岩手県大槌町碇町長の話 | 老$の徒然草

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市の環境講演会があり、岩手県大槌町長 碇川 豊氏の話を聞いたのでその要旨を報告したい。
テーマは『大槌町の復興に向けた展望と課題』-海の見える美しい町を子供たちへ-

◎町長はこんな人
碇川現町長は、8人だか9人兄弟の下から2番目に生まれ、高校時代はアルバイトをしながら勉強に励み町役場に就職し、町の総務課長を経て町長になった。
ICTに関心が強く、その利活用に取り組んでいる。
氏は、今風に手元のノートパソコンをスクリーンに映しながら説明をされた。


◎大槌町はこんなところ
岩手県のリアス式海岸のほぼ中央に位置し、大槌川と小槌川が海の手前でクロスするところに市街地があり、湧水もあった。
現在、吉里吉里という地名があるように井上ひさしが吉里吉里人のモデルにした地域があり、更にひょっこりひょうたん島でお馴染みの蓬莱島が湾内に浮かんでいる。
夏は、美しい海岸で海水浴を楽しむ人で賑わっていた。
震災以前は、わかめ、海鞘(ホヤ)、アワビ、鮭、等の魚介類が取れた。


◎震災の惨状
3.11の津波とその後発生した火災によって町長初め町役場の職員が津波の犠牲になった。

その多くは管理職で、行政機能が麻痺した。人的被害は死者777人・行方不明者952人、町の人口の1割以上の犠牲者が出た。
浸水被害も広範囲に及び、山火事が鎮火したのは4月に入ってからだという。
蓬莱島の灯台もぽっきり折れてしまった。
海辺の地盤が1m以上沈下した。

東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターは、人的被害こそ無かったものの、建物は3階まで津波に洗われ、壊滅的状態となった。


◎大槌町の復興への取り組み
・平地が少ないので、今までいたところに生活をしたいという町民の要望に応えて堤防を作る

ことにした。

 コンクリートむき出しだと刑務所の中にいるような感じになるので、陸側は瓦礫を利用して傾斜

 地を作りそこに芝生や木々を植える。
 (町役場を震災遺構として保存すべきか否か意見が分かれている)

・町役場にあった書類を全部津波で持っていかれたので、今度は積極的にクラウドを活用しようと

大槌町が先頭に立って他の自治体にも呼びかけて、自治体クラウドを立ち上げる。

・大槌町には、東大の海洋研究センターがあるので、そこの先生に知恵を借りるために大学との

覚書も交わした。


◎復興の障害になっていること

①全国の自治体から支援をもらっているが、現状でも技術系の職員がいない。

(所沢からも派遣している。)
②新たに取得したい土地の権利関係を確認するのに膨大な時間を要している。

  法改正しないと間に合わない。
③建築土木業者が足りない。今後不正予算で全国規模て公共事業が始まると被災地の工事の担い

 手が取られてしまうのではと懸念している。


講演の最後に市長は、ひとつの動画を見せてくれた。
避難所生活をおくる人たちのために民謡を歌って慰問活動をしていた地元の女子中学生がテレビの報道番組に映り、それがきっかけとなって、2012年7月に臼澤みさきとして歌手デビューした。その曲がユーチューブにあったのでアップする。


http://www.youtube.com/embed/ObTiutZKuB8?feature=player_detailpage


PS

去年の天皇陛下の歌に
「津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる 」
豊かな海づくり大会で当地を訪問されたことがある陛下がヘリから見られた眼下の惨状を謳ったものと思われる。

天皇皇后は大槌町の旅館で休憩されたか投宿されたのではないか。
震災後各地を訪れた天皇陛下が最も心を痛められたのは大槌町ではないだろうか。
たけしのCMじゃないが、我々庶民だったら“海のバカヤロー”だ。


今年の秋篠宮殿下の歌に
「湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ」
秋篠宮は、震災前から大槌川上流に生息する「イトヨ」という小魚に興味を持っていた、この歌は震災後に訪れた時のもの思われる。