3.11から一年の今日
2011年3月11日(金)14時40分頃
それは起こってしまいました。
私は金沢店で営業中で、カウンターに座るお客様同士が目を見合わせて
『今、揺れたよね?』
という会話から私は地震が起きた事に気づき
ボックス席に吊されたコードペンダントの照明器具の揺れで地震を体感した程度でした
それ位、地元金沢では微弱な地震でしかなく
事の重大さに気付くまでにかなりのタイムラグを要しました
白山店のスタッフで当日がお休みだった人が所用で本店に寄り
『マスター、東北や関東地方は地震でヤバい事になってますよ!』と言われて
慌てながらテレビを付けて、悲惨な光景を目の当たりにする事になりました
『信じられねぇ・・・』
生まれて初めて見る津波の恐ろしさに言葉を失いました
私は、被災された人達に何かしてあげれる事はないのかと考えました
募金ならお店をやっているので
明日からでもできる!
いや、ちょっと待てよ・・・
ウチだけじゃなく、まわりのラーメン屋にも協力して貰った方が、沢山のお金を集める事ができると思い
近隣のラーメン屋に協力を頂き募金活動を始める事になりました
募金活動をするにあたって、団体名称を作りましょうという事て
『金沢ラーメン店協会』という会を作りました
後に、この会に賛同してくれたラーメン屋達とは深い絆が生まれる事になりました
何度も、市場の会議室を借りて会合を開き
『俺達ラーメン屋にできる事をやろう!』
『ラーメンの炊き出し』
これを、すぐにでもやりたいという事で、震災から僅か20日後の4/1に宮城県石巻市渡波、専修大学等で五ヵ所にわたり大規模炊き出しを全国から有志ラーメン屋が集い5000食のラーメンを被災地に提供するという炊き出しに参加させて戴きました
震災から僅かな時間しか経っておらず、現地に行く事自体がかなり困難で、ガソリンや放射能の問題等
考えただけでも恐い事が山積みでしたが、とにかく行ってみようという事で現地に赴きましたが
現地に立った瞬間、リアルに悲惨な光景を見て、ただただ涙が溢れた事は忘れません
東北という、縁もゆかりもない地で、炊き出しというボランティアをやらせて戴き
『俺は男で生まれてよかった!ラーメン屋でよかった!』
ラーメン屋を10年近くやってきて、人様にこんなに喜ばれたのは初めての様な気がしました
この時に初めてラーメン屋という仕事が俺の天職なんだと思う事ができました
二度めに炊き出しに行ったのは5/29南三陸町の歌津という場所で
瓦礫の撤去も、ままならない程の状態が震災から約三ヶ月近く経つのに復興は
まだまだ進んでいませんでした
ただ、被災者の人達は少しづつ落ち着きを取り戻しつつある様な感じを受けました
津波という恐ろし悪魔が、純粋な東北の人々の命や無邪気な犬や猫の命、大切な家屋、住み慣れた街の全てまでも飲み込み持って行ってしまった
もし、この世に神という存在が居るとすれば、何もそこまで・・・という気持ちになってしまいます
2011年は個人的に震災に終始した一年間でした
秋には、全国ラーメンライブというイベントをやりましたが、主催者側とチャリティーイベントという約束をした筈が
完全営利目的なイベントで俺達ラーメン屋が利用されていました
しかも全国から有名店を召集までして・・・
ブチ切れた私は主催者側と交渉して収益の一部を僅かですが被災地に義援金として送らせました
イベントとしては、訳のわからない芸人を何人も呼んで高いギャラを払う為に入場料を取り
その結果、最低の入場者数で完全にコケたイベントになりました
しかも、イベントポスターには東日本大震災のチャリティーイベントという言葉は一文字も入っておらず
はっきり言って騙された、約束が違う、利用されてしまったという感想しかありませんでした
2011年は全国的にイベント自粛のムードがありました
イベントをやったとしても、そのほとんどがチャリティーイベントです
にもかかわらず営利目的のイベント・・・某社の20周年記念イベント?
ふざけた企画のイベントをふざけた企画者がラーメン屋を客寄せパンダに利用しただけのくだらない大コケイベントでした
11月には、自分達が一生懸命に被災地支援をやってきた総決算として
『頑張ろう日本!』を旗印に掲げて
『東京ラーメンショー2011』に
一心屋 神仙 かすみ屋 侍のコラボチーム
『加賀兼六麺達会』として参加させて戴きました
ウチのチームとしては大した売り上げにはなりませんでしたが
全国の有名店との一週間の長期売り上げが一億円を突破し、その売り上げの10%である一千万円以上のお金を被災地に義援金として送る事ができました
俺達ラーメン屋が本当にやりたかった事は、ラーメンで被災地支援をする事
まさに、それを東京ラーメンショー2011が具現化してくれました
日本ラーメン協会、ラーメンデータバンク様には心から感謝しております
3/11から9/末までにラーメン屋達で集めて送った募金総額は100万円を超える事ができました
協力して頂いた皆様には心より感謝致します
3.11から一年経って今、改めて史上最悪の災害だった東日本大震災を絶対に忘れてはいけない
忘れない
これからもずっと被災地支援を私なりに続けていくつもりです。
2012年3月11日
大震災から一年の今日
黙祷を捧げます
それは起こってしまいました。
私は金沢店で営業中で、カウンターに座るお客様同士が目を見合わせて
『今、揺れたよね?』
という会話から私は地震が起きた事に気づき
ボックス席に吊されたコードペンダントの照明器具の揺れで地震を体感した程度でした
それ位、地元金沢では微弱な地震でしかなく
事の重大さに気付くまでにかなりのタイムラグを要しました
白山店のスタッフで当日がお休みだった人が所用で本店に寄り
『マスター、東北や関東地方は地震でヤバい事になってますよ!』と言われて
慌てながらテレビを付けて、悲惨な光景を目の当たりにする事になりました
『信じられねぇ・・・』
生まれて初めて見る津波の恐ろしさに言葉を失いました
私は、被災された人達に何かしてあげれる事はないのかと考えました
募金ならお店をやっているので
明日からでもできる!
