あまりに感動したからちょっと聞いてほしいんだ。

必要があって『桃太郎』を勉強しているんだけれど、今は「…大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきて…」って伝承されてるけど1700年ごろは、桃を食べたお爺さんお婆さんが若返って子作りをして、桃太郎が生まれてたんだって。

それでね、ここからは予想なんだけれど、当時の大人達はこのところで子供に「なんで若返ると子供ができるの?」って聞かれてたと思うんだよね。

でも答えづらいから、川上のほうから桃が流れてきて、と変わったんだろうけど、元々の“若返って子作り”の要素もどうにか残したい先人達が、水面を浮いたり沈んだりする動きのオノマトペの“どんぶらこ、どんぶらこ”っていう粋でウィットな言葉を選んで、子供にはわからない、大人だけにわかる要素でムフフって笑ってたんだと思うんだ。だって本当だったら「大きな桃が流れてきて」だけでいいはずなんだから。粋な下ネタなんだって思ったら、なんだか感動したんだおれは。

駅の待合室で2時間ほど待たなければならなかった。そこは16畳くらいの部屋で(イタリアの部屋を畳で数えるのはなんとなくあれだけど、ほかに表し方をしらなかった)、塗りたてのような真っ白の壁に白い床、そして白いベンチと、黒い電光掲示板がふたつある。でもぼくにこの電光掲示板は関係ない。なぜなら乗らなければならないのは駅前から出るバスだし、その掲示板は電車のためのものだ。
本を取り出してしばらく読んでいると、目の前を小さな虫が、嫌な速度で通り過ぎた。一瞬でそれとわかる雄弁な速度。蚊だ。
ぼくは本を閉じて鞄に入れ、代わりにさっきよりも3割くらい目を開いて蚊を追った。
蚊がベンチのちょうど後ろの壁に止まったとき、思わず小さな変な声が出た(ぉm…みたいな)。
その真っ白な壁には所々に、小さな、黒と赤のよごれがあった。それは今までここに座った人の血と、果敢に栄養を求めて挑戦し、失敗した彼らの、いや、彼女らの跡だった。
ぼくは蚊を追うのをやめ、3割開いた目を元に戻した。そしてバスに乗る頃にはどこかしらが痒くなるであろうことを覚悟して、本を取り出した。

ぼくはバスに乗っていた。
暗い夜行バスの中で読書灯をつけて、右のアゴ近くの頰を掻きながら本を読んでいると、目の前を小さな虫が、黒く光りながら嫌な速度で通り過ぎた。一瞬でそれとわかる雄弁な速度。蚊だ。パチっと本を閉じて、もう一度開くと右のページの「長」のところに蚊が張り付いていて、左のページの「ン」のところがただ黒く汚れていた。白いベンチと塗りたての白い壁の部屋にいたらよかったのにねぇと心の中で言って、蚊を指で落とした。
この名前もわからない謎の食べ物の形状、とくに先っちょの突起の部分が、街中で見るたびに気になり、あの突起の部分には何が入っているのだろうと考える数日間を送っていた。
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味の濃いイタリアの食べ物のことだから、チョコかクリームか、ヌテッラか。惣菜パンの可能性もある。
そして今朝、ぼくは思い切って食べることにした。
最初は突起の部分から食べようと思ったのだけれど、いつもの癖で、周りから食べることにした(ぼくはご飯を食べる時、メインは最後に残し、野菜や汁などから食べ、最後にメインと白米を食べる。どうでもいいことだけれど)。
突起は含まないように端っこから一口食べると、思いのほか薄味のパンで、中に何か入っているわけでもない。
やはりか、やはり突起の部分に濃い味のなにかしらが入っているんだ、そう確信した。
しかしここで迷いが出てきた。
もし突起の部分に濃い味のなにかしらが入っているのなら、一緒に食べるべきではなかろうか。
その方がこの名前もわからないパンの実力が発揮されるのではないか。
でも結局、ぼくはそのほかの部分を食べることにした。
これはぼくにとって、はじめてこの名前もわからない突起のついたパンを食べる瞬間であり、記念すべき瞬間なのだ。
もし2回め、3回めならばいきなり突起の部分を食べることも許されようが、今回は最初に思ったとおり、最後に残すことにした。
一口一口、やわらかな薄味のパンをよく噛んで味わった。
そしてついにぼくは憧れの突起の部分に到達した。
目を閉じて小さな丸になったその部分を口にふくんだその瞬間、ぼくはこの名前もわからない突起のついたパンを理解した。

これはただの味の薄いパンだ

これは、ただの、味の薄い、突起のついた、やわらかなパンなのだ。

そのパンは淡い味を残して、覚めたばかりの夢のようにだんだんと消えていった