Easygoing Wildhorse   評価: ★★★☆(3.5)


~色川武大との交流を描く著者自伝的小説の傑作
女優だった妻の死後、アルコール依存、ギャンブルに溺れ、壊れてしまったボクは「いねむり先生」こと色川武大に出会う。“大きな存在”との交流の中で、再生を果たす。伊集院静自伝的小説の最高傑作!

女優であった妻の死は入院200日後に唐突にやってきた。癌だった。やり場のない憤りと虚脱感が酒とギャンブルにのめりこませた。半年後にはアルコール依存症になり、ボクは心身ともボロボロに壊れてしまった。幻聴や幻覚も僕を苦しめる。それまでの仕事を整理し、無為な日々を過ごしているときに、知り合いにある人物を紹介された。小説家にして、エッセイスト、そしてギャンブルの神様と呼ばれる“先生”だった。ひと目見た瞬間からそのチャーミングな人柄に魅かれ、いつしか二人きりで競輪の“旅打ち”に出かけることになった。


先生は酒場でも競輪場のスタンドでも、どこでも突然、眠ってしまう。ナルコレプシー(眠り病)という難病のせいだった。また、幻覚、幻聴もあらわれると言う。実は先生もボクと同じものに苦しめられていた。ボクも旅の最中、しばしば発作に苦しめられたが、先生の限りなくやさしい懐に触れるたびに、奇妙な安堵感に包まれていくのを感じた。そして……。ボクは脱出することができた。得体の知れない不安や恐怖という感情がボクの身体の中から消え去っていくのがわかった。 ~(amazon)



伊集院の小説は以前、 『羊の目』 を読んで、「もう、いいや」 と思ったのですが、本作は色川武大(阿佐田哲也)との想い出を綴った小説との事なので、読んでみました。(阿佐田哲也は『麻雀放浪記』の作者)


とにかく、全編、先生(色川)を慕う気持ちが充満しています。主人公のサブロー(伊集院)だけでなく、黒鉄ヒロシや井上陽水と思しき人物も皆、先生が大好きで、まるで壊れ物を扱うように、大切に大切にしている様が描かれます。

色川は味わいのある魅力的な人物であったのでしょうが、ここまで思い入れが激しい(文章のタッチは激しくない)と、やはり客観性という点には疑問を感じます。著者はハナから客観的に描くつもりなど毛頭なかったでしょうけどね。


私は、山口瞳著の 『草競馬流浪記』 の益田競馬の回で、色川が”鳴子の大親分”として登場した時の様子をよく覚えています。麻雀・競輪が本職?の色川は競馬には詳しくなかったようで、出目で勝負します。ハズし続けるのですが、最後に穴馬券をGETして大幅プラスで終了し、「流石、ギャンブルの大家」 と山口瞳を唸らせます。巨体を揺らしてのそのそ歩いたり、ナルコレプシー発病で眠ってしまう様子等もユーモラスに描かれています。山口瞳も色川を好意的に描いていますが、伊集院よりは距離感を保っています。


この両作品を比較すると、やはり、『草競馬流浪記』 の方がリアルに近いのかなあと想像します。wiki に次のような記載がありました。


   山口瞳は色川の死後「彼には八方美人の性格があり、だれにも『自分が一番愛されている』と

   感じさせた」と書いている。


私は伊集院よりも山口瞳の 『ものの見方』 の方を信用しているので、恐らく、そういうことなのだろうと思います。色川は豊臣秀吉とまではいかないまでも、スゴ腕の”人たらし”であったのではないでしょうか。


本作はベストセラー上位にランクインし、相当に売れているようです。自分をネタにボロ儲けしている伊集院を色川はあの世から、どのように眺めているでしょうか? 多分、面白がっているでしょうね。稼いだ金を全部競輪に突っ込みなさいと言っていることでしょう。


今、伊集院静そのものに波が来ているようで、伊集院が礼儀作法を説く本まで店頭に並んでいます。

『鮨屋に子供を連れていくな』 といった類の事を書いているらしいのですが、何故、伊集院が今、そんなにウケているのか不思議です。以前から、競輪のエッセイは、それなりに面白いと思っていましたけど。


『麻雀放浪記』 に強い思い入れを持っているギャンブル好きは大勢いるので、そういう人には一読の価値がある本でしょう。


懐_最高TVタモリ 阿佐田哲也 沢田亜矢子 1988年

  http://www.youtube.com/watch?v=uX79SV3xWTc