当事務所は埼玉県にあり、スタッフも全員埼玉県民なのですが、この条例の改正案の条文を見てみるといささか首を傾げたくなるところがあったので、ホームページにある「都の見解」への反論という形で、首を傾げた所を書き出してみました。

 感情的な部分や、いまいち反論になってない部分がありますが、まずは思ったことをを書いてみました。

 とりあえず、「この問題を最近知った他県の人が、条文と改正案、そして都の見解を読んだらこう思った」という資料にだけはなるかと思います。

 何かの参考になればと思います。


 ちなみに、筆者の個人的感触では、今回の条例改正では、第18条の6の2~4が、今回の条例改正の本体だと思います。

 真におっかないのは、「非実在青少年」ではなく、「青少年性的視覚描写物」の方です。

 それらの条が、やけに説明的で、引用しやすい文章になっているのもなんか引っかかります。


(参考情報)

●現在の東京都青少年の健全な育成に係る条例

http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/08_jyourei/08_p1.pdf


●現在の東京都青少年の健全な育成に係る条例施行規則

http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/08_jyourei/08_p2.pdf


●東京都青少年の健全な育成に係る条例 の改正案

 (東京都のウェブサイトにないので、山口先生のブログのリンクです)

http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2010/03/post-d68b.html


●東京都青少年問題協議会の答申

http://www.metro.tokyo.jp/INET/KONDAN/2010/01/40k1e100.htm



●東京都青少年健全育成条例改正案についての都の見解

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm


(※ご注意)

この文章は、推敲していない書き散らしたノートの段階なので、ウラ取りしてない情報や、文章のおかしい所、反論になってない所があるかと思います。

また、今回の議会の議事録がまだ見られないので、この文章の内容はすでに議会で質問されている可能性もあると思います。

そして、当事務所はこの問題について専門的な知識を持ち合わせていません。ですので、無知な部分や誤った認識をしている可能性もあります。

以上を踏まえて、あくまで参考程度の文章とお考えください。



※・・・アンダーラインの部分が反論の中核、太字部分が(個人的に)強く思った部分です。



●児童ポルノ

 

  (都の見解)
    長いので、省略

    (参照 http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm


  (都の見解への反論)
 児童ポルノについては、青少年育成条例と無関係とはいえないとはいえ、立法にあたっては性格を異にするもの。よって、児童ポルノの規制等については、別の条例で対応するのが本来である


 児童ポルノの根絶は当然としても、いまだ社会的合意が得られているとは言えず、また今回諮問すらされていな単純所持の禁止について踏み込んで、直接関係のない青少年育成条例にねじ込むことは、青少年問題協議会の越権の可能性を持つもので、また慎重な議論の末に成立し、同じく慎重な議論の末に改正してきた青少年育成条例の長い歴史、およびその先人たちの議論の積み重ねを冒涜するもの。

 ましてや、東京都の青少年育成条例は、他県で「有害図書」と呼称される言葉をあえて「不健全図書」と定義したり、他県が制定する「包括指定」ではなく自主性を重んじた「表示図書」の制度を定める等、青少年の健全育成と表現の自由を両立させるべく独自の青少年行政を行ってきた自治体である。
 
 今回の改正案については、青少年協議会の委員らに、「国会において先の読めない児童ポルノの単純所持の禁止を、東京都で先行して条例化することで、単純所持禁止の実績・実態を作ってしまおう」という意図があるのではないか」との指摘もある。仮にそうだとすると、委員らの個人的主義・主張を、東京都の青少年育成条例という場を利用して達成しようというもので、それは、東京都の青少年と、東京都という自治体を、自らの主義主張の実現のための踏み台として使ったということにならないか。



●第7条第2号・第8条第1項第2号


■実在しない青少年の性を描写した漫画等を規制するのは、表現の自由を著しく損ない、自由な創作活動や芸術文化の振興を脅かすもの。


  (都の見解)
 現に、近年の不健全指定図書の多くは漫画だが、これにより、「作家の自由な創作活動や芸術文化の振興が脅かされている」との認識が広く都民一般に共有されているとは考えられない。


  (都の見解への反論)
 現に、大手書店等で一部に性描写が含まれているコミックの自主的撤去が行われたなど、萎縮の例は現にいくつもある。仮にそれらを把握しておらず、もしくはそれらの萎縮が青少年育成条例に対しての萎縮なのではないかという想像が及ばないのであれば、都の青少年行政の怠慢を非難されるべきもの。また仮に把握しているのであれば、この反論は悪質である。


