ブラン@メインクーンという猫がうちにやってきたのは、2013年。
彼女は2012年の10月生まれで、猫を飼いたいと言うまるちゃんの母のために近くのホームセンターの
ペットショップで私が買い求めたものの、子猫の世話が出来ないというまるちゃんの母の苦情を受けて
私たちの住む離れで一緒に暮らしていた猫です。
ペコリ@ミニチュアダックスは2015年の5月。
保健所の犬猫譲渡会で譲渡してもらってきたおばさん犬。
ブラン(猫)は2年前に先天性腎不全という病気を告知され、療法食を与えつつたっぷりの新鮮な水を与える
ことで余命1年程度と言われたところ、2年近く私の傍にいてくれました。
ペコリはもとより年齢不詳でしたが、むちむちをなんとかすべく、もち麦入りのごはんとドライキャベツ、
ドライ人参チップス入りのおじやに犬缶(チキンだったりビーフだったり)を混ぜた特製フードを与えることで
見事ダイエットに成功し、いったい何年生きるのだろう?いったい実際には何歳なんだろう?というくらい
長生きしてくれた仙人みたいな犬でした。
変化があったのは5月のゴールデンウィーク頃。
体調が悪そうだったブランがとうとうこたつテーブルの中に入ったきり出てこなかったり、出てきたところでご機嫌を損ねてしまうと
うー!!しゃー!!と言って怒られるのです。
それでも、ご機嫌の時やまるまるのいない二人だけの時間には「ねえねえおかあしゃん」と、私の二の腕辺りを優しく
つんつんしてくれていました・・ああ、懐かしい。
そのブランがいつものこたつテーブルの定位置を捨てて嫌いなまるまるの前の位置に居た日。
まるまるが出勤していなくなった後は私の定位置の前に動き、その後その位置で丸一日を過ごしました。
それが週末。
とてもセンシティブで「触るものみな傷つけてやる!」位の気概と意地を感じた私は、もうブランの残り火が僅かだと
いうことがなんとなくわかってしまいました。
週が明けて月曜日、私は早く帰りたくて仕方なかったけれど、定時で仕事を終えて帰宅しました。
家の中にブランの気配はありませんでした。
1階を呼んで歩き、いないのでロフトに上がり、それでも居なくてこたつの中や隠れ場所等いろいろ探し回りました居ません。
まさかと思い、一番好きだった洗面所兼トイレ兼バスを見てみたらバスタブの下に横たわっていました。
抱き上げてからずっと、私は泣きじゃくっていましたが、ブランはまだ虫の息ながら存命でした。
目の力は弱いながら、しっかり私と目を合わせてくれ、鼻をヒクっと震わせて私の存在を認知してくれていました。
よく頑張ってくれたという想いと裏腹に、もっと一緒にいて欲しい思いが沸き上がり、涙が止まりません。
猫は大人の猫になると猫又になり、人間の気持ちを理解したりと不思議な存在になるという話を聞くことがありますが、
ブランはまさに猫又といってもいい程、不思議な感覚と共に私のもとにいてくれた猫でした。
本当に不思議な位私の気持ちに寄り添ってくれ、私とまるまるが争っているとまるまるに向かって「シャー!!」と
怒って私に味方してくれていました。
5月10日にブランを見送りました。
11日は瞼が腫れあがり、丁度懸案だったばーばの足の爪切りに形成外科受診させるなどもあり、仕事を休みました。
ブランが体調を崩すのと同時にペコリも同様に体調を崩していました。
ブランは慢性腎不全で余生・・といってもまだ人間に例えたら30~40歳台でしたが、どんなふうに看取ろうかと考え、
自分がして欲しいように看取ろうと思っていたので、医療の手を借りずにとにかくちゃんと食べられる腎臓病用の療法食を探し、
その、ちょっとだけお高い療法食をちゃんと食べさせ、それ以上におやつをご褒美として与え、美味しい水と美味しいごはんを飽きることなく食べられるように心を砕いていました。
半面、ペコリはとても食いしん坊。
食べている間は心配ないと思っていたし、食べたいものはいっぱいあったので、あんなに早く食べられないことが私たちを
苦しめることになるとは夢にも思いませんでした。
ほんの2~3日前にはごはん欲しさに後ろ脚でジャンプしていたペコリ。
それが、ブランと同時に体調を崩したあたりから全くジャンプしなくなるどころか食べなくなりました。
本当に、いきなりでした。
最初は呼吸が苦しそうだったので、獣医さんにはその旨伝え、入院させました。
胸の苦しさは退院後にはほとんどなかったものの、あんなに食いしん坊だったのに注射器で流動食を与えなければ
一日中なにも口にしないほど全く水も食料も受け付けてくれなくなりました。
ブランが去って、その後残されたペコリも闘病中。
涙が乾かぬうちに現実がシビアでした。
結局、9日後にペコリが逝ってしまいました。
ペコリの様子がそろそろ危ないと思い、普段は母屋で好きなところに寝かせていたのですが、離れの自分の傍に連れてきて
夜中まで付き添っていました。そろそろ横にならないと明日の仕事に支障があると感じた12時前、ペコリを連れて自分のベッドに
横になり、スマホをいじりつつペコリの呼吸を聞いていた時、ゆっくりだった呼吸が荒くなり、その後再びゆっくりになって、突然呼吸が途絶えてしまいました。
あわてて起き上がり、ペコリを抱きかかえたら深く息を苦しそうに吐き、その後は永遠に静かになってしまいました。
奇しくも二人の死をこの腕の中に受け止めることが出来たことは本当に良かったと思います。
自分自身、いい歳になって、この愛すべき二つの命を受け止め、しっかり心の中にブランとペコリの住まいを作ることが出来た
ことは本当によかったと思っています。
ふたりはちゃんと私たち夫婦の心の中に住まいを探して住んでいる。
でも、私たち夫婦はまだ未熟なので実態のないわんことにゃんの姿を追い求め、癒されない日々を送っています。
それくらい、ペコリとブランは大事な家族でした。
ペコリとブランがお世話になったお父さん先生とお母さん先生に先日お礼のお菓子とお借りしていたものをお返ししに行きました。
私がすっかり忘れていたため、午後はお休みの日だったから、ご自宅をピンポンしてお菓子とお借りしていたものをお渡しした。お休みなのに、と恐縮しながらお渡しした。
ところが、今日帰宅すると、素敵なお花のアレンジが。
その動物病院からメッセージ付きで送られてきていました。
私は、もうブランやペコリがいない寂しさを埋めようとして、通院先の長野市であちこちのペットショップを覗き、彼女たちの代わりがいないことに絶望して帰宅していたところで、また涙が止まらなくなってしまった。
まるちゃんはしばらくはこのままでいいと言うけれど、私はいつでもこの子!という子がいれば迎えたいと願っている。
でも、それはかなり難しいことなんだということに直面している。
コロナ禍でペットの売買価格は倍増してる。
それだけでもハードルがかなり高くなっているのに、だれでもいい、モフモフなら!と思えない自分を持て余しているのだ。
再び家族を迎え入れることはできるのだろうか。
僅か9日間の短い間に我が子を二人も見送った悲しさは癒えるのだろうか。