強引マイウェイ!苔が生えても転がり続ける!

強引マイウェイ!苔が生えても転がり続ける!

そんなジャックのつれづれダイアリー

広木克行先生をぐぐったら、自分の書いた10年前のブログに行き当たりました。


あれから、いろいろありました。中学で一時不登校になり、高校は途中で行けなくなり通信制に転校と。

その息子は19歳になり、保育士になると大学へ入り、ピアノを習い出しました。


まだ、保育園に関わっている私。企業主導型保育所にしたものの、難題山積。

明日は総会。発達支援・放課後等児童デイサービスへの参加を提案しますが、もろ手をあげて賛成とはいかないみたいで、NPO参加各人の思惑が錯綜している。


コップの中の嵐は何とかならんのか?



人間の生き方の知恵はさまざまである。西洋特に近代で言う、『統一戦線』という生き方は、困難(ナチズム・ファッショ)に出合った場合に、信仰やドグマにしがみつく方法でなく、逆に信仰や考えの違うもの同士がそれぞれの党派の思想を脇に置いて、共通の社会問題に対処するために大同団結して生き残ろうとする政治的現象をいうのだと思う。大衆にその行動が各党派の生き残りのためと思われては時代のうねりとは成らず、「大衆のための大義の旗」が立ってこそ時代のそれになる。

 

東洋でも古来生き残りをかけた生き方の表現、こういうものに事欠かない。

 

春秋戦国時代と言われるその昔に合従連衡を説いて回った「雄弁技術者」(蘇秦・張儀)たちを、後年の人々は『縦横家』としてひとくくりにして説明してきた。『合従連衡』にいう合従は巨大で強大な勢力に対抗して小さなものが連携し小異を捨て大同につくこと(蘇秦)や巨大なもの(秦)との連携で争いを回避したり(張儀)、次に巨大なもの(斉)と連携してさらに巨大なもの(秦)に対抗することもあった(屈原*張儀の謀略から祖国楚を護ろうとして果たせず入水自死した愛国詩人。秦に対抗する広い意味での合従策と言えると思う。)。

 

また『呉越同舟』ともある。難局に直面し、敵対する同士でも一時的に同居する状態を言う。

 

今「野党連合」論と実践が政治の焦点になりつつある。共産党や社民党・自由党・市民連合は民進党との『野党連合政権』を目論んでいる。その大義の旗である立憲主義・平和主義の回復は緊急の課題で国民の幸福に資するものだと思う。

 

野党間では共通政策の策定と本気の選挙協力が今大事な点だ。

 

党内の結束力が弱い民進党は、支持労組「連合」へ慮って「原発政策からの撤退」を政策として打ち出せないでいる。新潟知事選挙でも分かるとおり、「トイレなきマンション」と言われる原発は廃止・廃炉が当たり前の世の中になってきた。東電労働者を傘下組織に抱える「連合」は、自然エネルギーへの転換を推進すべきなのだ。原発がなくても夏は乗り切れるし、自然災害・廃炉のコストなどそろばん勘定にも合わないことも大衆の前に明白になった。

 

合従策の破綻・敗北、屈原の死、専制国家秦の出現は、始皇帝の政治独裁、重税下の人民の疲弊、焚書坑儒の思想弾圧を産み出した。この独裁が短命に終わったことは自然の理であった。思想を愛し知を愛した古代ギリシャ・ローマとの歴史の違い、近代統一戦線論を産み出した、その後のより洗練されたコミュニケーション社会の確立や民主的思想の発達史との差異の源がここにある。

 

国民の声を聞け。野党連合政権の早期成立を目指せ。トランプとの連衡にブルジョア保守勢力の生き残りをかける自公政権や民進保守派の空虚で無力な「呉越同舟」方針でなく蘇秦の「合従」策で。

 

謀略の張儀でなく屈原の愛国心で。