『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?

『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?

以前オウムにいましたが、そのときのことを振り返り、記録として残しておこうと思います。

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かなりブログの更新を怠ってしまいました。書きたいことはあったのですが、意識が他の方に向かっていたので、こちらの記事をなかなか書くことができませんでした。これから少しでも更新していこうと思っているので、よろしくお願いします。


今現在読んでいる書籍が、高村薫の「太陽を曳く馬」である。

太陽を曳く馬〈上〉/高村 薫

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太陽を曳く馬〈下〉/高村 薫

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オウムを作品の題材にしていると思われる小説はいくつかあるが、「太陽を曳く馬」ではオウム真理教と麻原彰晃という名前が実際に出てくる。そして、登場人物にオウムについて、宗教的な面から、社会的な面から総括させている。こういう小説は今までなかっただろう。著者はかなり仏教について学んだろ思われる。その内容が正しいか否かは別にして、オウムや宗教について真っ向から向かい合い、取り上げた姿勢について、私は敬意を表したい。

数人の僧侶がオウムについて語っている場面があるが、その中でもわかりやすい言葉で批評されている部分を掲載する。


「ちなみに主催者である麻原という人物については、なにがしかの宗教的資質に恵まれた人だというだけで、実際には修行を怠り、何より修行の大前提である戒を保たなかったと言うほかはない。あんなに太ったグルはおりません。また同様に、あの人物を解脱した成就者であるとみなすこともできません。なぜなら、インド思想いう解脱も、ヨーガでいう心作用の止滅も、見る者と見られる者、聞く者と聞かれる者、認識する者と認識される者、主体と客体が消えて完全に一になった状態のことを言うからです。

そこでは因と果もなく、縁起もなく、生物学的循環はもはやないので、不生・不死が成立するわけですが、ひるがえって麻原ははなはだしく今生に執着し、金銭に執着し、己が死を避けるために奔走したと言われています。してみれば彼の営みはどこまでも有情の業でしかなく、依って解脱はしていないということになりましょう。才能あるヨーガ行者も、行を怠ればただの人。その上嘘をつけば、もう宗教者などではない。とすれば、そんな人物の説いた世界が宗教であるか否かについては、皆さんがわざわざ検討なさる必要もない。

あるいは、それでも社会学的には宗教の条件が揃っているということであれば、たとえばバラモンの祭祀が廃れて以降のヒンドゥー教は宗教であるか否か、またあるいはヨーガ・スートラは宗教であるのか否か、人によって意見が分かれるのと同じように考えればよいのではないか。その上で私自身の考え方を申せば、オウムが自らを宗教と呼ぶのは自由だけれども、一般には、人間の言語体系を超えた神秘体験の抽象化、表象化がない世界を宗教とみなすのは難しい、ということになります」

ここに太ったグルはいない、とあるが、実際には太っている優れたグルも存在するから、これは正確ではないと思う。しかし、なにがしかの宗教的資質に恵まれただけで、修行を怠り、戒を保たなかったというのはその通りだろう。初期において松本死刑囚は修行をきちんと行っていたようだが、次第に修行を怠るようになっていったといういくつかの証言もある。また、自分はグルであるとか在家であるという名目の下、戒を保っていないことが多かったのも周知の事実である。

また松本死刑囚が今生に執着し、金銭に執着し、己が死を避けるために奔走したと言われている、というのもその通りである。未だに教団に残っている人は、そんなことはないと否定するかもしれないが、オウムでは今生に解脱し、救済するということを述べていたが、裏を返せば今生に執着していたからともいえる。また、松本死刑囚が逮捕された時、隠し部屋に現金と金塊とともに、隠し部屋に隠れていたと言われるが、これぞ金銭に執着し、己に執着していたことの証であろう。現役がいかなる詭弁を弄したとしても、そのことが覆ることはない。そしてこの事実は、彼が解脱はしていなかったことを明確に物語っている。執着が強ければ、解脱はあり得ない。

この作品は、本来現役の人に読んでもらいたいが、彼らはグル以外の書籍を読むことはご法度、という姿勢を貫いているので、まず読むことはないだろう。しかし、奪回しても未だにとらわれがある人には、ぜひ読んでいただきたいと思う。僧侶たちがオウムについて討論する場面は、肯定できなくても、何を言っているかわからなくても、目をそむけることなく一読するに値するはずである。





13日にひかりの輪代表である、上祐氏のトークショーが、ネットで生中継されていたので見ていた。

http://www.ustream.tv/recorded/11414758

前回のロフト・プラスワンでの中継も見ていたが、今回の方が司会進行が良くて、聞いていて面白かった。前回は他にも色々な人がその場にいたが、上祐氏の独壇場となってしまい、周りも彼を持ち上げるような雰囲気で、もう少し他の人の話も聞きたかったし、冷静な話し合いの場という雰囲気ではなかったように思う。

今回は、上祐氏をただ持ち上げるのではなく、時には茶化したりしながら、本質的なところにも突っ込んでいき、とてもよかったように思う。宇宙戦艦ヤマトの話なども出ていたが、そういった部分ももっと出していった方がいいだろう。単にありがたい話だけをするのではなく、くだけた部分も出すのがいい。