 そもそも、新たに実在しない青少年の性の描写を新たに規制する意義と効果、および規制していないことの弊害について、具体的な事例や統計等の資料が答申に全く書かれていない。これでは、条例改正の根拠として、不十分なのではないか。

 従って、仮に都がその答申を元に青少年保護条例を改正し「非実在青少年」の概念を盛込むのであれば、青少年育成条例への関心が高まっている今こそ、その定義の是非を提起して根本から議論し直すべきもの。


 また、今回出された答申を見ると、「非実在青少年」の定義を求める理由となったものは、全て憶測の域を出ないものばかりである。ほとんど言いがかりに近いものや、論理が飛躍している箇所も見受けられる。

 加えて、漫画等を、「野放し」と記述しているが、「表示図書」の制度があり、ほとんどの出版社や書店がその規定を遵守している現状において、この言葉はあまりに一方的なミスリードではないのか。ほとんど偏見に近い。

 このような答申がまかり通っては、都の出版社や書店、創作者は、「どんなに自主規制を敷いたり、配慮を重ねても、どうせ『野放し』で片付けられてしまうのだ」という不信感を醸成してしまわないか。そうだとすると、行政と業界の信頼関係で成り立っている「表示図書」制度の根幹が揺らぐことになりかねないのではないか。


 現在わが国は、インターネットとパソコンの発達によって、「一億総クリエイター時代」とも言われるほど、創作者と消費者の境界がなくなっている。また、日本の漫画・アニメの強さは、プロ・アマチュア・消費者の垣根がほとんどない状態が源泉であるとの指摘もある。

 そのような、全ての都民が創作者となりうるこの時代と国において、都民の作品の表現方法および手段に制限を加える東京都青少年育成条例の改正は、もはや全ての都民を巻きこんだ幅広い議論によってより時勢に見合った内容を目指すべき性質を持つもの。いまやこの条例が関係するのは、作家や出版社だけではない。万に一つでも欠陥や誤認識があってはならない。都は、青少年育成条例がはじめて制定された当時とは、時代も社会も大きく変化している点に注目すべき。


 また、「表現の自由」とは、そもそも少数者のための自由を担保するためのものという側面があり、多数決の原則によって規制の是非が決められる性格のものではない。ゆえに、規制を行う時は、規制しないことによって弊害があることを客観的な証拠によって立証することが求められるべきである。「一般に共有されていない」とは、根拠がない上に指摘に対しての答えにはならない。



■「非実在青少年」の定義(「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写」)は曖昧。故に、
    ・恣意的な運用につながる。
    ・著作者や発行者への検閲や弾圧を招く。
    ・漫画・アニメ業界の衰退を招く。


  (都の見解)
 この規定は、作品の設定として、年齢や学年、制服(服装)、ランドセル(所持品)、通学先の描写(背景)などについて、その明示的かつ客観的な1)表示又は2)音声による描写(台詞、ナレーション)という裏づけにより、明らかに18歳未満と認められるものに限定するための規定であり、表現の自由に配慮して、最大限に限定的に定めたもの。
 このような明示的かつ客観的な裏付けがないにも関わらず、単に「幼く見える」「声が幼い」といった主観的な理由で対象とすることはできず、恣意的な運用は不可能。
(例えば、視覚的には幼児に見える描写であっても、「18歳以上である」等の設定となっているものは該当しない。)
なお、青少年への閲覧制限を目的とする不健全図書指定制度や自主規制制度において、著作者が規制されることはなく、創作行為や出版、成人への流通は自由であり、「検閲、弾圧につながる」「漫画・アニメ業界の衰退を招く」との批判は当たらない。


  (都の見解への反論)
 米国のコミックス・コードの例を見るまでもなく、表現の規制が業界の衰退を招いた例は枚挙に暇がない。また、「不健全図書に指定されても販売自体を禁止されるわけではない」というのであれば、それは不健全図書に指定されることで実際の流通にどのような影響を及ぼしているかについて、都が実地に検証していない証拠である。
  また、創作物においては、『幼く見えるが年齢は100歳の魔女』や、『10歳で成人を迎える異星人』、『人間そっくりのロボット』等、現実の法律や条令で予定していない設定が無限に想定される。よって、創作物中の人物の年齢を現実の条例の基準によって判断すること自体に無理があるのではないか。たとえば仮に、『幼く見えるが年齢は100歳の魔女』という設定のキャラクターが当該行為を行うストーリーの創作物を、「『非実在青少年』の定義を回避するためのめくらまし」として、結局そのキャラクターの見た目で実質的な年齢を判断するような可能性が残る条文だとしたら、まさに都の説明と矛盾するもの。

