女性は少なからず「女優」と言います。

その心理としては、相手から愛されたい、気に入ってもらいたいという心理が働いているからと言えます。


この心理がエスカレートすると、次第に「良い女性」や「良い彼女」を演じる自分になります。


彼に愛されるためには、彼が愛してくれそうな自分を演じればいい。

極端になるとこんな風に考え出すことがあります。


私のオフィスにも、時々こんな悩みで相談に訪れる女性がいます。


付き合いたての時は、彼にとっても理想の女性像ですから当然、相思相愛になります。

彼は誰よりも自分を大切にしてくれるし、愛情表現も並大抵ではありません。この時彼女は、自分が良い彼女を演じて良かったと、心から思うのです。


しかし付き合いが長くなると今度は、彼が愛してくれそうな自分を演じ続けることに疲れてきます。

彼ももはや「演じている彼女」が普通だと思いこみ、当然にそんな彼女を要求しますから、彼女自身にとっては気を休める暇が無くなります。

少しでも気を抜けば、彼の愛情を失うような不安に包まれ、気を抜くことすらできなくなります。

そうすると、そのストレスは蓄積され、ある時は自分の家族に、ある時は買い物やギャンブルに、時には他の異性に発散先が向けられます。


歪んだストレスの発散は、ある種過剰なほど自分を駆り立てます。

本来彼にぶつけるべき悩みを他の対象にぶつけている訳ですから、当然根本的な解決は見込めません。

こうして「良い彼女」を演じていた女性は、一方で心理的、経済的、肉体的に限界に達するのです。


愛されたい、と願う心は少しもおかしくありません。

しかし以前の記事にも書きましたが、他人を基準とした物事の考え方は非常に危うく脆いものです。

彼の好みが変わったら?彼の愛情がそれでも冷めてしまったら?

自分以外の人間の思うことに、確実はありません。それを基準にすることは、本当にリスクのあることです。


じゃあこういう時どうすれば良いか?


逆の立場で考えてみてはいかがでしょうか。

自分の理想の男性と出会ったと思っていたけれど、実はその男性は自分の愛情を得たいがために、自分の理想の男性像を演じていることが分かります。

どんな気持ちでしょうか。

さみしくなりませんか?まるで嘘を付かれた気分ではありませんか?


男性だってもちろん「良い男性」を演じる時はあるでしょう。しかしいざ付き合ってみると、だんだんと良いところも悪いところも見えてきます。「こんなところもあったんだ」と思うことってよくありますよね。

でも、だからといって嫌いになんかならない。


それは、その男性の存在をまるごと受け容れ愛しているからです。


演じることってとても疲れますが、もし仮に演じなかったとしても決して愛情が消える訳ではありません。

既にその人を受け容れていれば、理想像など二の次になるものです。


勇気の要ることですが、演じるのをやめてきちんと彼と向き合えば、新しいふたりの形が見えてくるかもしれませんよ。