私と産土さまとの出会い
7年前に主人を亡くしてから、
つまり、その場所にある樹や緑や
7年前に主人を亡くしてから、
あの世のことを知りたい一心で
あれもこれもどれもそれも、
あれもこれもどれもそれも、
興味があるもの、心惹かれるものは
そのままに勢いで関わり合い、
そして時を経て
落ち着きながら取り組んできました。
いわゆるスピリチュアルブームの中
そのままに勢いで関わり合い、
そして時を経て
落ち着きながら取り組んできました。
いわゆるスピリチュアルブームの中
でしたから、彼の生前から
江原さんの本を読んだり、
江原さんの本を読んだり、
亡くなった後は図書館から
ありったけの精神世界の本を借りて
ありったけの精神世界の本を借りて
読みあさりました。
お寺に行き、神社に行き、
お寺に行き、神社に行き、
住職や宮司さんとお話したり、
実は自分の心のケアがままならないまま
実は自分の心のケアがままならないまま
動いていたりして
心療カウンセリングにも通いました。
そして大切なことは外側の現象よりも
自分の中にあるという気づきが。
そんな中、ひとりひとりに産土の神が
心療カウンセリングにも通いました。
そして大切なことは外側の現象よりも
自分の中にあるという気づきが。
そんな中、ひとりひとりに産土の神が
ついている、人の体の中には一霊四魂が宿る、
と知り、
うぶすなセッションを受けました。
鑑定していただいたのが産土神社も
うぶすなセッションを受けました。
鑑定していただいたのが産土神社も
鎮守神社も「国領神社」。
千年藤でも有名です。
そのお社へ21日間参拝へ早速向かいました。
甲州街道に面していて、
千年藤でも有名です。
そのお社へ21日間参拝へ早速向かいました。
甲州街道に面していて、
時期ではなくってすみません)
手を合わせ、のりとを唱えました。
そしてね、母の生まれ持った持病の
手を合わせ、のりとを唱えました。
そしてね、母の生まれ持った持病の
胃腸炎が完治するきっかけを
そのお参りの直後にいただけたのです。
そこは母の鎮守神社でもありました。
私の産土神と母の鎮守神の連携プレイ!
その人に繋がっていなかったら、今の母も、
今の私もいない、という方に
そのお参りの直後にいただけたのです。
そこは母の鎮守神社でもありました。
私の産土神と母の鎮守神の連携プレイ!
その人に繋がっていなかったら、今の母も、
今の私もいない、という方に
めぐり合えたのです。
もちろん、亡くなった主人の産土神社も
もちろん、亡くなった主人の産土神社も
リサーチいただきました。
亡くなった後でもうぶすなの神様にお
亡くなった後でもうぶすなの神様にお
参りするとよい、ということで
お墓参りと共に福島の彼の産土神社へ
お墓参りと共に福島の彼の産土神社へ
お参りに行ったのです。
蝉の鳴くじりじりと暑い夏、
蝉の鳴くじりじりと暑い夏、
お盆、アゲハ蝶も飛び交う中、
その場所で祈りを捧げていると、
その場所で祈りを捧げていると、
自然と涙がこぼれ、
亡くなった後でも彼にしてあげられる
亡くなった後でも彼にしてあげられる
ことがあるかもしれない、
という嬉しさと、祈るという行為を
という嬉しさと、祈るという行為を
通じて彼と、彼の産土の神様と、
意思疎通が叶っているように感じて。
意思疎通が叶っているように感じて。
とにかく、祈りました。
祈りが力になるのならと。
そうしてその後、「瀬織津姫」という
祈りが力になるのならと。
そうしてその後、「瀬織津姫」という
記紀には出てこない女神について
知ることになり、2012年から
知ることになり、2012年から
どうしようもなく惹かれる旅に
なっていくのです。
姫様を追いかけて、いつのまにか、
私は神社愛好家として、
あちらのこちらの社へお参りすることが
あちらのこちらの社へお参りすることが
ライフワークのように。
それを伝え広める活動が愛しくてたまらない。
そうしてとあるとき、同じくうぶすな
それを伝え広める活動が愛しくてたまらない。
そうしてとあるとき、同じくうぶすな
リサーチを体験して、
そのすごさをめいっぱい感じていた
そのすごさをめいっぱい感じていた
舞那さんから神道フーチの資格を一緒に
とろう!と声をかけてもらい、
なぜ今までやらなかったのだろう・・・と
不思議なくらいのタイミングで受講、
なぜ今までやらなかったのだろう・・・と
不思議なくらいのタイミングで受講、
先日修了いたしました。
あのね、神社には鏡があるのです。
それは自分の一霊四魂を映し出し、
あのね、神社には鏡があるのです。
それは自分の一霊四魂を映し出し、
自分が神=分け御霊であることを
教えてくれているのかもしれないと
教えてくれているのかもしれないと
思うように、なりました。
それはつまり、私の創造物でないものは