 そのような場合がすぐに容易に考えられる現在の条例案を、十分な議論がなされないまま可決することは時期尚早である。改正の必要性をもう一度根本から、幅広い意見を募って議論し直すべき。



■「性交又は性交類似行為」という規定ぶりが曖昧であり、18歳未満のキャラクターの
      ・性を描写した漫画等
      ・裸が出てくる漫画等
      ・これらのキャラクターが出てくる漫画等
    が全て規制の対象になる。


  (都の反論)
 条例改正案第7条第2号や第8条第1項第2号における「性交又は性交類似行為」とは、児童ポルノ法等において使用されている法令用語であり、「性交類似行為」とは、手淫、口淫、肛門性交、獣姦、鶏姦など、実質的に性交と同視し得る態様における性的な行為を指すとされている。
本規定は、これらの性交又は性交類似行為を直接明確に描写したものに限定され、性交を示唆するに止まる表現や、単なる子どもの裸や入浴・シャワーシーンが該当する余地はない。


  (都の見解への反論)
 常識的に考えて、「性交又は性交類似行為を直接明確に描写したもの」に限られるのであれば、条例施行規則 第15条1ロの、「性的行為を露骨に描写し、又は表現することにより、卑わいな感じを与え、又は人格を否定する性的行為を容易に連想させるものであること。」を、「性的行為を表現することにより、卑わいな感じを与えるものであること」と読めば、全て含まれるのではないか「直接明確に性交を描写している」のに「卑わいな感じを与えない」場合とは、いったいどのような場合がありうるというのか、にわかに理解できない
 都は、仮にこれに含まれない場合があるとすれば、たとえばどのような場合があるのか、都民によりわかりやすく説明してまず理解を求めるべき。上にもあるとおり、現在は全ての都民が容易に創作者の立場になりうる時代である。繰り返すが、この条文を読むのは、いまや作家や出版社だけではない。万に一つでも欠陥や誤認識があってはならない。


●第18条の6の2第2項


■「まん延の抑止」とは、青少年のみならず、成人に対しても規制するもの。


  (都の見解)
 第18条の6の2の規定における「まん延の抑止」とは、同規定が定義する「青少年性的視覚描写物」を青少年が閲覧又は観覧することを抑止する、という意味である。成人への規制を意味するものではない。
このことは、都や事業者、都民に努力を求める責務を定めた条文(18条の6の2、3、4)において、それぞれ、「青少年が容易に閲覧又は観覧することのないように」と規定していることからも明らかである。


  (都の見解への反論)
 不健全図書や表示図書を青少年に見せないというコンセンサスは、完璧とはいえないまでも、現在でも相当程度醸成されていると思料する。また、「青少年性的視覚描写物」の定義が、「非実在青少年」以上に曖昧であり、十分な説明がなされているとはいえない。

 そして、青少年への閲覧又は観覧を抑止するという意味であれば、第7条に同旨の規定があるので、内容が重複しており不要。表示図書についても同様。よって、都の見解は、意味がわからない。一般的に考えて、「青少年に観覧させない」ことは、すでに「青少年へのまん延をさせない」ことを含んでいるのではないか。

 「不健全図書」および「表示図書」として、青少年へのゾーニングが義務づけられているものから、さらにその一部を切り出し、それについて「青少年へのまん延抑止」の責務を課すこの条文は、異常である。


 第18条の6の2~4は、「児童ポルノ」と「青少年性的視覚描写物」を故意に同列に扱い、さらに「まん延の抑止」を口実として、青少年性的視覚描写物をあたかも児童ポルノと同じであるかのように喧伝し、排斥する施策を実行するためのものではないのか。

 そうでないならば、犯罪である「児童ポルノ」と、青少年への閲覧を制限するだけの「青少年性的視覚描写物」を同じ条で取り扱っている不可解な条文構造にしたことについて、説明をするべき。


 また、「自主規制」とは、「自ら考えて自らを規制する」から自主規制というのであって、行政によって強要された自主規制は、もはやそれは自主規制ではない。それは、形を変えた検閲であるとのそしりを免れないもの


 寄せられた指摘の中には、「第9条4項に同旨の条文があるから不要」という指摘もあったはずだが、この見解では都はなぜそれは、無視するのか。
 何か意図があるのではないのか。


(※)・・・第18条6-2に定める「青少年性的視覚描写物」とは、実在の青少年のみをさすのか、「非実在青少年」をも含むのかが、条文だけだといまいち判断できません。どっちなんでしょうか?ここでは答申の内容等から解釈して、含まれると読みましたが、条文の言葉のみで解釈すると含まれないともとれます。