みなさん、お久しぶりです。

 しばらく記事の更新が滞りまして、大変申し訳ございませんでした。ペタくれた方々本当にありがとうございます。


 さて、今日は本日のニュースにも出ていた都青少年条例の改正案について書きたいと思います。

 本当は、5月3日の憲法記念日に表現の自由と絡めて書きたかったのですが、仕事の処理がゴールデンウィークまでかかってしまい、ブログを更新できませんでした。

 ちょっとだけ遅れてしまいましたが、憲法記念日に戻ったつもりで読んでいただけると幸いです。ちなみに今日は憲法と絡めた話題ですが、肩の力を抜いてお読み頂ければと思います。



 まず、都の青少年健全育成条例案の主な内容ですが、みなさんもご存知のとおり、漫画やアニメの18歳未満のキャラクターに関する悪質な性描写を規制するというものです。

 そしてこの条例の改正案の内容そっちのけで話題となっているのが「非実在青少年」という言葉です。一応簡単にご説明致しますと、実在しない青少年、例えば実年齢は18歳以上だが見た目が小学生という設定のキャラクターもこれに該当し、18歳未満のキャラクターとして扱われると言うことです。


 話題が飛んで申し訳ないですが、本題に戻ります。

 さて、何が問題なのでしょうか?

 お気づきかも知れませんが、何が悪質な性描写に当たるのかということに関して明確に規定のしようがないことが大きな問題です。

 恋愛や人間そのものを真摯に描こうとすれば、性描写は避けられません。作家は常に自分の作品が条例に抵触しないかどうかに悩まされ、自由に作品を描くことができなくなりかねません。

 そして結局多くの作家はこういった問題にそもそも抵触しないような作品を多く書き、結果通俗的なものばかりが出回る社会になると思います。


 そして、このような規制は憲法が禁じる「検閲」には当たらないのか、当然ながら憲法が認める表現の自由を侵害しないのかということが一番大きな問題です。


 判例によると「検閲」とは「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるもの」とされています。(税関検査事件)


 つまり、この判例に従えば、この条例は発表前に内容を審査する訳ではないので検閲には当たらないということになります。

 しかし、税関のチェックとは今回は明らかにその趣が違い、発表後の作品について都の方針と異なるものは規制するというのは私にはやはり検閲と大差がないと感じられます。


 猥褻物の規制についても同判例は表現の自由を規制できる場合として「その解釈により、規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され、かつ、合憲的に規制しうるもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合でなければならず、また、一般.国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものでなければならない」とし、「風俗を害すべき書籍、図画」の規定は、猥褻な書籍、図画等を指すことがわかるから、表現の自由に反しない」と判示しています。

 たしかに明らかに猥褻のみを目的としているものもあり、それらについてある程度の規制は必要かも知れませんが、今回の場合には明確といえないものも多いのではと思います。


 安易に国家等による規制を望む意見が最近とても多いようで、違和感を覚えます。(時効廃止など(詳しくは以前私が書いたブログをチェックしてみて下さい)

 自由は獲得するのがとても難しく、壊れやすいものです。

 その扱いについてもう少し慎重な議論があってもいいのではないかな~と思います。


 最後にこの条例を考える前に是非読んで頂きたい本があります。

 北崎拓氏の著作で「さくらんぼシンドローム クピドの悪戯2」という作品です。

 北崎拓氏のクピドの悪戯シリーズは恋愛における性について正面から取り組んだ作品で、私が大好きなシリーズです。前作の「虹玉」はテレビドラマ化され、現在ビッグコミックスピリッツにて最新作「このSを見よ」が連載中です。

 この「さくらんぼシンドローム」に登場する天海れなという少女はまさにこの「非実在青少年」にあたるわけですが、この作品を読んだ後に考えてみて下さい。

 結構キツイ性描写もありますが、この作品に性描写がなかったら、これほど切ない胸を締め付けるような話になったでしょうか?ラストでこれほど感動できたでしょうか?

 無論、作者が決して猥褻を主目的に作品を描いてはいないからと言ってしまえばそれまでですが、このようなすばらしい作品も規制の対象になってしまう可能性があるということが残念というか、悲しいです。


 「表現の自由」とか「検閲」のことを考えるのはもちろんですが、「そんな難しいこと」と思った人も、「国家権力と法」について真摯に考えていらっしゃる方も、まずは、この作品をお読み頂き、ぜひ、この作品をお読み頂いた後、もう一度、この条例の善し悪しを考えてみて下さい。


 それではまた。