「劇団空感エンジン」企画/製作の舞台『チエコ』を、両国の「Air studio」で観てきた。
A~Cの3班制による公演のうち、自分の応援している役者さんが出ているC班の初日(10月3日)
と千秋楽(同7日)を観覧した。
本作は、高村光太郎の詩集『智恵子抄』の編纂を控え、光太郎とその周辺の人々が亡き智恵子を
偲んで思い出話をするというのが、主な内容だ。
恥ずかしながら僕は『智恵子抄』について題名以外、殆ど知識がなかったため、
ひとまず悲しいラブストーリーとして受け止めた。
けれども、高村智恵子という人物に興味がわいたので、今後ちょっと調べてみようと思う。
さて、僕の「推し」である木村ゆめこさん演ずる智恵子は、ほぼ回想の中でのみ登場する。
そのため、千恵子が精神を病むに至る苦悩や、病んでいることを自覚してからの困惑などが
一人称的に描かれることはなかった。また加えて、死に向けて時系列的に見せることで、
次第に壊れていく智恵子という存在の儚さが強調されていたように思う。
・ほわほわした印象の元気な頃の智恵子。
・発病してからのふさぎ込む智恵子。
・何らかのスイッチが入り演説を始める智恵子。
・病床で切り絵の創作に心血を注ぐ智恵子。
それゆえに、ラストでアトリエのソファで眠り込んでいる光太郎へと(幻想として現れ?)
寄り添う若く元気そうな智恵子の姿には、思わずホロリとさせられてしまった。
細かいことながら面白いと思ったのは、回想のたびに智恵子の髪型が変わっていたこと。
劇中で日にちが違えば、髪型が違っていて当然というこだわりのようだ。
小道具の彫刻も、いったい誰が彫ったものなのか気になった(笑)。
また、初日と千秋楽とを観たことで比較をすれば、光太郎はより重厚な印象の演技になり、
智恵子は病床での所作や表情に艶が増したように感じた。
最後に注文をつけるならば、「叫び」の演技だろうか。
叫ぶ演技には余計な力が入りがちになるのか、台詞が聞き取りにくいことがあった。
この点は千秋楽でもあまり変わらなかった。
僕は演技に関しては素人だけれど、舞台は台詞を聴いてもらってナンボだと思うので、
単にテンションを上げるだけでなく、「聴かせる」技術が大事なのではないだろうか?