絆25

                                       2002年9月。 NO。25.

                                          印刷  100 枚。

                                        パソコン  254 枚。

 

 昨年9月一年ぶりの帰島の時、生活圏は緑豊かに茂り肌に触れる潮風は全身を優しく包

み迎えてくれたのに、私を寂しくさせたのが港の見える丘に咲くハイピスカス達に花が無

い。島を離れたあの日、連日の火山灰に負けることなく数百の花を咲かせ、励まし見送っ

てくれたあの花達の姿が無い!。庭は雑草に覆われ一本一本が孤立化されているとは故、

花が無く寂しい。恰もここ武蔵野の団地で凡庸な避難生活を送る私に相通ずるものがある。

 生活に心に華がない!。如何お過ごしですか。お元気にお過ごしですか。

8月1日一抹の不安と期待を懐きながら行って来ました故郷へ。バスを降りた瞬間、眼に飛

び込んできました。元気です!咲いています!。雑草をくぐり抜け真っ赤な大きな花弁を

私に向けて問い掛けています。二年ぶりの再会を喜び、語り、勇気付けられ、たった一日

と短い命のこの花に今日の、明日咲く蕾にあすからの一日も早い帰島の伝言伝達をお願い

し帰って来ました。島の自然は蘇えっています。早く帰りたいですね!。元気で帰りまし

ょうね!。その日のためお身体ご自愛くださいね。 島は私達の帰りを待つているのです

から。                                   2002年 9月。 NO 25.

絆24

  ( 2002年4月16日 バス車窓より写 )      2002年 8月。 NO 24.

                                       印刷  100 枚。

                                     パソコン  278 枚。

  頭の中では理解し解っていても、精神的にこの長き避難生活の現実に自分を見失いつつ

 とうとう二度目の夏を迎えてしまいました。待ち侘びる永久帰島の日は未だ先が見えず

 過ぎ行く日々は無常にも23ヶ月…と足早に通り過ぎていく。如何お過ごしですか。お元

 気にこの都会の酷暑と闘いお過ごしでしょうか。日帰り帰宅も生活品持ち出しから財産保

 全維持に変わり、与えられた時間の中では問題が山積し整理がつかず、帰島する度に処理

 能力の無能さを自戒しつつ、後ろ髪引かれる想い出で我が家と別れ…港へと。故郷の風に

 全身を包み五感五体を癒しつつ、想うは何時も何故!なぜ…と。物見遊山の旅ならいざ知

 らず、戻りたくない!。時間が無い!。船上、遠ざかり行く故郷に眼を据えて、変わり行

 く姿、形を心に刻み焼き付けて、ただただ一心に祈念する。一日も早い帰島を…と!。

  今年も出来ませんね…盆供養。私はここ武蔵野に流れる小川に花一輪、笹舟に想いを託

 し流します。小川は多摩川と合流し東京湾に注ぎ、黒潮に乗って故郷三宅島に届いてくれ

 ることを信じ念じて。早く帰りたいね!。暑さ益々厳しく成ります。その日のためお身体

 には充分注意して元気で帰りましょうね。島は私達の帰りを待っているのですから!。

                                    2002年 8月。  NO 24.

絆23

 ( 1999年7月 港の見える丘に架かる虹 ) NO。22.2002年 7月。

 

  今、故郷は美味しいタケノコの季節。燐片状の皮を2~3枚むいて先端を人差し指に

 巻いて、クルクルと。想い出すだけで口の中にほのかなニガリと香りが膨らみ、望郷の

 想いに馳せられる今日この頃。如何お過ごしですか。お元気にお過ごしですか。

  6月4日今年度イエローリボン賞『 最高の父親 』に五人の著名人の一人として

 長谷川 鴻 村長避難島民3800人の父親としてその栄誉に輝き、「父親として島に

 虹の橋を架けて連れて帰ってほしい…」と子供( 島民 ) からの切実な永久帰島願望

 の手紙に父の心が合いまって、挨拶の中で『 三宅島村民3800人全員連れて虹の橋

 を架けてでも帰りたい想いだ…』と。あの日から早いもので22ヶ月!が過ぎ、都会の

 隔絶した環境の中、寂しく凡庸に生きている子供達にとって父の言葉にどれほど勇気付

 けられ励まされたことか。4月21日子供達で組織設立した三宅島島民連絡会の中で

 その願望を基に何時!、何本の虹の橋を!何処から架けるか!…等。永久帰島、復興に

 向けて立案し、父の手助けが出来たら嬉しいですね。早く帰りたいね!。その日のため

 健康に充分留意して元気で帰りましょうね。島は私達の帰りを待っているのですから!。

                                         2002年 7月。

絆22

  ( 2000年3月初がつお求め賑う阿古漁港 )    NO.22.   2002年6月。

 

  テレビのテロップに流れた『 噴火の兆しあり 』 緊急の避難勧告で始まった

 今回の噴火。過ぎ行く時の流れは速く、無念にも避難生活も21ヶ月と途方もない

 月日を迎えても未だ先の見えないこの状況。火山の島に生き生活する者の宿命とは故

 この異郷の地で足を就けた生活の出来ない避難生活の日々に自分を見失いがちになる

 今日この頃。如何お過ごしですか。お元気にお過ごしですか。

  二回目の帰島で生活圏が以前と変わらぬ姿に甦りつつあるを確信した矢先、嬉しい

 ニュースが飛び込んできた。声を弾ませ 沖倉さん!『 釣りが出来るようになったよ

 …と』島に常駐している人達は土日に限って桟橋での釣りが許可された…と。

  釣りをする人ではないが、家族を残し島の復旧作業に従事している彼にとって生活の

 変化を渇望していた矢先の出来事。島民であればこの時期何が釣れ何が採れるか、夕飯

 の献立まで描く事が出来る。彼にとってその生活の変化で心身が和み癒された事でしょ

 う。避難生活をしている私達にとって嬉しい事は永久帰島に向けての生活圏が広がった

 と言うことで、一日も早く帰り復旧と復興が同時進行で進められたら…と願うのみです。

  元気で早く帰りましょうね。

  島は私達の帰りを待っているのですから。

                                             2002年 6月。

絆21

   ( 港の見える丘より三本嶽の落日 )       NO.21. 2002年5月。

 

   あの日から避難生活も20ヶ月となり、故郷三宅島の歴史文化を背負っていた

  人達の訃報が届くたびに、異郷の地で旅立っていく人の心情を思うと、寂しさ

  虚しさ無念さが伝わってくる。円徳寺住職 故松本亮道さんに教えていただいた

  念仏『絵島』の一節が脳裏に浮かぶ。『故郷恋しや我がふるさとよ。都なれども

  旅はつらい…』極楽という冥土に向かう故人同様、ある意味で避難生活を続ける

  現在の私達の心情に相通ずるものがある…。如何お過ごしですか。お元気ですか。

   7ヶ月ぶりの故郷如何でしたか。火山ガス、食住生活と闘いながら滞在復旧

  作業に従事している皆さんの努力で生活圏は以前と変わらぬ姿に戻りつつあります。

   たった6時間の帰島でしたが、何故!帰れないの。何故!生活できないの…!と

  島めぐりの車窓の見慣れた景色に幾度心の中で叫んだ事か!。

   夕景浜に眠る先人達の丘は被害もなくキレイでした。きっと先人達は異郷の地で

  旅立った友を迎えるため草取り、掃除…としているかのように。心配するな…と。

  帰りたいね早く!。早く元気で帰りましょうね!。

   島は私達の帰りを待っているのですから。

                                            2002年5月。