手術拒否 でも私は生きます その1 | おんせんババサ闘病記

おんせんババサ闘病記

検診を受けていたのに、子宮頸癌ステージ4で癌発覚!
肝臓、肺、副腎に癌の転移あり。全身癌状態ですが明るく前向きに闘病しています。

こんにちは!ババサです。


本当なら手術は明日のはず…多くの方に応援して頂いているババサです。

ショッキングなタイトルでびっくりされていると思います。

そして、応援コメントたくさんありがとうございます。入院前日全てのコメントを読み感激して、

皆さんから勇気をもらい東京行きの高速バスに乗りました。

入院してから、タブレット端末でコメントの返事を打とうと思っていたのです。

(ごめんなさい、今回はコメントにお返事できないと思います。)


しかし…入院して主治医より手術前の検査の説明を聞いて驚愕しました。


私の検査結果


多発肝・肺転移

左副腎転移疑い

左腸骨転移疑い

腹膜播種


全身に癌が転移している。

しかし、呼吸機能、採血データー、心機能などは問題なく十分手術出来る状態でした。

でも、肝臓の癌を特殊な手術方法ですべて癌を取り除いても、肺や副腎、骨転移している状態なら

素人だって手術する意味は無いと思うはず…

私は手術を断りました。


入院日は4月24日、4月22日の夜9時過ぎに東京の病院のS医師よ連絡がありました。

「手術は4月28日に決まりました。24日入院してください。詳しい話は事務の者が明日連絡します。」

私は、「肺転移とか…大丈夫だったんですか?」と聞いた。


検査で胸部X-pを撮ったが、撮影後撮り直しをしていたのが気になっていた。

「胸部に怪しい影はありましたが、それは今電話で話す事ではありません。入院してから今後の治療方針については病棟主治医が詳しくお話しします。」


「手術はできる状態ですね。肝臓の手術をすることは、手術後私のQOLは良くなると判断されての事なんですね?」と私は念をおした。


「はいそうです。」


私は一抹の不安を持ちながらも…一歩踏み出しやっとつかんだ明るい兆しにすがる思いで東京行きを決意した。



本題に入る前に、今までのババサの状況を少しだけ整理して綴ります。



ババサは子宮頸癌ステージⅣです。

しかも、扁平上皮癌なのにベーサイドタイプと日本にほとんどない症例でした。

自覚症状は3年前からあり、医師の指示通り検査を受けていました。

不正出血もあり、「癌になっていると思う、おかしい!」と訴えましたが、更年期障害と診断され

発見が遅くなってしまったんです。子宮頸癌、遠隔転移あり(肝臓転移)ステージ4で昨年の9月に告知を受けました。


その後、県外の病院に変えて、往復5時間の道のりを通院し抗癌剤治療を3クール受けました。

しして、昨年12月に子宮広汎全摘術を受けました。

腫瘍マーカーの値は正常で、腹部CTも肝臓にある影は薄く癌でない可能性もある。

癌でない可能性にかけて手術をしました。



でも、結局肝転移でした。抗がん剤の効果は少なく、TC療法を6クール
終えましたが、肝臓の癌は拡大、小さな癌も8個散らばり
事態は最悪になってしまいました。余命宣告をされたような状態でした。
抗がん剤で延命治療しか選択肢はないとA癌センターでは言われました。

その間私は本当に精神的にも辛かった。不安、恐怖、色々な負の感情に押しつぶされそうで精神的に不安定となり、安定剤や眠剤をを飲むようになりました。

人生において最大の試練、修行だと思い前向きになんでもとらえるよう頑張りました。
最初に癌告知を受けた医師、…Y医師を最初は恨んでいた。今後自分の様に見落としにより悲しい思いをする女性がいないように再発防止に努めてほしい。謝罪してほしい。
そんな強い思いもあり闘っていました。

でも自分の身体はどんどん癌に蝕まれた。それでも私は最高の家族、上司、友人に支えられ前向きでした。
だけど…神様は残酷でした。
どんどん悪くなる自分の身体。 倦怠感、食欲不振、便秘、左膝の痺れ、指先の痺れ、そして精神状態
鬱状態、不眠…

時々パニックになりかけ、上司や友人に気持ちを吐きだしました。でも、一時的には落ちついたが、又酷い不安感に押しつぶされそうになった。そんな時、ブログの応援コメントにも勇気をもらいました。

それでも、暗いトンネルからババサは出口を見つけることはできなかった。どんどん身体が悪くなっていく
本当にそう自分で実感してしまうから…。

そんな時思いました。
「人を恨んで死にたくない。今まで修行だと思って耐えてきた。私に足りないのは人を許す気持ちか?
人は誰だって完ぺきではない、過ちを犯すから…怒り、恨みの感情からは何も良いものは生まれない。
もうやめようY医師を恨むのは…もう一度Y医師と話をしてみたい。」
私はI 市立病院のリスクマネージャーに連絡を取り、「Y医師と話をしたい。病状が悪化し、急に何かあってもおかしくない状況であり、緊急時にはそちらで診て頂きたい。もう一度Y医師と話をしたい。」と伝えました。

