はぁ~い、皆さん大きな拍手を
・・・Around40ではなくJust40
今まで30代ベテランとして30代を謳歌してまいりましたが
これからは40代ペーペーとして頑張っていく所存でございます
会社の25歳の女の子に
「40歳になったのよぉ~」と言ったら
「えーーーっ!嘘ぉっ!見えないですね、若いっ!」
と言っていただけました
そうそう、そうなのよ
聞かれてもいないのに、わざわざ自分の年齢を
声を大にして言うのは、この言葉が欲しかったからなの
とっても聞きたかったのよ
・・・この行為こそが若くない証拠?
社交辞令と分かっていても、お世辞だと気づいていても
全力で真に受けるおちみでございます
・・・素直さが私の売りです
プレゼントもたくさん頂きました
↑ほんの一部です。いいでしょう
(母と弟夫婦からはドレッサーを買ってもらいました)
いくつになっても誕生日っていいものよねぇ~
たくさんの人からの 『おめでとう』 を独り占めし
3月25日といえば 『おちみ』 と覚えてもらってて
なんだかとっても贅沢な気分に浸っておりました
・・・ポジティブ40です
そうそう、じゃすふぉ~になるちょい前のこと
スーパーの前で 「おちみさん!」 と声をかけられました
その声に振り返ると、声の主はとても懐かしいお友達
「わぁ~久しぶりっ!」 彼女と会うのは、10年ぶりくらいで
私より2ヶ月早くじゃすふぉ~になった友達でした
「全然かわらないねぇ」友達のお世辞に
「そんなことないよぉ~」と答える私
・・・自分にとって都合のいい言葉は遠慮なくいただき
心の中では満面の笑みを浮かべてます
「私と全然違うぅ、ちゃんとお洒落しているし・・・
私なんて割烹着よ、もうおばさんって感じ」
保育所に勤めている彼女は、職業柄お洒落な格好とはいかず
割烹着姿がサマになっていました
確かに割烹着よりは、ちゃんとお洒落している私ですが
決してすっごい素敵と言うわけではなく、その言葉の通り
ちゃんとしているだけで、お褒めいただけるほどではなく・・・
ただ、一度家庭に入り、子育てがひと段落してから
久々にパートにでた彼女にとって、ずーっと働いている私が
自分とは全然違う世界にいるように感じていたようです
10数年前、彼女は親に結婚を大反対され、泣く泣く別れ
でもやっぱりこの人じゃなきゃダメと、親の反対を押し切って
大恋愛の末、結婚。
当時の私から見たらどんなに眩しかったことか
・・・結婚式では1曲熱唱させていただきました
「いいなぁ、いいなぁ」
家庭に縛られず自由な私を羨ましがってか、彼女は歌うように
「いいなぁ、いいなぁ」を連発します
・・・自由な分、不安定でもあるんだけどね
「よく言うよぉ、あんなに大好きだった人と結婚できたのに」
「うん・・・大好きだったよねぇ、でもやっぱりおちみさんが羨ましい」
「私の方が羨ましいよ、だって好きな人がいつも傍にいるんやもん」
「好きだった(過去形)人がね」
「だって好きな人と、“じゃぁ、またね”ってバイバイしなくていいんだよ
あぁ~たまにはお泊りしたいなぁ~、なんて思わなくていいんだよ」
私が切なそうに言うと
「あぁ~そうだった」と懐かしそうな表情をし
「今はね、たまにはお泊りに行ってくれないかな、なんて思う」
と、彼女もまた切なそうに言うのでした
なんとなく彼女の気持ちも分からないでもないのよ
10何年も一緒に居るんだもの。結婚した当時の気持ちの
ままのはずもないし、恋人だった頃素敵だと思ったところでさえ
一緒に生活してれば嫌なところに変わったりもすると思う
夫や子供の世話をしなくてもいい、自分だけの自由な時間や
自分で稼いだ自由に使えるお金
そんな私の生活を羨ましいと思うのも分かる気がする
・・・夫も子供もいない私としては、世話をできることが
羨ましかったりするんだけどね
でも彼女が羨ましがる私の生活も、自由気ままで楽しそうに
見えるだろうけど、その分淋しさや不安も大きい
例えば、老いていく両親が互いに支えあう姿を見て
自分にそういう相手が居ない淋しさを感じたり
生活力や健康面などなど、将来の不安も大いにあるし
それに何と言っても、大好きな人の子供を生み育てている
彼女がとっても羨ましい
そしていつでも好きな人が隣に居るというのは
シングルじゃすふぉ~のおちみさんには、羨ましい限りなのです
まぁ結局、人って欲張りだから、どんな状況であっても
自分にないものを人が持っていると、ついつい羨ましく
思ってしまうものなんですよね
どうしても人の家の芝生って青く見えて仕方ないのよね
それぞれの芝生はちゃんと青く茂っているのに
どうして人の家の芝生と比べちゃうのかしらっ
・・・じゃすふぉ~おちみ、充分幸せ真っ只中なのにね
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