私などはあまり目新しい話はなかったが、聞いていた人からすると、仰天するようなことが色々とあっただろう。オウムの問題は風化しつつあるが、こういう機会を設けて、今一度考えていくことは大切だと思う。

上祐氏は、今回あまり興奮して話す雰囲気ではなかったが、前回は調子に乗ってくると、かなりハイテンションで話していたが、今回は疲れていたのか?しかし、あまりハイテンションにならず、淡々と話していた方がいいと思う。その方が怪しく思われることもないだろう。

まだustreamで見れるようなので、関心があるけど見逃した人は見てもいいのでは?第二部の鳥肌実氏とのコラボレーションが見られないのは残念である。

ただ思うのは、上祐氏の活動が、対外的には少しずつ広がっているようであるが、本格的な修行や瞑想などが、本人やひかりの輪の構成員たちができているのかどうか、そこは疑問に思うところがある。そこがきちんとしていないと、土台から崩れていくだろう。
現在の教団のやり方、あり方はおかしいということで、上祐氏に賛同する人が集まってきたが、初めのうちは、松本死刑囚にもよいところがあり、本当の意味での松本死刑囚の信仰を行っていこうというのが、代表派初期のスタンスであった。会合でも松本死刑囚の初期の説法を引用して、本来はこういうことを言っていたからこの路線でいこう、というように上祐氏も主張していた。だから上祐氏もはじめから松本死刑囚へのとらわれがなくなっていたわけではない。

上祐氏は、逮捕拘留されて出所してきてすぐのころよりは、松本死刑囚へのとらわれも少なくなっていただろう。しかしひかりの輪を発足させる前は、オウムの教材でもいい部分があるから、それは残していこう、という話になっていた。どの教材を破棄し、どの教材を残すか?という話し合いは、かなり時間をかけて何度も話し合った。ひかりの輪を立ち上げる段階では、全教材を破棄するということになったが、初めからそのような方針だったわけではない。代表派でも現在のアーレフはおかしいが、松本死刑囚にもよいところはあった、という考えをほとんどの人がしていたと思う。それが時間をかけて段々と変化をさせていったのである。

なぜ松本死刑囚をいまだに信仰する人がいるのか、時々聞かれることがあるが、私が思うに自分が長年信じてきたものは、もはや自分のアイデンティティを形成しており、それが崩れると自分自身が崩壊してしまう、ある種の死を迎えることになってしまい、それは耐え難いことであるからではないかと思う。自分が信仰していたものが、実は偽りであった、虚像であった、幻想であった、ということを認めるのは、本当に大変なことである。本来仏教の修行は、自我を超えていくことであるが、松本死刑囚のとらわれから抜け出せない人は、自我にしがみついているということも言える。そういう人は、松本死刑囚を信じているのではなく、自我にしがみついているのではないだろうか。それでは仏教の修行をしているとは、本来いえないと思う。しかし、言い方を変えるなら、それだけ長年の信仰を越えていくのは難しいことであるとも言えるだろう。

これは宗教的信仰を持っていない人でも、何らかの信じるものがあるはずであり、それが崩れることはものすごい苦痛をともなう。例えば日本人は、戦後奇跡的とも言える経済的復興をとげ、物質的には非常に贅沢ができる状態になった。日本以外の国を巡っても、日本ほどどこでも物質的なものに恵まれた国はないという印象を抱いた。だから現在の日本人は、物質や金銭に恵まれるというのが当たり前の状態になっている。しかし、現在その状況が崩れつつあり、多くの日本人が大変な苦痛を味わっている。毎年非常に多くの人が自殺している。それだけ苦しみを感じている人が多い証である。

なぜそうなっているかと言えば、一つには今まで当たり前のことだと思っていたことが、崩れつつあることに対して、それに耐えられないというものがあると思う。そしてこれは松本死刑囚が絶対だと信じている人と、根本的には同じ精神構造ではないかと思う。このようなことを書くと、ほとんどの人が反発するだろう。「自分はオウムの連中とは違う」と。しかし、オウムの出来事は、本来ものすごく特殊なことではないと思う。もちろん特殊なことであることは間違いない。しかし、多くの人にとって、オウムは自分たちとはまるで違う世界の話である、としてしまうのは実は違うのではないかと以前から感じている。そして、そのことに気づくことが、とても大切なことではないかと思うのである。

ともかく、松本死刑囚の信仰から離れるのは、そんなに簡単なことではないし、ひかりの輪で現在活動している人も、そのために大変な苦労を重ねてきた。
私が修行から出て、上祐氏と身近に接するようになった。私が修行を出てすぐの頃は、まだ上祐氏は修行入りということになっていた。しかし、このままではいけないと上祐氏は考えており、諏訪に確保していた施設で、もはや今のままではいけない。近いうちに自分は修行から出ることを宣言し、行動を起こす、ということを上祐氏は強い口調で語った。私は上祐氏に反対する人たちの言動は大いに問題があると考えていたので、上祐氏がこういった宣言をしたことを頼もしく感じた。

