ども、キッコーマンの「なすのみぞれ炒め」が大好きな岡田達也です。




いきなり重い話で申し訳ない。

「余命〇ヶ月」なんて宣告を受け止めるのは大変だと思う。

私だっていつの日か言われる可能性も大いにある。

なんて書きながら、

もしかすると不慮の事故で死んでしまう可能性だってあるわけだから、

宣告される機会すら持てないかもしれない。

こればかりはわからない。

だって、人間だもの。

有難く、与えられた寿命を生きていくだけ。

そんな心積もりで過ごしている。


 *


1年とちょっと前

我が父・隆夫さん(89)がコロナに感染し入院した。

基礎疾患の塊みたいな人だったので、症状は即悪化した。

9月17日まで博多で本番があったので、18日に帰鳥した。

入院して数日

担当医から説明があった。

説明と同時に、今後の治療のついての確認が行われた。

要は「延命措置はどこまでやるか?」という質問だった。


「最低限のことをやっていただければ十分です。必要以上の延命は必要ありません」

「そうですか」

「88歳ですし。基礎疾患も多い人ですから。これで亡くなっても寿命だと言えます」

「お気持ちはわかりました。たしかに、お父様はどんなに長くてもあと1年は持たないでしょうし」


母・秀子さんに癌が見つかったときは、初めての経験だったので多少慌てた。

が、大事なことは確認しておかなければならない。


「先生、母の残りの寿命は短いのでしょうか?」

「いえ、長い付き合いになると思ってください」


つまり‟余命は1ヶ月とか3ヵ月という長さではない”と言われたわけで、少しだけ安堵したのを覚えている。

それに引き換え、隆夫さんの場合は「どんなに長くてもあと1年」と具体的に時間を区切られた。

つまり、私にとっては初めての経験。


私は先生の話を聞いて、

心穏やかに、

「残りの1年だけは隆夫さんの好きに生きさせてやろう」

と、心に誓った。


そしてーー

 

宣告から間もなく1年が経とうとしている。

 

ひょっとしたら明後日あたりにコロッと逝くのだろうか?

 

……なんか腑に落ちない

 

 

 *



猿も木から落ちる

弘法も筆の誤り

いろんなことわざがある。

医学を勉強している先生だって寿命を読み間違えることもある。

あるよ

だって、人間だもの

どちらかと言えば

復活した隆夫さんの方にいろんな意味で問題……

いや、異様なまでの生命力が宿っていたことが問題であって。

 

誰か、我が父の余命を教えてくださいませんか???

 

 

 

 

では、また。

 

 

 

 

追伸 その1

 

1分18秒のところで見える水色の服が私です。

 

 

 

追伸 その2

 

キッコーマンです。

 

 

 

追伸 その3

 

やります。