昨日は抗がん剤2クール目の2回目だった
だいぶ様子がつかめてきた感じがするが、やっぱり一日目はちょっとしんどかった
今日も様子をみながら自分のやることリストを更新しようと思っております(‐^▽^‐)
ということで、いよいよ検査の結果をうけた日のことです。
とうとう先日にやったCTの検査と細胞診の結果を聞き、今後の治療をするならその方針を決めるという日になった
先生は時間外で長く話しができるような予約のとりかたをしてくれた。
今回も不安だったので、パートナーと妹に来てもらっていた。
まつこと2時間くらいで呼ばれる。
「またまたお待たせしてすみません。その後いかがですか?」と先生。
先生は本当に礼儀正しく、腰の低い方で安心する
「さて、では先日の結果をお話しますね。」
私たち三人の間に緊張感(ノ゚ο゚)ノ
先生はレポート用紙のような「治療・検査・病状説明用紙」という紙をとりだして説明を始めた。
この用紙は複写になっていて、説明がおわったら患者さんにその複写を渡すものらしい。
ちゃんと話ましたよ~、患者さんも納得しましたよ~という証拠になるんだろうな。
そして机の前にあるパソコンでCTの画像を映しだして説明がスタートした。
「これが先日のCTです。まずはこないだも話したように脇のしたのリンパ、鎖骨リンパにも転移がみられます。
この丸いものが転移の画像なんですね。
そして、ここが肺なんですが、肺にもいくつかの転移がみれます。複数箇所ありました。」
がび~~ん!
肺に転移か…。
「そして、こちらが肝臓になります。実は残念ながら肝臓にもいくつかの転移がありました。
大きさがだいたい2センチくらいでしょうか?これなんですが。」
え~~~~~~!肝臓に転移!!!
そして画像を今度はしたから順番に肝臓から肺へ、そして患部へ戻すしながら確認しながら話は続く。
三人ともたぶん同様した顔だったに違いない\(゜□゜)/転移だって!
先生はレポート用紙を私たちの前に出して説明を続ける。
「ということで、検査の結果はステージが4ということになります。」
4!!!!!!!!!!
頭の血の気がさ~っとひいたが、実は3Cといわれたときのほうがもっとひいていた?
なんだか冷静に話しをきける自分と困惑している複雑な自分がいた。
もう3も4もおなじじゃ!!!って感じになってたのか?
「左乳がんです。核異型度合は悪性です。ホルモンの受容体は-(マイナス)でした。
なのでホルモンの治療はできないということになります。
鎖骨官、脇のリンパ節にも転移があります。
肺転移、肝臓の転移も同じです。
骨への転移は後日の骨シンチで調べますので、検査中という表示にしておきますね。」
「ということで、ステージは4です。
そして予後なんですが、一年程度で根治が厳しいと認識ください。」
予後って余命の意味ですか?
余命一年ですか?
ということは後一年しか生きれないってことですか?
質問したかったが、言葉にするとなにか壊れてしまいそうで、ただその用紙を見ていた。
これはさすがにきいた
そんなぁ、そんなぁ、あと一年だなんてなんかひどいよ~~
「はい、わかりました。」としかいえなかった。精一杯だった。
「今後の治療ですが、私どもから提案できるん治療はですね…。
ホルモン感受性-の乳がんのため、内分泌療法(抗ホルモン療法)の適応なしでした。
なのでホルモン療法はできません。
Hercep TestがScore3なのでハーセプチン療法が必須です。」
ここで、三人ともやった~~!とい感じになった。
ハーセプチン使えるんだ!
そう、分子標的薬という薬がでて、どうやらこれがいいらしいということで、いろんなルートで調査していたのだ。
この薬が乳がんの治療を大きく変えたといわれているものらしい。
妹のつてでファイザーの人に資料をもらって、治験を調べていたくらいだった。
ただし、ハーセプチンは保険適応がないケース(非常に高い)がある・使用できる人に条件がある・保険が適応じゃなかった時の治験があるらいいが開催そているかは不明
私の場合は手術不能転移乳がんなので保険適応ありとのことでした
にしても値段はしますね、といわれた。
提案された方法は3つ
1)ハーセプチン+ナベルビン療法
毎週点滴
ハーセプチンの初回の副作用があるかもなので入院して初回は投与
副作用は、白血球現象・軽度の吐き気嘔吐・便秘・軽度の脱毛・静脈炎など
2)ハーセプチン+パクリタキセル療法
8-15-22-29日というスケジュールで点滴
副作用は、白血球現象・軽度の吐き気嘔吐・便秘・脱毛必須・末梢神経障害(これは残る人もいる)痺れのこと
3)ハーセプチン+ドセタキセル療法
1-8-15-22-29日というスケジュールで点滴
副作用は、白血球現象・軽度の吐き気嘔吐・便秘・脱毛必須・弱い抹消神経障害・浮腫(むくみ)・筋肉痛など
ということだった。
パートナーは思い切って聞いてくれた。
「お金は大丈夫なんで、先生が最高にいいと思う治療ってもし他にあれば教えてください。」
すると先生は、
「我々が治療を選ぶときには代金の事を考えずにその人に一番適しているものを選んでいきます。
なのでこの3つが適していると判断したのでお話しました。
決して保険がどうのとか治療費から割り出したものではありませんよ。」
一安心!