しかし最初のうちは代表派の活動も、いろいろと制限があって大変だった。私が八潮の施設を抜け出してから、代表派の活動も徐々に活発になっていったが、教団内部の施設を自由に使うこともできず、外部の会場を借りて、活動をしていくことを繰り返していた。

反代表派は、代表派のことをかたくなに認めず、代表や代表に賛成している人たちの否定をずっとしていた。それをそのまま信じてしまった人も多かったようだが、中には疑問に思う人もいたようである。こちらの話も聞いてみようという人たちも、何人かはいた。外部で会場を借りて、そこで代表が話をしたり、みんなで交流を図ったりした。

また、私が勝手に修行場から出たことで、反代表派の間で問題になったようだが、私はそんなものはどうでもよかったので、ステージ降格にでも何でもすればいいと思っていた。結局何もなかった。

ただ2005年頃は、まだ松本死刑囚に対する幻想は残っていた。私達の行っていることが、本当のグルの意思である、という考えが当時はあった。だから松本死刑囚の初期の説法を引用したりしてもいた。まだこの段階では、松本死刑囚へのとらわれがまだ残っていた。私個人もまだとらわれがあった。
最初のうちは体調を回復させるためにも、ある程度真面目に修行をしていたが、3ヶ月ほどたつと、いい加減嫌になってきた。これ以上ここで修行をしていても、どうにもならないと感じてきていた。そのことを上祐に言ったが、すぐに出なければならない、という雰囲気ではなかった。

6月のある日、上祐氏から連絡があり、ロシアもごたごたしているので、行って貰いたいから、もう修行から出てしまうように、と言われた。そして、外で運転手を待機させ、荷物をまとめて脱出するように打ち合わせをした。

夜中に荷物を持って外に出ようとしたところ、ちょうど玄関先に人がいて見つかってしまい、修行場に戻らざるを得なかった。それから一睡もせず脱出の機会をうかがっていたが、警戒が厳しくなり非常に厳しい状況になった。

すっかり外も明るくなった頃、上祐氏から連絡があり、私が弱気になって、出るのが難しいとうったえたところ、かなり厳しく叱咤されてしまい、本当にどうしようかと思った。外に出る玄関は鍵がかかっていて、それは電子ロックになっており、簡単には開けられないようになっていた。

私は途方にくれていたが、少しして連絡があり、八潮の施設内で、協力的な人がいて鍵の開け方を教えてくれるというので、その人と連絡をとって鍵の開け方を聞いた。警戒は相変わらず厳しかったので、荷物を持って出ることはできないと思い、大きな荷物は置いてくることに決めた。

そしてもうすぐ食事の時間というときに、玄関まで下りて行き、警備の隙をついて玄関の鍵を開け、荷物は何も持たずに外に飛び出した。そして、待機していた車に乗り込んだ。

車に乗っているときは、心底ほっとした。八潮の施設で修行をしている時は、後半などは監禁されているようなものだった。だから心の休まる時はなかった。修行では本当の意味での安らぎを得られるはずなのに、まるで逆の心の働きになっていた。長期修行が懲罰としてのものとなってしまっており、これは本末転倒である。

また、修行に入れる基準も、どういう基準になっているのか不思議にも思った。私は確かに体調が悪くなり、修行を長くやる必要性もあったが、一週間ほど修行をして帰っていく師の人たちも、どうみても状態がいいとは思えなかった。大声を出す修行があるのだが、私が一番大きな声を出しており、それ以外の師は、ぼそぼそとした声しか出せない状態だった。クンダリニーヨーガの成就者といいながら、全然エネルギッシュではない状態の人たちばかりだった。私を長期修行に入れるなら、他の人たちも入ったほうがいいと思った。

私が勝手に修行から出てしまったので、当然問題視されたようである。私は置いてきた荷物を返してもらうように、二宮、村岡の二人の正悟師と、八潮を担当していた二人の師に、勝手に出たことをわびつつ、荷物を返してもらうようにメールしたが、誰一人として返事をくれなかった。私はそれに対してがっかりした。人としての精神を失ってしまっていると思った。村岡氏は後に非代表派から脱して中間派となり、メールをした師のうちの一人は、派閥争いに嫌気がさし、独居修行にずっとこもってしまったそうである。そして返事をくれなかったもう一人の師は、末期がんとなってしまったらしい。

そして、二宮氏の指示で、私の荷物を全部引き上げてられてしまった。八潮で協力的な人がいて、一部は私の元に返ってきたが、それ以外は持って行かれた。それはいまだに返ってきていない。これは窃盗にあたるのではないかとも思った。返してもらうようにメールしても、何の音沙汰もない。これなども、宗教団体のやることではなく、カルトのやることである。荷物は返ってこなくても、さほど困ることはなかったが、上祐に反対する人たちのやることに、すっかり幻滅してしまった。

ともかく修行から出てしまったことで、私は上祐氏の近くにいくことになった。そして、八潮の施設から出て代表派の方に来る人も、私以降何人か出てきた。私が突破口を開いた形になったようである。