最近たくさんの気づきが
私の中に巻き起こっています。
その中の一つですが、
今までの私は
「悲しみ」
としっかり向き合ったことがない
ということに気づきました。
そのきっかけをくれたのが
みかんありささんが似顔絵を描いてくれる企画で✨
オーラや色のイメージを
絵で表現してくれるんです✨🎨
私は色というよりも、
・光、無色、虹
・重力がない、光速
という表現をしてくれました✨
そして書いてくれた絵がこちら!
なんか
わかる〜〜〜!!!
って思った!笑
素敵すぎる・・・(天才)
30分オンラインで話しながら
パパっと絵を描いてくれるんだけど(天才)
その会話のあと、
時間差でいろいろと気づくことがあったんです。
それが冒頭で言ったこと。
私は普通に人前で
涙することもあるし、
感動しても涙が出るし、
自分のことは「感情豊かな人間」という認識がありました。
でもその夜に夫といろいろ話していると、
自分自身の悲しみに触れようとせず、
悲しみ切ることがあまりなかった
ということに気づいたんです。
悲しい映画やドラマや
人の悲しみでは泣けるんだけど、
自分ごとの悲しい体験は、
わりと早めにけりを付けてしまいます。
もちろん涙は出るし、
一人のときは感情をむき出しにして
大泣きすることもあるんだけど、
(そうはいっても最近ないけど)
それが人前となると、
たとえ家族や親しい人であろうとも、
どこかすぐに冷静になる自分がいて、
泣くことを早めにやめてしまい、
すぐに切り替えてしまいます。
それは、
目の前にいる人のことを
すぐに考えてしまうからです。
・恥ずかしい
・みっともない
・いつまでも悲しい雰囲気に巻き込みたくない
・相手にネガティブな思いをさせたくない
・悲しんでいると思われたくない
・自分の気持ちを悟られたくない
・その時間が無駄に感じる
・自分中心になってはいけない
・悲しさと対峙するのがイヤ
・悲しさを認めるのがイヤ
このようなさまざまな理由が
複雑に絡み合っていると思います。
自分のことより、
目の前の相手の変化が嫌だし、
何より自分自身が
悲しみと向き合いたくない
のです。
だから、
すぐさま感情に蓋をして、
悲しみをなかったことにするのが得意なんです。
そして本気で、
「悲しいことなんて今までの人生でそんなになかった」
「私の人生は幸せと感謝でいっぱいだった」
と思っています。
でもそれは、
本当に悲しいことがなかったのではなくて、
その時の「悲しさ」を「悲しさ」として
認めていなかっただけ。
認めていないから、
認知も、自覚もなく、
だから記憶の上でも
「ないもの」
として処理されているんです。
「自覚がない」
というのは、
嘘をついたり、
誤魔化すことより恐ろしく、
ある意味洗脳されて
それが自分の真実になっているので、
とても厄介です。
だから他人から見ると、
「それめっちゃ悲しいことだよ?!」
と言われたとしても、
「いや、全然そんなことないんだけど…」
と本気で思っています。
周囲から見れば滑稽だと思いますが(笑)
本当は「あるもの」を
「なかったもの」として処理をしても、
あるもんはあるんです。
ただ自分の奥にしまい込んで、
厳重に蓋をして、
自分の目の届かないところに保管するだけ。
でも、
あるもんはある。
そんな風に、
きっと私の中には
「なかったことにされたもの」が
たくさん「ある」のだと思います。
でも、これに気づけたとしても、
過去のことを一つずつ拾って、
「これ悲しかったよね」
とやるのは何とも不毛に感じます。
だって、
悲しもうと思っても
あの時と同じようには
もう悲しめないから。
もちろんそれを思い出して
悲しみ直すことは出来るけど、
あの瞬間に感じた感覚とは
やっぱり別物です。
感情とは生もので、
時が変われば、
その感情・感覚は絶対に同じではありません。
どんな心理療法やセラピーを使っても、
疑似体験や再現でしかない。
嬉しいも、
楽しいも、
悲しいも、
怒りも、
今しか味わえない。
だからこそ、
悲しいことがあったら、
これからはしっかり
悲しみ抜こうと思いました。
悲しみ抜いた先は
破壊だけが待っているのではなくて、
新たに生まれる「何か」があることが
やっと腑に落ちたので。
では!!!
ちなみに今、何か悲しいことが起きているわけではありません。
(強がりではなく、本当に🤣)
ただ、この事実に気づけた瞬間、
たくさんの涙が溢れました🌈✨✨✨
見つけられて嬉しかった!!!☔️✨🌈