そして、先生が一番いいと思う1を選択した。
これは本来は3つ目の選択で使用する組み合わせだが、海外でこの組み合わせでかなり効果が高いということで採用しているらしい。
今後のデータをとりたいということで治験をお願いされた、もちろん了承した。
これから長い治療になるので、まずは副作用がやさいいものでスタートするほうがいいと思うとのこと。
そう根治がないので、うまく小さくしながら、または大きくならないようにしながら、QOL (クオリティオブライフ)を保てるかという治療になるらしい。
そして一生涯に使用できる抗がん剤は3種類まで。
骨髄をいためてしまい、そうなるとガンで悪化しているのか抗がん剤で悪化しているのか、いたちごっこになってしまうらしい(><;)
気になる軽度の脱毛って???
これは、いろんな人がいるが、多くはボリュームが減る程度なので、かつらになるとかはほとんどないと思いますとのこと(^o^;)
脱毛を覚悟していたのでちょっと安心した
セカンドオピニオンについてはどうでしたか?と先生
「一応、ここでやるつもりです」と返答した。
が、
「この治療法を聞いて万が一気が変わって他でセカンドを受けてもらっても全然okですので。」
といい、一応初回の入院と骨シンチの予約の確認をいれて、セカンドするようでしたら電話でキャンセルしてくださいという方針でいくことになった♪
なかなか安心する対応だった
そして両親がもしお見舞いにきたときには、私たちがステージ4というまで言わないでほしいということをお願いした。
これにはさすがに先生も反対した。
そのように両親に対応して、ぎりぎりになって話して診察室でけんかになったの人もいるといった。
でも遠方で電話で話すととても心配なので、折を見ながら徐々に話すので協力してほしいとお願いしたら、先生もできるだけやりますといってくれた。
翌月にぎフランス旅行を控えていた旨をつげ、念のため処方できる痛み止めを最大量をだしてもらうようにした。
このころはすでに左脇や患部、わきのしたが痛んでしかたなかったのだ
ながながと二時間くらい先生と話して診察室をでた。
三人で恒例の会議をするためにカフェによった。
「ステージ4だって…」
し~~ん。
「もう3も4もかわらないからがんばっていこうよ!」とパートナーが盛り上げてくれた。
なんか微妙な発言だったが、確かにそうだなって納得した(笑)
週末に乳がんの話をするために帰省を予定していた。
改めて両親にどうはなすかということに議題はうつった。
最初妹はやっぱりきちんとはなしたほうがいいと言った。
もし自分が両親だったらちゃんと知りたいと思うし、もし万が一、いやな話だけど一年だったときのことを考えて、回りはしてあれもこれもあげたかったってなるかもよ。
私の大先輩は絶対遠方なのですごい報告はしないほうがいいと言い張った。
本人もそうだが、周りもショックでぼ~~~っとして事故でも起こしたら大変だと。
いろいろ話した結果、やはり徐々に話すということにした。
あらかじめ、マンモグラフィーでひっかっかって、もしかしたら乳がん?と電話をして、その後に少しづつ話をしていくということに。
もしかして期待のハーセプチンがとっても効いてくれるかもしれないし、そしたら多大な心配をかけることもなかったし、ってねるといいよね(‐^▽^‐)
こうして余命一年の宣告をされた私の新しい人生がスタートすることになった。
みなさん、余命一年っていわれたらどうしますか?
どう生きますか?
宣告されてももっともっと長く生きている人ってたくさんいると聞きます、なので自分は一年で死ぬなんて思ってないしイメージもできませんです(笑)
でももし一年といわれたら?
何が大事でなにが必要じゃなくて、なにをプライドとして何が見栄で、誰に感謝で誰が去った人で、今後どう生きるか?どうしたいか?
今日の一日は何をしたらいいのか?一日一日を大事に生きるってどういうこと?
