森友学園の園長を証人喚問するとか言っているけど、どうなんだろうね?
真実は語られるのかな?
というか、『真実』って何だと思うのかって話なんだけど。
例えば、野球でストライクとかボールという判定がある。その判断は主審に任されているワケだけど、主審だって人間だ。間違える事はある。
だから、ゲーム中に揉める事がある。
ここで不思議な事が起こる。
『今の投球はある者にとってストライクであり、ある者にとってはボールである。』
観測者によって異なる、まるで量子力学となってしまい、不確定性定理となってしまう。
もちろん今はカメラでの判定があるので、確定させる事は可能なんですが、そんな設備の無い草野球等では、未だに審判に判断が任されているワケで。
つまり『証拠が無く、個人の記憶で真実を決める事が出来るのか』もしくは『個人の真実とは公の真実足り得るのか』という事です。
例えば『自分は寄付を受け取った』と思いこんでいれば、その人にとっては『寄付を受け取った』事は真実であり、『寄付を送っていない』と思いこんでいれば、その人にとっては『寄付を送っていない』事は真実であるとなってしまう。
それぞれにとっての真実は『嘘』ではないのに、そこに矛盾が生じる。でも、その矛盾を崩す証拠も無い。
そんな中で、『その他の人』が納得出来る真実は見つかるのか、またその真実は本当の真実なのかは解らない。
その真実だと思わせられているものが、真実ではない可能性もあるのだから。
そして、人間は『自分に都合の良い正解しか信じない』のだから。