おはようございます
大西ひろゆきです。


日本には首都が法律的に明記されていない。


では日本国民は何故、東京を実質的な首都と認識したのか?


明治維新の時代に、徳川幕府は新政府に対して、江戸城を無血開城した。

その後に新政府の中で発言力を急速に高めてきたのが、西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通に代表される、薩長土肥の藩閥達であった。

彼らは明治天皇陛下を、京都御所から隣の、大阪に玉体を御遷し頂く事を画策した。
   
すなわち、遷都して首都を遷そうと考えたのだ。
    
これは公家勢力から、天皇陛下を切り離して、発言力を低下させる狙いがあった。

しかし、公家達からの大反発を食らい、計画が頓挫した。



つづく……