今まであいまいにしていた事をしっかり考えるようになったかも。
そんなことを感じる余命一年の宣告でした。
だいぶ様子がつかめてきた感じがするが、やっぱり一日目はちょっとしんどかった
今日も様子をみながら自分のやることリストを更新しようと思っております(‐^▽^‐)
ということで、いよいよ検査の結果をうけた日のことです。
とうとう先日にやったCTの検査と細胞診の結果を聞き、今後の治療をするならその方針を決めるという日になった
先生は時間外で長く話しができるような予約のとりかたをしてくれた。
今回も不安だったので、パートナーと妹に来てもらっていた。
まつこと2時間くらいで呼ばれる。
「またまたお待たせしてすみません。その後いかがですか?」と先生。
先生は本当に礼儀正しく、腰の低い方で安心する
「さて、では先日の結果をお話しますね。」
私たち三人の間に緊張感(ノ゚ο゚)ノ
先生はレポート用紙のような「治療・検査・病状説明用紙」という紙をとりだして説明を始めた。
この用紙は複写になっていて、説明がおわったら患者さんにその複写を渡すものらしい。
ちゃんと話ましたよ~、患者さんも納得しましたよ~という証拠になるんだろうな。
そして机の前にあるパソコンでCTの画像を映しだして説明がスタートした。
「これが先日のCTです。まずはこないだも話したように脇のしたのリンパ、鎖骨リンパにも転移がみられます。
この丸いものが転移の画像なんですね。
そして、ここが肺なんですが、肺にもいくつかの転移がみれます。複数箇所ありました。」
がび~~ん!
肺に転移か…。
「そして、こちらが肝臓になります。実は残念ながら肝臓にもいくつかの転移がありました。
大きさがだいたい2センチくらいでしょうか?これなんですが。」
え~~~~~~!肝臓に転移!!!
そして画像を今度はしたから順番に肝臓から肺へ、そして患部へ戻すしながら確認しながら話は続く。
三人ともたぶん同様した顔だったに違いない\(゜□゜)/転移だって!
先生はレポート用紙を私たちの前に出して説明を続ける。
「ということで、検査の結果はステージが4ということになります。」
4!!!!!!!!!!
頭の血の気がさ~っとひいたが、実は3Cといわれたときのほうがもっとひいていた?
なんだか冷静に話しをきける自分と困惑している複雑な自分がいた。
もう3も4もおなじじゃ!!!って感じになってたのか?
「左乳がんです。核異型度合は悪性です。ホルモンの受容体は-(マイナス)でした。
なのでホルモンの治療はできないということになります。
鎖骨官、脇のリンパ節にも転移があります。
肺転移、肝臓の転移も同じです。
骨への転移は後日の骨シンチで調べますので、検査中という表示にしておきますね。」
「ということで、ステージは4です。
そして予後なんですが、一年程度で根治が厳しいと認識ください。」
予後って余命の意味ですか?
余命一年ですか?
ということは後一年しか生きれないってことですか?
質問したかったが、言葉にするとなにか壊れてしまいそうで、ただその用紙を見ていた。
これはさすがにきいた
そんなぁ、そんなぁ、あと一年だなんてなんかひどいよ~~
「はい、わかりました。」としかいえなかった。精一杯だった。
「今後の治療ですが、私どもから提案できるん治療はですね…。
ホルモン感受性-の乳がんのため、内分泌療法(抗ホルモン療法)の適応なしでした。
なのでホルモン療法はできません。
Hercep TestがScore3なのでハーセプチン療法が必須です。」
ここで、三人ともやった~~!とい感じになった。
ハーセプチン使えるんだ!
そう、分子標的薬という薬がでて、どうやらこれがいいらしいということで、いろんなルートで調査していたのだ。
この薬が乳がんの治療を大きく変えたといわれているものらしい。
妹のつてでファイザーの人に資料をもらって、治験を調べていたくらいだった。
ただし、ハーセプチンは保険適応がないケース(非常に高い)がある・使用できる人に条件がある・保険が適応じゃなかった時の治験があるらいいが開催そているかは不明
私の場合は手術不能転移乳がんなので保険適応ありとのことでした
にしても値段はしますね、といわれた。
提案された方法は3つ
1)ハーセプチン+ナベルビン療法
毎週点滴
ハーセプチンの初回の副作用があるかもなので入院して初回は投与
副作用は、白血球現象・軽度の吐き気嘔吐・便秘・軽度の脱毛・静脈炎など
2)ハーセプチン+パクリタキセル療法
8-15-22-29日というスケジュールで点滴
副作用は、白血球現象・軽度の吐き気嘔吐・便秘・脱毛必須・末梢神経障害(これは残る人もいる)痺れのこと
3)ハーセプチン+ドセタキセル療法
1-8-15-22-29日というスケジュールで点滴
副作用は、白血球現象・軽度の吐き気嘔吐・便秘・脱毛必須・弱い抹消神経障害・浮腫(むくみ)・筋肉痛など
ということだった。
パートナーは思い切って聞いてくれた。
「お金は大丈夫なんで、先生が最高にいいと思う治療ってもし他にあれば教えてください。」
すると先生は、
「我々が治療を選ぶときには代金の事を考えずにその人に一番適しているものを選んでいきます。
なのでこの3つが適していると判断したのでお話しました。
決して保険がどうのとか治療費から割り出したものではありませんよ。」
一安心!
