今日は、72回目の終戦記念日です。
太平洋戦争を経験された方のお話を聞くことが、本当に貴重になってきました。
亡くなってしまった人に、戦争のことを聞くことはできません。
私も、戦死した祖父の声は聞こえません。
祖母が生きていたとしても、戦争のことを聞く勇気は、私にはなかったかもしれません。
まだ幼かった母だって、祖父が出征した頃のことは覚えていません。
母が知っているのは、祖母がポツリポツリと話してくれた当時の辛い思い出だけ。
今年はその思い出について書いてみようと思います。
(以前書いた、戦争によって引き離された祖父と祖母のお話はコチラを⇒★)
祖父と祖母の最期の別れは、ある駅でした。
いよいよ戦地へ向かう陸軍兵を見送りに、たくさんの家族が別れを告げに訪れていました。
祖母も、まだ幼い母と、乳飲み子の叔母、二人の赤ちゃんを抱いて、その駅に息を切らし駆けつけました。
そこで祖母は、十六師団に入隊していた祖父と数か月ぶりに再会を果たしたのです。
数か月ぶりに会う夫は、彼女と二人の子供たちを見て、ニッコリと微笑みかけました。
祖母は子供たちに話しかけます。
「ちい、みい、お父ちゃんやで。」
けれど娘たちは、久しぶりに会う父親の顔がわかりません。
そればかりか、見知らぬ土地に来て、人々の聞き慣れない話し声に驚いたのか、幼い母は泣き出してしまったのです。
祖母は祖父に言いました。
「あなたが帽子をかぶっているから、この子たち、お父さんやとわからないのかもしれませんね。」
「ああ、そうかもしれへんね。」
その言葉を聞いた祖父は、即座に被っていた軍帽を取りました。
その時です。
「貴様、何をしているんや!」
目ざとくそれを見つけた憲兵が走り寄ってきました。
「軍帽を取るとは何事や!」
祖父は、祖母と子供たちの目の前で鞭でたたかれたそうです。
それが、祖母と祖父の終の別れの時となりました。
晩年まで祖母は、その別れのことをずっと悔やんでいたそうです。
自分が発した言葉のせいで、祖父が上官に酷い仕打ちを受けたこと。
悔やんでも悔やんでも、時は戻らない。
祖父はもう、帰ってこない。
祖母の苦しみ、辛さは計り知れません。
母だって、「あの時うちが泣かへんかったら、お父ちゃんが帽子を脱ぐこともなかったのに・・・」と、幼かった自分をいまだに責めているのです。
祖父の戦死後、まだ若くて美しかった祖母には、再婚話がいくつも舞い込んできたそうです。
けれど祖母は、全ての縁談を断り、貧しいながらも二人の娘を育てることしか考えていなかったといいます。
「必ず戻るから、それまでこの子たちをよろしく頼む」
祖父のその言葉だけが、祖母の心を支えていたのだと思います。
戦争や不慮の病や事故で、無念の死を遂げた人は、早く生まれ変わることができると言われています。
通常は、転生に百年ほどかかるところが、数十年くらいでこの世に戻ってくることができるそうなのです。
祖父も祖母もきっと、あの世で出会い、共に生まれ変わっているかもしれないな。
祖母の長くて苦しかった後悔も、すでに昇華されていればいいな。
だけど、そうだとしても、けっして平和になったとは言い難いこの世界を、二人はどんな目で見つめているのでしょう。
語り継がなければいけない事実、知らないことでもそれは現実にあったこと。
報われなかった人々の想いを刻み込んで。
祈りを誓いを意志を、大きな声で叫べる、強い自分でいられるように。
心の中にも小さな記念碑を、いつまでも持っていたいと思います。