ブログ一日一件、っていうノルマは日中に果たしたんだけどなんとなく書きたくなった。

なんでこんな気持ちになったかの目星はなんとなく付いてるんだけどそれについては書かない。

ーーーーーーーーーー

俺のモチベーションは「何かを足す」じゃなくて「欠落を埋める」なんじゃないかって気がした。

でも「悔しい」っていう欠落に対しては強いけど「寂しい」っていう欠落にはたぶん弱い。

なんでかっていうと、俺は「支え」を拠り所だと思ってるから、だと思う。


このブログでも、誰に嫌われても良いと思いながらみっともないとこ晒してるけど、本音では誰にも嫌われたくない。

毒にも薬にもなれないような人間にはなりたくないと思ってるけど、そりゃ誰しもに好かれる方が気分は良い。

それでもやっぱり自分が出会ったすべての人を愛することができない人間である以上、そんなことを言うのはとても傲慢だとも思う。


「ありのまま」でいるためには何が必要なんだろうか。

力?覚悟?無知?安心感?

全部かもしれないしなんもいらないかもしれない。

ーーーーーーーーーー

俺の洗い方は出すこと。

それは汗でも文章でも笑い声でもなんでもいい。

溜め込んでるのは良くないってのがこの24年で分かった。

ーーーーーーーーーー

人生にはやれることしかないね。

制約条件は時間と肉体の存在と怠惰な精神。

この中で自分の力で一番変えられるのは精神。

ーーーーーーーーーー

神様を殺したがる人がやたらといるけどなんで?

神様のおかげで生きてる人を殺したいの?

神は絶対的な愛の主体・対象になるために、人間の本能から自然発生してそれが共通認識になったものだと思う。


アニミズムの場合でもそうで、そうじゃないとやりきれないから。

生きる理由があるか死ぬ理由がない場合じゃないと、人はなかなか生きられない。

生きる理由は「希望」って言ったほうがこの場合は正確かも。

ーーーーーーーーーー

こんなものでいいや。

やりたいことを当たり前のようにやるように。