そして、先生が一番いいと思う1を選択した。
これは本来は3つ目の選択で使用する組み合わせだが、海外でこの組み合わせでかなり効果が高いということで採用しているらしい。
今後のデータをとりたいということで治験をお願いされた、もちろん了承した。
これから長い治療になるので、まずは副作用がやさいいものでスタートするほうがいいと思うとのこと。
そう根治がないので、うまく小さくしながら、または大きくならないようにしながら、QOL (クオリティオブライフ)を保てるかという治療になるらしい。
そして一生涯に使用できる抗がん剤は3種類まで。
骨髄をいためてしまい、そうなるとガンで悪化しているのか抗がん剤で悪化しているのか、いたちごっこになってしまうらしい(><;)
気になる軽度の脱毛って???
これは、いろんな人がいるが、多くはボリュームが減る程度なので、かつらになるとかはほとんどないと思いますとのこと(^o^;)
脱毛を覚悟していたのでちょっと安心した
セカンドオピニオンについてはどうでしたか?と先生
「一応、ここでやるつもりです」と返答した。
が、
「この治療法を聞いて万が一気が変わって他でセカンドを受けてもらっても全然okですので。」
といい、一応初回の入院と骨シンチの予約の確認をいれて、セカンドするようでしたら電話でキャンセルしてくださいという方針でいくことになった♪
なかなか安心する対応だった
そして両親がもしお見舞いにきたときには、私たちがステージ4というまで言わないでほしいということをお願いした。
これにはさすがに先生も反対した。
そのように両親に対応して、ぎりぎりになって話して診察室でけんかになったの人もいるといった。
でも遠方で電話で話すととても心配なので、折を見ながら徐々に話すので協力してほしいとお願いしたら、先生もできるだけやりますといってくれた。
翌月にぎフランス旅行を控えていた旨をつげ、念のため処方できる痛み止めを最大量をだしてもらうようにした。
このころはすでに左脇や患部、わきのしたが痛んでしかたなかったのだ
ながながと二時間くらい先生と話して診察室をでた。
三人で恒例の会議をするためにカフェによった。
「ステージ4だって…」
し~~ん。
「もう3も4もかわらないからがんばっていこうよ!」とパートナーが盛り上げてくれた。
なんか微妙な発言だったが、確かにそうだなって納得した(笑)
週末に乳がんの話をするために帰省を予定していた。
改めて両親にどうはなすかということに議題はうつった。
最初妹はやっぱりきちんとはなしたほうがいいと言った。
もし自分が両親だったらちゃんと知りたいと思うし、もし万が一、いやな話だけど一年だったときのことを考えて、回りはしてあれもこれもあげたかったってなるかもよ。
私の大先輩は絶対遠方なのですごい報告はしないほうがいいと言い張った。
本人もそうだが、周りもショックでぼ~~~っとして事故でも起こしたら大変だと。
いろいろ話した結果、やはり徐々に話すということにした。
あらかじめ、マンモグラフィーでひっかっかって、もしかしたら乳がん?と電話をして、その後に少しづつ話をしていくということに。
もしかして期待のハーセプチンがとっても効いてくれるかもしれないし、そしたら多大な心配をかけることもなかったし、ってねるといいよね(‐^▽^‐)
こうして余命一年の宣告をされた私の新しい人生がスタートすることになった。
みなさん、余命一年っていわれたらどうしますか?
どう生きますか?
宣告されてももっともっと長く生きている人ってたくさんいると聞きます、なので自分は一年で死ぬなんて思ってないしイメージもできませんです(笑)
でももし一年といわれたら?
何が大事でなにが必要じゃなくて、なにをプライドとして何が見栄で、誰に感謝で誰が去った人で、今後どう生きるか?どうしたいか?
今日の一日は何をしたらいいのか?一日一日を大事に生きるってどういうこと?
今まであいまいにしていた事をしっかり考えるようになったかも。
そんなことを感じる余命一年の宣告でした。