私はY医師と話をした。自分の悪くなっている病状を話した。
Y医師は、「珍しい細胞であったが、初期で見つけてあげられなかった事は残念だ。悲しい思いをさせて申し訳ない。こちらでの治療を希望するなら、誠心誠意やれることをしたい。」
目を潤ませて言ってくれた。

私はY医師と泣きながら握手をした。
和解した事を後悔はしていないが、「あの時にCTを撮っていれば絶対こんな事にはなっていなかったのに…」
そんな思いは払しょくできなかった。でも、怒りの感情は全くなかった。
怒りの感情はエネルギーを消耗する。
私は偽善者かもしれない。Y医師を許したわけではなく、体調の悪化から、もはや怒りの感情を持つエネルギーが無くなっただけだったのかもしれない。

だから…神様はさらに私に試練を与えたのか?
6クール目の抗がん剤の時、腫瘍マーカーが少し上がっていた。
CTを撮ったら、1㎝だった肝臓の影が2㎝に大きくなっていた。
肝臓癌を現実的に受け止めせざれぬ状況となった。

4月1日A癌センター受診日、今後の治療方針を話し合うために受診した。3月18日の腹部CTは肝臓癌が2㎝に大きくなっているばかりではなく、肝臓全体に多発転移している事実を告げられた。
しかも抗がん剤の副作用により、白血球が1050に減少し、すぐには次の抗がん剤治療を行えない状態だった。

万事窮す………一か月何もせず体力の回復を待つこととなった。精神的にも追い込まれた。
眠剤、安定剤を飲んでも熟睡できない。日中も怠いのに昼寝もできない。
今まで掃除、洗濯などの家事ができていたが、倦怠感が強くできなくなった。便秘も酷く食欲もなくイレウスになりかけていると思い、ババサは I 市立病院に受診した。


貧血状態、抗がん剤の副作用が強く出て4月2日から5日間 I 市立病院に入院し、Y医師にお世話になった。


そんな時、奇跡が起きた。(奇跡が起きたとこの時点では思った)
東京の医師が、ステージ4の転移性の肝臓癌、しかも癌は12センチ、それ以外にも20個近くの小さな癌があり、余命宣告をされていた方が手術を受け完治しているという話を姉や友人から聞いた。
セカンドオピニオンに東京の病院に行こう。姉の強い勧めもあり
私もその気になった。その先生に診て頂きたい。
もしかしたら治療法が見つかるかもしれない…

やっと暗いトンネルの中、一筋の光が差し込んできたかのように思った。

この続きは次回綴りたいと思います。


本当に辛い内容で皆さんすみません。でもこれが現実でした。
最近の記事は、あまりに辛い内容であったため、アメンバー限定記事にしていました。

でも、ババサがそれでも一生懸命生きている明かしとして、ブログを今後も続けたいと思います。
今後明るい内容は無いかもしれません。それでもババサは自分の思いを残したいです。


今回の記事はアメンバー限定記事にあえてしませんでした。
なぜなら、命は尊いから…その思いを伝えたい。

何度も、何度も自分から命を絶とうと思った。でもできなかった。
そんな看護師である、そして末期癌の患者であるババサの思いを感じてほしい。

全国の看護師に伝えたい、末期癌患者の本当の思いを感じてほしい。看護者として癌患者に向かい合う勇気を持ってほしい。
入院している患者、外来受診している患者のほとんどが、自分の辛い思いのを一部しかは吐き出していないと思う。ババサもそうだったから。
ババサが I 市立病院に入院中、真剣に時間をかけ患者と向かい合おうとしてくれた看護師が何人かいた。
気持ちを吐きだし、少し楽になった。 I 市立病院の外来であれだけ癌告知までの経過で傷ついたババサ…でも、今回の5日間の入院で気持ちを癒してくれた看護師がいた事は事実だった。
嬉しかった。具合悪くなったら又お世話になろうと思えた。


もちろん、まだまだ自宅でゆっくり家族と過ごしたい。マックの散歩だってできるし、家事だってできる。
でも、最近は簡単な料理しか作れない。朝ご飯は作れず、最近はコンビニのオニギリばかり…
こんなババサだけれど、家族はババサを大切にしていてくれる。


こんな状態になっても旦那さん、拓哉、玲奈に言われた。
「強くならなくてもいい。無理しなくていい。癌と共存し生きてほしい。一日でも長く生きてほしい。」
それなのに、こんな、優しい家族に私はもっとも残酷な事を言った。

「こんなに辛い思いをしている。生きるのが辛すぎる。自分から命を落としても玲奈ならお母さんを許してくれるよね。」私は弱音を吐いた。

いつも笑って能天気な玲奈だけど…今回は目に涙を溜めながら、困ったような笑顔で言った。「お母さん、お母さんがそんなに辛いのなら玲奈は許すよ。仕方ない。でも、そんなの悲しい、絶対玲奈は悲しすぎるよ!そんな事…一生玲奈は悲しいよ。」

死にたいと思い弱音を吐いても良いと思う、この状況だもの…
でも、ババサはやっぱり自分の与えられた命、神様に与えられた宿命、感謝しながら生きないといけないと思った。

自分のためにも、家族のためにも、そしてババサを愛してくれる友人や全国のババサのブログの応援団のためにも。


こんな状況であっても、自分は幸せだと感じられる時間がある。ババサは皆から愛されている。必要とされている人間だ。