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50代からのこころ美人 ~ライフコーチYUM~

メンタルコーチとして「人を育てる」活動に邁進。マザーズスマイルアンバサダー協会代表理事、企業の人財育成、エグゼクティブコーチング実施 50代になり『自分を生きる』ことができるこころ美人を世の中に増やす活動をはじめました。

 

心が前を向いている時は

叱咤激励もエネルギーになり勇気になる

 

 

心が後ろを向いて扉の内に隠れてしまった人には

叱咤激励は槍にしかならない

 

 

ときに わかってほしいという強い気持ちが

叱咤激励という形であらわれるが

 

もし相手を想うならば

相手の状態をまずは知り 理解し

自分ではなく 相手にとって必要なものを

届けてほしいと思う

 

 

そして 自分で自分に槍をさしながら生きている人に言いたい

 

 

厳しさで進める時はそのままでいい

 

厳しさで苦しくなる時は

苦しいよということを許してほしい

 

生きていると

喜び 嬉しさ 楽しさ以外でも

悔しさ 虚しさ 悲しさといったネガティブな気持ちになることはある

 

 

わたしたちは それを感じられる人間として生きている

 

感じることを否定せず

感じる機能を備えている以上

感じてしまうよねと許してあげてほしい

 

許し 許されたら

また 心構えを向き

自分の力で一歩を出せる時が来る

 

 

根拠はないが そういう風に 私たちはできている気がする

 

 

許す今日という日も あっていいと 許してほしいと思う

 

 

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幼い頃から 親の機嫌が我が家の空気を支配していました。

 

 

とても機嫌のいいときは、安心感に包まれ

機嫌が悪いときは、緊張感に包まれました。

 

 

 

 

子どもって無力だなと感じながら

自分がどうあれば守られるのか?を探していた気がします。

 

 

早く大人になりたい

生きる力が欲しい

自立して生きていきたい

 

 

そんな反発心と同居してあったのは

『私のために働いてしんどい思いをさせてすみませんありがとう』という気持ち

 

 

どちらもホントの気持ち

そして そんなこと自分の子どもには思わせたくないなという気持ちも小さく存在しました。

 

 

天真爛漫

のびのび

子どもらしく

 

って安心できる土台の上に咲く花な気がしていました。

 

 

そうあることを求められ

そうでない自分を否定もされました。

 

 

親の心子知らずとはいうけれど

子どもの心親知らずとずっと思っていました。

 

 

 

 

理想の子どもらしさで生きる友人を見ると

『あなたは実はとっても恵まれている・・ことに気づいていないようだ』と

密かに 思って 違う人種を見るような目で

観察し続けていた幼少期

 

人は環境で育つ

 

これ ほんとだなと思いつついきた10代

 

 

 

親の機嫌で環境が変わることに

巻き込まれるしかなかった経験は

 

 

人に機嫌で当たるもんじゃないという信念に変わりました。

 

 

自分の機嫌は自分でとれる大人になりたい

 

言葉を武器にせず 言葉で人を幸せにできる人になりたいとも思いました。

 

人の心を大事に扱える人であり 

 

ないものではなく 

あるものに目を向けて心を満たして生きられるオトナになりたいと思いました。

 

 

 

人は環境で育つ

 

 

幼少期 環境を諦めざる得なかった自分が

理不尽の中から 掴んだ種

 

 

泥の中にしか咲かない花がある

 

 

どうせなら その花になりたいと

思った20代

 

 

自分を諦めてはいけません

 

 

環境を言い訳にしなくてもいい

 

 

限りなく理不尽の中にあっても

人は 自分の内から希望の種を生み出すことができる

 

 

24時間365日

 

そしてこの人生のパートナーは

自分自身

 

自分を諦めないことです。

 

 

神様って ときおり理不尽というギフトをもたらします。

あなたならその本当のワケを 読み解き力に変えると信じて・・

 

 

期待されている証拠です。

 

そして最後は そんなギフトをくれた親にも感謝できる自分であることも

忘れずにいたいと思います。

 

 

 

 

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50代に入ると 自分の健康に加え

親の健康や子どもの自立など

自分を取り巻く 身近な環境が大きく変わります。

 

 

いつの間にか 親も年を重ね

 

見た目も小さくなってくる・・

 

 

自分にとって精神的にも物理的にも大きく見えていた『親』という存在

頼りなく 小さく見え始める時期

 

 

正直ちょっと ショックを感じることもありました。

 

 

『そんなに小さかったっけ??』

 

