ベンガル暦の正月が西暦4月14日のワケ(たぶん正解、本邦初) | 黄金のバングラ(バングラデシュのお話とオマケで暗号通貨)

黄金のバングラ(バングラデシュのお話とオマケで暗号通貨)

50歳過ぎてインドのお隣バングラで暮らし始め、コロナで現在は日本在住。
かつては「黄金のベンガル」と呼ばれたバングラデシュ。
バングラについては、私のブログ内を検索しよう。
そして、いま熱い暗号資産についてホットな情報を提供していきます。

(2014/01/03 投稿記事の再掲です)


日本の正月、否、世界のA Happy New Year は西暦ベースで1月1日と決まっていますが、ここバングラデシュでは、なぜか西暦の

4月14日が正月

となっています。現在のベンガル暦を制定したのが、かのインドの前身


ムガール帝国の第三代君主アクバル


なのですが、この人に由来があると思い、かつ、既に日本人研究者により理由は明確だとの思いから、日本語のみの検索で調べたのが間違いの元でした。

さて改めて英語で検索を始めると、正解らしき情報がありました。ただし学術的に正しいのか分かりませんので、通説の域を出ないと思います。その元になる情報は、こちらです。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.184084948364950.33318.179458632160915&type=3



なんとFacebookにそのまんま、


The History Of Bangla Calender


とあります。英語の記述を転記すると、

King Shoshangko of ancient Bengal, who ruled approximately between 590 CE and 625 CE, is credited with starting the Bengali era. His kingdom encompassed West Bengal, Bangladesh and parts of Bihar, Orissa and Assam.



The starting point of the Bengali era is estimated to be on Monday, 12 April 593 in the Julian Calendar and Monday, 14 April 593 in the proleptic Gregorian calendar.



The Bengali calendar is derived from the Hindu solar calendar, which is itself based on the Surya Siddhanta.



ここで英単語の復習。CEとあるのは、Common Era あるいは Christian Era で西暦のことです。

Julian Calendarとは、ユリウス暦のこと。現在使われている西暦はグレゴリオ歴。紀元前46年にジューリアス・シーザーがローマに導入し、アウグストゥスが若干変更しました。1年が365日で12か月から成り、4年に1回は366日の年があり、2月以外は1か月が31日または30日である太陽暦。

Gregorian calendarとは、現在一般的に使われている西暦のこと。グレゴリオ歴。1582年に教皇グレゴリ13世がユリウス暦を改正した現行の太陽暦。

世界史の場合、1582104日まではユリウス暦を使用し、それ以降はグレゴリオ暦を使うようです。

さて、文中の


King Shoshangko「ショシャンコ大王」


(日本語訳がネット上はありません。その意味で、本邦初)が西暦590年から625年の間に


ベンガル暦を制定


しました。ショシャンコ大王は一般的なベンガル地域(インド西ベンガル州やバングラデシュ等を含む地理的な地域名)で、年の初めを現在の西暦(グレゴリオ暦)で、


4月14日にした


という事です。

ムガール帝国のアクバル大帝が即位するのは、西暦の1556年ですから、1000年近い前から使われていたことになります。ベンガル暦は太陽暦であるヒンドゥー暦を元に作られたようですね。


さて、以上をまとめると以下のようになると思います。


1)ベンガル暦はイスラム暦以前の西暦590年ころに太陽暦であるヒンドゥー暦を元に作られた。開始日は現在の西暦で4月14日。したがって、ベンガル暦の正月は4月14日となる。


2)ムガール帝国のアクバル大帝は、自分が即位した西暦1556年をその時のイスラム暦の963年をあらたなベンガル暦の開始年963年とした。

(元年にしなかったことは突拍子もないことではなく、上記1)のベンガル暦がほぼイスラム暦の開始時と同時期に制定されているので、おぼ同じような年数を経過して使われていたと思われます)

3)アクバル大帝は1556年11月5日に「第2次パニーパットの戦い」で勝利し、この日を新たなベンガル暦の開始日とした。(イスラム暦で964年1月1日ころ)


開始日、つまり新たなベンガル暦を使い始めた日であり、正月(1月1日)でない事に注意が必要。西暦の4月14日があくまでもベンガル暦の正月なのです。


くだけた表現を許して頂ければ、アクバル大帝は、以下のように考えたのだと思います。


『10年もたたずに記念すべきミレニアム(1000年)がイスラム暦でもベンガル暦でも来そうである。イスラム暦は太陰暦で年貢を徴収しづらい。ベンガル暦はあるもののしっかり制度化されていない。ここは太陽暦のベンガル暦を用いて農民から年貢をもらいたいものだ。そうだ、私が即位して大勝した11月5日をベンガル暦の開始日にしよう。ちょうどイスラム暦でも1月1日になり大義名分も立ちそうだ。正月はそもそもベンガル暦で農民たちは1月1日(西暦の4月14日)で祝っているので、そのまま(西暦の4月14日)にしておこう。』


アクバル大帝が若干13歳で君主になり、それから28年ほど経過し、41歳の時に決定しました。(西暦1584年3月10日ころ)


こんな感じだったと思います。これは私の私見です。

「カールおぎの仮説」

です。リンク・フリーですが、あくまでも私見です。



akbar
(Akbar / WIKIPEDIA より)


参考になった方はこちらをクリックね!

(2014/01/03 14:38:40 初稿)