こんにちは
いい話が載っていたのでご紹介します
商店の魅力
「きょう、焼肉かい?もしそうなら、この肉も焼いて食べてもらえないかな。お代はいいから」
「え、ほんとうですか?」
肉屋の店先で、男の子の手をひいた若いお母さんが声を上げる。
「いいラムなんでけど、仕入れ過ぎちまってね。いまさら冷凍はできないし」
と、肉屋のご主人。
「ありがとうございます。うれしいです。それに・・・・・、とても助かりました」
と言い、母子は去っていった。
その様子を見ていて「あら、いいんだ」と、肉屋のおじさんに平気でもの言うわたしも、若いころはスーパーマーケット一辺倒だった。会社勤めに疲れきって買える道すがら、買物をするというと、相手と口を利かなくてもすむスーパーマーケットだった。けれど、あこがれてはいた。魚屋。肉屋。八百屋。豆腐屋。乾物屋。いつか、こういう店でも買い物できるわたしになりたい、と夢みていた。
夢みつつおそるおそる近づき、わたしも、どうにかこうにか、商店街で自由に買い物ができるようになった。それでも、気がつくとスーパーマーケットの客になっている日がある。レジに並ぶとき、Iさんを探す。レジの最年長で、すご腕のこの人の前に立つと、くじにでも当たったような気持ちになる。商店でもスーパーでも、つい人の顔をたしかめたくなるのだ。
この家に、昨年引っ越ししてきて、また商店との出合いを一から味わった。品格ある魚屋。律儀な花屋。ときどきおかずを助けてもらう焼き鳥屋、ハンサムは豆腐屋・・・・・。
そういえば、こんなこともあったけ。引っ越しの翌日、うちの窓から見える八百屋めざして、末の子がおつかいに走った。帰えってくるなり、「この大葉、ただだった」と言う。
「どういうこと?」
「あんまりものがよくないからお金はいらない、って」
子どもに、そういうことをちゃんと伝える大人というのは、すごいよ、と思う。
つぎの日、お礼がてら買い物に行くと、八百屋の女主人は、学校の先生風のひとだった。ちょっと緊張しながら、大根、里芋、にんじんを買う。どれもいい野菜だ。わたしは、いまだに心身をどこか強ばらせて、ここで野菜を買っている。
商店の買物の魅力は、あたたかみと、そして、サスペンス。
<朝ごはんからはじまる 山本ふみこ著 毎日新聞社発刊より>
ふれあいのあるお店にしなければ!
本日も有難うございました (T)