いや、ちょっと待てよ・・・
ウチだけじゃなく、まわりのラーメン屋にも協力して貰った方が、沢山のお金を集める事ができると思い
近隣のラーメン屋に協力を頂き募金活動を始める事になりました
募金活動をするにあたって、団体名称を作りましょうという事て
『金沢ラーメン店協会』という会を作りました
後に、この会に賛同してくれたラーメン屋達とは深い絆が生まれる事になりました
何度も、市場の会議室を借りて会合を開き
『俺達ラーメン屋にできる事をやろう!』
『ラーメンの炊き出し』
これを、すぐにでもやりたいという事で、震災から僅か20日後の4/1に宮城県石巻市渡波、専修大学等で五ヵ所にわたり大規模炊き出しを全国から有志ラーメン屋が集い5000食のラーメンを被災地に提供するという炊き出しに参加させて戴きました
震災から僅かな時間しか経っておらず、現地に行く事自体がかなり困難で、ガソリンや放射能の問題等
考えただけでも恐い事が山積みでしたが、とにかく行ってみようという事で現地に赴きましたが
現地に立った瞬間、リアルに悲惨な光景を見て、ただただ涙が溢れた事は忘れません
東北という、縁もゆかりもない地で、炊き出しというボランティアをやらせて戴き
『俺は男で生まれてよかった!ラーメン屋でよかった!』
ラーメン屋を10年近くやってきて、人様にこんなに喜ばれたのは初めての様な気がしました
この時に初めてラーメン屋という仕事が俺の天職なんだと思う事ができました
二度めに炊き出しに行ったのは5/29南三陸町の歌津という場所で
瓦礫の撤去も、ままならない程の状態が震災から約三ヶ月近く経つのに復興は
まだまだ進んでいませんでした
ただ、被災者の人達は少しづつ落ち着きを取り戻しつつある様な感じを受けました
津波という恐ろし悪魔が、純粋な東北の人々の命や無邪気な犬や猫の命、大切な家屋、住み慣れた街の全てまでも飲み込み持って行ってしまった
もし、この世に神という存在が居るとすれば、何もそこまで・・・という気持ちになってしまいます
2011年は個人的に震災に終始した一年間でした
秋には、全国ラーメンライブというイベントをやりましたが、主催者側とチャリティーイベントという約束をした筈が
完全営利目的なイベントで俺達ラーメン屋が利用されていました
しかも全国から有名店を召集までして・・・
ブチ切れた私は主催者側と交渉して収益の一部を僅かですが被災地に義援金として送らせました
イベントとしては、訳のわからない芸人を何人も呼んで高いギャラを払う為に入場料を取り
その結果、最低の入場者数で完全にコケたイベントになりました
しかも、イベントポスターには東日本大震災のチャリティーイベントという言葉は一文字も入っておらず
はっきり言って騙された、約束が違う、利用されてしまったという感想しかありませんでした
2011年は全国的にイベント自粛のムードがありました
イベントをやったとしても、そのほとんどがチャリティーイベントです
にもかかわらず営利目的のイベント・・・某社の20周年記念イベント?
ふざけた企画のイベントをふざけた企画者がラーメン屋を客寄せパンダに利用しただけのくだらない大コケイベントでした
11月には、自分達が一生懸命に被災地支援をやってきた総決算として
『頑張ろう日本!』を旗印に掲げて
『東京ラーメンショー2011』に
一心屋 神仙 かすみ屋 侍のコラボチーム
『加賀兼六麺達会』として参加させて戴きました
ウチのチームとしては大した売り上げにはなりませんでしたが
全国の有名店との一週間の長期売り上げが一億円を突破し、その売り上げの10%である一千万円以上のお金を被災地に義援金として送る事ができました
俺達ラーメン屋が本当にやりたかった事は、ラーメンで被災地支援をする事
まさに、それを東京ラーメンショー2011が具現化してくれました
日本ラーメン協会、ラーメンデータバンク様には心から感謝しております
3/11から9/末までにラーメン屋達で集めて送った募金総額は100万円を超える事ができました
協力して頂いた皆様には心より感謝致します
3.11から一年経って今、改めて史上最悪の災害だった東日本大震災を絶対に忘れてはいけない
忘れない
これからもずっと被災地支援を私なりに続けていくつもりです。
2012年3月11日
大震災から一年の今日
黙祷を捧げます