというStingのShape Of My Heartを思わせるような生き方。あなたは負けたんじゃない。自分の信じる道を譲れなかっただけ。自分の信じる道でしか生きることができなかっただけ。なんて優しい、不器用な人・・・


そしてこれからは一人じゃないから。だから、今度こそ、一緒に行こう。全国のセンターや保健所の職員がいつかこんな素敵な笑顔でお仕事できるように一緒に変えていこう。これからもみんなで頑張ろう。山崎さんは4月14日に栃木県動物愛護指導センターで上層部のパワハラを受けた後同日4月14日の夜に亡くなりました。ご遺体が発見されたのは、日が経った4月20日・・・警察に収容され、検死後、火葬され、納骨されたのは5月14日。身寄りのない彼は、自分を追い込んだ栃木県動物愛護指導センター側の人間によって送られることになり、そして無縁仏として御遺骨は宇都宮市内の霊園に納められました。せめて、皆様には彼のような職員がいたことを知ってほしい。彼のような職員がやりがいをもって素敵な笑顔で動物のために寄り添って働ける職場になってほしい。全国のセンターや保健所が彼のような人材を生かし、動物たちへセカンドチャンスを与える場に生まれ変わってほしい。私たちの切なる願いです。

山崎さんが助けてほしいと言ってレスキューされた秋田犬とお世話をする山崎さん。





画像2枚目山崎さんが助けるきっかけを作った秋田犬とのお散歩ボランティア風景。


山崎さんが描いた素敵なスケッチ画。






実はとても絵を描くのが上手でした。画像4枚目彼がトレーニングしていた上三川の虐待事件でレスキューされた犬と。皆様、どうかよろしくお願い致します!山崎さんのことを私たちは絶対に忘れない。心からの感謝と共に・・・



Android携帯からの投稿