 

『そんな失敗あんまりしなかったよね』

 

 

『さっき言ってたことだよ』

 

 

できていたことや存在していたものの

『変化』を大きく感じて戸惑う。。

 

 

『変化』は当たり前なのに

それに気づくくらいの『変化』

 

これを受け止めること 認めること

 

随分 増える時期が 50代付近だなと思います。

 

 

 

 

でもそれは、とても自然な流れで、ほんとうは 悲しいことではない

 

 

 

『人間が生きていくとは こういうことなんだよ』って

身をもって教えてくれる存在が 親でもあると思うのです。

 

そして 私の場合は

『だとしたら あなたはどう生きたい?』

この問いが 自分に降り注ぎます。

 

 

そこには 肯定的な意見だけではなく、否定的な意見(こんなふうにはなりたくない)も

存在します。

 

 

ただ、『自分は 今をどう生かす?』

自分の答えをもって生きたい これがきっと わたしのこだわりなのでしょう。

 

 

 

 

ある方が 言ってました。

 

『自分は親がなくなった年齢を過ぎて今を生きている。

 

いつまでも身体が元気に動き続ける保証はない。

 

だから 行きたいところ やりたいこと 見たいものは

 

なるべく触れ続けていたいと思っている。

 

いつまでも 同じではないからこそ・・

 

そんな時間の使い方をしていきたい』

 

と教えてくれました。

 

 

 

 

今 50歳の私のノートに 刻む日々はどんな日々でありたいか?

 

それは 丁寧に自分と向き合いつつ 選んでいきたい道でもあります。

 

 

 

そんなことを思いめぐらせながら 時折我に返ります。

 

そして クスっとわらってしまうのです。

 

なぜか?

 

 

 

自分がそうやって自分の周りの変化に気づき驚き

『だとしたら自分はどう生きようかな?』なんて考えている姿をまた

 

 

自分の子どもが観察しているかもしれないなと。。

 

 

見ているうちに 見られている

 

 

どんな顔で考え事をして どんな風に驚いて どんな風に楽しんでいるか?

 

 

きっと 自分より子どもの方が 見えているかもしれませんね

 

 

おそろし~♪ 自分のことを 自分以上に見ている人がいるなんてw

 

と クスっと笑えるのです。

 

おばあちゃんがいつも

 

『おてんとうさまはみているよ』といっていたけれど

 

だれかがいつも 観察ではなく

 

 見届けてくれていることを想うだけ

 

どこか安心します。

 

 

 

『おてんとうさま わたし いい感じでしょ』って言える今日を

 

すごしたいなと 思います。

 

 

 

 

 

『ゆんちゃん とっても良かったよ』

コーチング指導をしていた初期の頃

先輩講師にフィードバックをもらうことがあった。

 

 

講師として先輩からのフィードバックはとてもありがたい

 

ただ、どんなにいい他者評価を頂いても

自己評価を上回ることはなかった

 

 

自分はどうおもうのさ?

いつもそう呟いてくる内なる自分と会話をしていた気がする。

 

 

 

『よくないよね 今日の私の講座』

 

他者評価よりも自己評価

 

特に 他者評価が良きものな時ほど

自分の声は大きくなっていた

 

心が非常にモヤモヤして 

 

『何があればよかったのか?』脳内はぐるぐる反省会

 

一緒に活動していた先輩は 私よりも5年経験値がある先輩だったが

 

この5年のブランクを埋めることはできないかもしれない

 

そんなことは 私にはどうしようもないことだと最初から割り切っていた

 

 

ただ、私に習いたいと来てくれる生徒さんに

 

私ができることは ただ一つ

 

『未熟でも 今の全力を出し切ること』だと決めていた

 

『本当に今の全力でやれたのか?』

 

『もっとよりよい方法はなかったのか?』

 

毎度 そんな問いの答えを探し当てるまで

 

私の脳はとまらなかった。

 

目の前のことに必死になっている間に

 

12年が過ぎていた

 

 

もはや ひとつのことを10年もやれば

 

『その道のプロ』であることは当然のこと

 

 

 

その日の全力でやる・・というよりもむしろ

 

『成果を上げて当たり前』という意識に変わったなと思う

 

 

 

 

数字としてあらわれる業務を企業から任されて仕事もしているが

 

わざわざ 私に依頼を下さる方に対して

 

成果を出さないのは 申し訳ない

 

成果を出せなくて心が痛いのは私ではなく

 

きっと 私の依頼してくれる経営者さんでもあるということを

 

