水切りという遊びがあります。石を水面で跳ねさせるあの遊びです。水切りのできる環境は少なくなりましたが、誰でも何度かは経験があるのではないでしょうか。静かな水面と石のある場所にいると、不思議と水面に石を投げたくなるのはなぜでしょう。
 なにも道具がいらず、だだそこにあるものだけを使った素朴な遊びです。石を水面に投げると、石は連続して跳ね、いくつもの波紋を残します。やがてその波紋は消え、川はいつものようにゆったりと流れます。ただそれだけのことです。
 水切り遊びは、人が二本足で立ち、手が自由になった時から始まった最古の遊びの一つではないかと思います。古代人の一人が水面に石を投げ、連続して跳ねるのを発見したとき、水切り遊びは小さな文化になりました。誰かが「おおー」と声を出したかも知れません。「うひょひょ」と笑ったかも知れません。
 水切り遊びは、原始のまま続いてきた珍しい遊びです。いわば遊びのシーラカンス。科学が進歩した現代でも、水切り現象は充分に解明されていません。永遠に変わらないこの現象は、石がたくさんジャンプすると、なぜか不思議に嬉しい気持ちになります。
 私は、水切りに適した川の近くで生まれ、川を遊び場として育ちました。五十五歳を過ぎてから水切り遊びの面白さに気付き、改めて練習を始めたのです。
 水切りは、気体、液体、固体の様々な原理が相互に影響して起こる複雑な流体現象です。単純なようで奥が深く、次々に発見があり、面白くてやめられなくなりました。
 本来、子どもたちは遊びを通して成長します。子どもは遊ぶのが仕事だと言う言葉がありましたが、時代の急変で教育の目的も方法も混乱し、文明時代の教育はどうあるべきか試行錯誤が続いています。そんな中で昔からの遊びが見直されています。これは、ほとんど道具を使わず、群れ遊びが中心で、自然の中で行われることが多いのが特徴です。遊びは、年齢の違う子どもが一緒に遊び、工夫され、独自の子ども文化を形成していました。小さな子は先輩を見習い、大きな子は小さな子を気づかい、いつしか一人前の子どもに成長してきたように思います。私達は、その中で仲間意識を育て、自らを守る知恵や優しさを感性として身に付けてきました。子どもの遊びをたわいのないものとして見過ごすことはできません。遊びは子どもが積極的に行う経験です。それは実験、観察、発見を繰り返し、頭と体、双方の情報として記憶され、応用の利く生きた知識となるのです。
 水切り遊びは、自然環境が残された水辺で行われ、手軽に行える遊びで、子どもたちはこの遊びが好きです。水切り遊びを広める事は悪いことではなさそうです。文明は間違いも教えますが、自然を教師として身につける感性に間違いは少ないと思うからです。自然との絆、世代間の絆を取り戻すきっかけとして水切り遊びが役立つ事を願います。続く…
水切り遊び