保育園には月に何通か郵便で「タブレットを使った最新の保育」のような案内が来ます。


現代っぽいといえばその通りですが、必要か?と問われれば、私は不要と答えます。


確かに子供はタブレットで遊びながら学ぶということに集中する姿がありますが

それは本当に学んでいるといえるのでしょうか。


このような事実があります。


紙に書いてある文字を見た場合、脳の言語野(言語中枢)が処理します。

言語野で処理されたものは、記憶に残りやすいという性質があります。


テレビなどのモニター画面で見たものは、脳の視覚野が処理します。

視覚野で処理されたものは、短期記憶なので早く忘れてしまう性質があります。


感度の高い方はこれだけで全て理解してしまうかもしれませんね。



さらに、テレビやビデオなどを見ているとき、またはゲームをしているときの脳の活動ですが、

驚くことに「ほぼ停止状態」になっているそうです。


一見活動しているようでも、脳は働いていないのです。

ということは、学んでいるようでも学んでいないということになります。


ある研究では、テレビゲームなどの脳トレゲームは全く脳の活性化にならないということも言っています。



タブレットを使った教育は、単にタブレットの使い方を学ぶ教育といえるでしょう。

(もちろん極論なので、有効な使い方はあると思いますが)

ですから、私は幼児期にタブレットを使った教育は不要だと言います。


一生の中で最も脳が育つ時期に、何を与えて育ててあげるか。

それは親や保育者の大きな責任であると考えます。


流行りだから、現代だからということで便利で目新しいものにいきがちですが、

それが本当に教育なのか?

便利を追求することで失うものはないのか?


携帯電話が普及したことで、人は電話番号を覚えておく必要がなくなりました。

スマートフォンが普及したことで、なんでもその場で調べものができるようになりました。


辞書も図鑑も開く必要がなくなりました。

いろいろなことを覚えておく必要がなくなりました。

 ↓

脳から調べる力や記憶する力が失われました。



便利なものが普及したけれど、その便利なものを正しく有効に効果的に使うための力が必要です。

道徳心という力が育っていないことで、SNSなどでのいじめが増えました。

便利な道具であるSNSを正しく使えないのです。

正しく使う力が身についていないのです。


ツイッターやLINEに返事をしない。ただそれだけのことで人を殺します。

何か大切なことが育っていないのです。


幼児期に正しい心、善悪の判断、コミュニケーション能力、自己制御能力を身につけておかなければ

便利なものはすべて凶器になります。


子供の幸せ、そして便利で豊かな未来をつくるために

今、大人がすべきことな何でしょうか。


私ができることは、正しい心を育てる保育をすることです。


古い感じがする、アナログな感じがするといわれることもあります。

しかし、大事なことを見失わない保育をしたいと心がけています。


今日は思ったことをただただ書いてしまいましたが、

このブログ記事をきっかけに、少しでも良い育児や保育を考える時間を作っていただけたら嬉しいです。


とりあえずスマホやタブレットを与えずに、今日は「絵本」を読んであげてみてはいかがでしょうか。

そこに幸せな時間がありますように。