いつも心に置いている

 

 

 

 

仕事はそんな緊張感が伴うもの

 

成果を出して当たり前のもの

 

そこをスタンダードに仕事をしている私にとって

 

 

 

スイッチを切ることは

 

本当に大事な習慣

 

だから、拠点を変えてスイッチを切る

 

だから、海に行く

 

だから、山に行く

 

だから、身体のケアを怠らない

 

だから、内なる自分を整える

 

 

 

オンとオフを切り替えるのが

 

非常に苦手だった私が

 

自分をコントロールできるようになったのは

 

自分に向き合い 自己理解をし 自己受容をし

 

自分を心から信じ

 

自分の味方になる内なる存在を育んだから・・

 

 

 

誰かに認めてもらわなくても

 

自分を愛し 自分を認め 自分を励まし

 

そして 自分とともに生きていく力

 

得たからだと実感している。

 

 

私はこれまでもそんな女性たちを育む活動をしているけれど

 

これからの時代だからこそ、その力を引き出したい。

 

 

 

人がこの世に生まれ 生き そして 卒業の日を迎えるまで

 

せっかく生まれてきたのだから 自分をイキイキと生きる力を持ってもらいたい

 

そう感じている

 

 

 

 

京都生活から 大阪に戻り そして今 四国です。

 

 

 

こうやって自由に

 

環境を変えられる現状を 本当にありがたく思います。

 

移動している最中も、普通に仕事ができる。

 

Wi-Fiと マイパソコンがありさえすれば・・ね。

 

 

私は学生から社会人になり そして管理職も経験させてもらったのち

 

専業主婦を12年していました。

 

人をマネジメントする経験を通して

 

自分が成長しないといけないんだという事を学びつつも

 

仕事を手放して 専業主婦になったんですね。

 

 

まだ若かったですから、同年代の友人たちは

 

バリバリ仕事をしてキラキラ輝いていました。

 

 

 

でも、私は 仕事をしなければならない焦る気持ちを持つ自分と向きあいながら

 

『今は 目の前の自分や子どもや家族に 自分の時間を投資しよう』と決めたんです。

 

 

なので、焦りや不安は、一旦横に置き

 

人を育てる=自己成長を伴う子育てに向き合いました。

 

 

 

ほんと かけがえのない 学びの時間でした。

 

 

私が生きるよりも長く生きる子どもとともに

 

人間の成長を目的とした日々

 

 

上手くいかないことばかり

 

未熟な私は本を読んだり 誰かの話を聴いたり

 

家庭のことを担いながら、どうにもならない自分の成長に

 

子どもとともに向き合った日々でした。

 

 

 

経済的にはとても苦しかったです。

 

若い夫の稼ぎだけでは 大変でした。

 

 

 

それでもお金の価値ではなく、別の価値を見出し

 

苦しい中で、工夫をして、私という人間の命の時間を

 

注いだ時期ですね。

 

子どもが思春期になり始めたあたりから

 

自分に戻ってきた時間で、

 

人を育てるために育まれたマインドと

 

新たにインストールしたスキルで

 

社会に貢献したくなり、起業したわけです。

 

 

私にとってはとても自然な流れでしたね。

 

そして 心から納得できた時間を過ごしたなと思っています。

 

 

そう思うと、私は『我がつよいw』

 

 

自分で決めるということは

 

いつの時代も大事にしてきたことだなと思います。

 

 

 

仕事をしているのも 子育てをしているのも 家事をしているのも

 

わたしはわたし

 

 

嬉しい 楽しい 悲しい 苦しい等

 

感情をもち 日々心臓を動かしているわたしであることには

 

変わりありません。

 

 

 

愚痴や不満を吐きながら過ごす自分は

 

間違いなく避けたい自分だった

 

自分の時間がもったいないから・・

 

 

 

子育ても 仕事も どちらも好きだったわけではなく

 

好きになるために 熱中できるために

 

自分と向き合い 環境を整え 目的を見出し そう取り組めるようにしている自分がいるのです。

 

 

 

 

与えられたものが そのままピタリの自分を満たしてくれなくても

 

何をするにしても必要な 自分の命の時間をどう使うのか?

 

どんな気持ちで使うか?

 

自分で決めていくことだと思っています。

 

 

 

人と同じような人生を歩く必要は正直全くありません

 

 

 

だとしたら、自分が自分の道を見出せるだけの人間としての成長

 

そして 選択と行動をしていく。

 

これに尽きるなと感じています。

 

 

 

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