信仰の脱却は困難 | 『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?

『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?

以前オウムにいましたが、そのときのことを振り返り、記録として残しておこうと思います。

現在の教団のやり方、あり方はおかしいということで、上祐氏に賛同する人が集まってきたが、初めのうちは、松本死刑囚にもよいところがあり、本当の意味での松本死刑囚の信仰を行っていこうというのが、代表派初期のスタンスであった。会合でも松本死刑囚の初期の説法を引用して、本来はこういうことを言っていたからこの路線でいこう、というように上祐氏も主張していた。だから上祐氏もはじめから松本死刑囚へのとらわれがなくなっていたわけではない。

上祐氏は、逮捕拘留されて出所してきてすぐのころよりは、松本死刑囚へのとらわれも少なくなっていただろう。しかしひかりの輪を発足させる前は、オウムの教材でもいい部分があるから、それは残していこう、という話になっていた。どの教材を破棄し、どの教材を残すか?という話し合いは、かなり時間をかけて何度も話し合った。ひかりの輪を立ち上げる段階では、全教材を破棄するということになったが、初めからそのような方針だったわけではない。代表派でも現在のアーレフはおかしいが、松本死刑囚にもよいところはあった、という考えをほとんどの人がしていたと思う。それが時間をかけて段々と変化をさせていったのである。

なぜ松本死刑囚をいまだに信仰する人がいるのか、時々聞かれることがあるが、私が思うに自分が長年信じてきたものは、もはや自分のアイデンティティを形成しており、それが崩れると自分自身が崩壊してしまう、ある種の死を迎えることになってしまい、それは耐え難いことであるからではないかと思う。自分が信仰していたものが、実は偽りであった、虚像であった、幻想であった、ということを認めるのは、本当に大変なことである。本来仏教の修行は、自我を超えていくことであるが、松本死刑囚のとらわれから抜け出せない人は、自我にしがみついているということも言える。そういう人は、松本死刑囚を信じているのではなく、自我にしがみついているのではないだろうか。それでは仏教の修行をしているとは、本来いえないと思う。しかし、言い方を変えるなら、それだけ長年の信仰を越えていくのは難しいことであるとも言えるだろう。

これは宗教的信仰を持っていない人でも、何らかの信じるものがあるはずであり、それが崩れることはものすごい苦痛をともなう。例えば日本人は、戦後奇跡的とも言える経済的復興をとげ、物質的には非常に贅沢ができる状態になった。日本以外の国を巡っても、日本ほどどこでも物質的なものに恵まれた国はないという印象を抱いた。だから現在の日本人は、物質や金銭に恵まれるというのが当たり前の状態になっている。しかし、現在その状況が崩れつつあり、多くの日本人が大変な苦痛を味わっている。毎年非常に多くの人が自殺している。それだけ苦しみを感じている人が多い証である。

なぜそうなっているかと言えば、一つには今まで当たり前のことだと思っていたことが、崩れつつあることに対して、それに耐えられないというものがあると思う。そしてこれは松本死刑囚が絶対だと信じている人と、根本的には同じ精神構造ではないかと思う。このようなことを書くと、ほとんどの人が反発するだろう。「自分はオウムの連中とは違う」と。しかし、オウムの出来事は、本来ものすごく特殊なことではないと思う。もちろん特殊なことであることは間違いない。しかし、多くの人にとって、オウムは自分たちとはまるで違う世界の話である、としてしまうのは実は違うのではないかと以前から感じている。そして、そのことに気づくことが、とても大切なことではないかと思うのである。

ともかく、松本死刑囚の信仰から離れるのは、そんなに簡単なことではないし、ひかりの輪で現在活動している人も、そのために大変な苦労を重ねてきた。