それはつまり、私の創造物でないものは
ないという、他人も神、
すべては愛で出来ている、、、と
いうところへの
気づきになりました。
人間は自然の一部、と算命学は
気づきになりました。
人間は自然の一部、と算命学は
説いています。そして産土神も
神社の祭神ではなくて、
その土地にいる土地神であると。
つまり、その場所にある樹や緑や
磐境(いわくら)に神が宿るとし、
自分もそういうエネルギーと一体に
自分もそういうエネルギーと一体に
なるのですね。
呼吸を整えて、自分の気を産土神のいる
呼吸を整えて、自分の気を産土神のいる
土地に合わせる・・・・
その産土さまも鎮守様もあなたに
その産土さまも鎮守様もあなたに
開運して頂きたいのです。
存在を知ってほしがっていると聞きます。
神と人と二人三脚でしか、
存在を知ってほしがっていると聞きます。
神と人と二人三脚でしか、
開運は出来ないのですね。
同じ家に住んでいても一霊四魂が違うので、
氏神という形でなく、
同じ家に住んでいても一霊四魂が違うので、
氏神という形でなく、
鎮守神(産土神も)もひとりひとり違います。
オンリーワンの神社はその土地の気と
オンリーワンの神社はその土地の気と
自分の生命エネルギーが調和する場所です。
私の場合、その後ですが、
私の場合、その後ですが、
またご縁が繋がりまして
産土神社を再鑑定したところ、
産土神社を再鑑定したところ、
世田谷区の「六所神社」と出ました。
こちらは狛江の伊豆美神社と
こちらは狛江の伊豆美神社と
同じく元六所宮。
大國魂神社の分霊社です。
瀬織津姫さまが小野大神
大國魂神社の分霊社です。
瀬織津姫さまが小野大神
よし、車でいける!
と、仕事をきりあげて、
と、仕事をきりあげて、
息子の保育園のお迎えまでに!
産土さまにご挨拶に行きました。
・・・・なんといったらよいか、
やっとこれたな・・・と。
やっと私とこちらの土地の気が
産土さまにご挨拶に行きました。
・・・・なんといったらよいか、
やっとこれたな・・・と。
やっと私とこちらの土地の気が
つながる段階に入ったのだな・・・と
自分の成長やこれまでの経緯を
自分の成長やこれまでの経緯を
ふりかえりました。
そこは私が何度も何度も幼い頃の記憶…
おままごとをしたヨモギの葉っぱの
そこは私が何度も何度も幼い頃の記憶…
おままごとをしたヨモギの葉っぱの
においや、原っぱ、
川べりに咲いていた白い花の香り、
川べりに咲いていた白い花の香り、
保育園の帰り道、
お父さんの自転車の後ろで聴いた
お父さんの自転車の後ろで聴いた
石のブロックを通過する時の
ゴンゴンゴンといういつもの規則的なリズム、
そんな大事な記憶がぎゅっとつまった
ゴンゴンゴンといういつもの規則的なリズム、
そんな大事な記憶がぎゅっとつまった
給田の土地だったのです・・・
産土さまは一生変わらないといいますが、
産土さまは一生変わらないといいますが、
私のような
こういうケースもあります。
なぜなら土地の神様なので、
こういうケースもあります。
なぜなら土地の神様なので、
範囲も広いことがあげられます。
昔は狛江市、調布市、
昔は狛江市、調布市、
世田谷区などと区切りはなく、
だいだいそのあたり、という範囲です。
その時は母の命に繋がるご縁を頂いたのでした。
そして、「今」私とご縁が強く
だいだいそのあたり、という範囲です。
その時は母の命に繋がるご縁を頂いたのでした。
そして、「今」私とご縁が強く
出ている地域の土地神さまと
繋がるにはここの神社が適しているよ、
繋がるにはここの神社が適しているよ、
というリサーチなのだと感じました。
私は直感で再度お願いしてみたので、
私は直感で再度お願いしてみたので、
このような結果になりました。
あっているか、あっていないかよりも、
あっているか、あっていないかよりも、
その結果を信じる心、まずは
お参りしてみて感じる心を大切にしたいなと
お参りしてみて感じる心を大切にしたいなと
思う出来事でした。
そして、そのまま産土神社と
そして、そのまま産土神社と
鎮守神社を21日間連続参拝を
することにしました。
また、その後の体験記を
することにしました。
また、その後の体験記を
お伝えしてゆきますね。
わくわく。
うぶすな・ちんじゅ神社の
リサーチの準備をしております。
モニターさま料金、リサーチにかかる日数など、
改めてまたこちらでご連絡いたしますね。
ご質問などもたくさんお待ちしております。
長文、お読みいただき、
わくわく。
うぶすな・ちんじゅ神社の
リサーチの準備をしております。
モニターさま料金、リサーチにかかる日数など、
改めてまたこちらでご連絡いたしますね。
ご質問などもたくさんお待ちしております。
長文、お読みいただき、
ありがとうございました(*´▽`*)